前回の続きです。一応、書誌情報から入りますね。
永濱利廣, 2022, 『日本病』, 講談社.
この本の著者は、本書を読む限りアベノミクス支持であり(まぁ、アベノミクスの問題点を指摘してはいますが、どちらかというと、反対と言うより「やるならもっと徹底的にやれ」という感じでしょうか)、財政問題で出てくる規律派と積極派とでは積極派になるのでしょうか。で、MMT派であるのかどうかはわからないけど、どちらかというとMMT肯定派、あるいはシンパのようです。
ちなみに、シンパってシンパシーから来ているのだとか(正確にはシンパシーを持つ人という意味のシンパサイザーが語源とされています)。いや、最初は「親派」だと思っていました。まぁ、どうでもよいことです。
話を戻すと、著者がアベノミクス肯定派だとすると、アベノミクスをあまり評価していない私とは意見が合わないのですが、でも本書はアベノミクスとは何だったのかと考える上で、非常におもしろい情報を提供してくれました。同じ情報でも、解釈は一通りではないということでしょうか。
まずアベノミクスとは
1.大胆な金融政策 ←量的緩和でお金ジャブジャブ
2.機動的な財政出動
3.民間投資を換気する成長戦略
だということになっています。これは新聞などでも書かれている教科書的な定義です。
まず、1の量的緩和について、著者曰く、2008年のリーマンショック時に、アメリカがその対応策として、はじめて量的金融緩和+大規模財政出動を行い、これがデフレ対策の定石となった、とのこと。つまり、量的緩和は最初アメリカで成功したわけですね。で、アベノミクスは4年後の2012年であり(著者の批判は「金融緩和しないよりはマシだったけど、やるのが遅すぎた」です)、アメリカでの成功例を見ているわけです。で、同じ方法を行ったということです。なるほど。要するに
パクリ
ですね。
正直に、「アメリカで成功した方法です」とか、「欧米では定石となっています」と言えばいいものを、わざわざ「アベノミクス」とか「異次元の金融緩和」とかあたかも自分たちが発案したように言いますかね。しかも、マスコミとかが「アベノミクス」と命名するならとにかく、自分の名前をつけて自分から自信ありげに言うって、自己顕示欲のかたまりにしかみえないですよ。あげく、内容がパクリって....。
ちなみに「アベノミクス」というネーミング方法も、1980年代の「レーガノミクス」のパクリですよね。
次に2についてです。著者の解説では、アメリカのリーマンショックへの対応策は量的緩和と財政出動となっています。つまりアベノミクスの1と2はそろってパクリなわけです。しかも、市中にお金を増やすことによって購買力を維持して景気を回復させるための財政出動(簡単に言うと、公共事業をバンバンやって、企業を儲けさせ、それによって雇用を確保して賃金を出していく)なのであって、人々の消費を上向きにするのが目的のハズなのに、安倍内閣では消費税増税をやってしまったわけです。しかも、2回です。著者も、当時の状況下では消費税を上げるべきではなかったと指摘しています。うまくいくならアメリカのパクリでもかまわないのだけど、アメリカの例をちゃんと学ばずに中途半端なことをやって、あげくうまくいかなかったのね。つまり
劣化コピー
ということでしょうか。
最後に3ですが、これは最後までなかったと言われていますね。筆者も、企業が投資超過でなく貯蓄超過になっている日本はおかしいと言っています(企業というものは、本来的に投資超過であるのだそうです)。筆者は、これをマインドの問題としていますが、マインドの問題だとしても上手く誘導できなかった政策の失敗ということになりますよね。
いや、アベノミクスについては、いまいち本質が見えずにどう評価したものかと思っていましたが、意外なところでおもしろい材料が入ったものです。ということで今後、「アベノミクスとは何か?」と聞かれたら、
パクったけど劣化コピーだったので失敗した
と答えることにします。いやはや、アベノミクスの問題点を指摘しつつも、基本的には肯定的に捉えていると思われる筆者には申し訳ないんですけどね。
余談ですが、アベノミクスの評価できる点は、
リユース
の一点。アベノミクスという造語は、そもそもは第1次安倍内閣で考案され、そのときは全く内容が異なっていたそうです。で、鳴かず飛ばずだったこの語を第2次安倍内閣で再利用したわけです。せっかくなので、「安倍氏は循環型社会を目指して『アベノミクス』(という語を)再利用しました」という感じで、業績を増やしてあげてはいかがでしょうか。