昨日のオリンピック署名、結局署名 できたのかできなかったのか、未だにわからずじまいです。なんかメールで認証がどうやらこうやら、ということらしいのですが、メールも届いていないし、どうなっているのでしょうか。もう1日待って、何もなかったらもう一度最初から署名作業をやってみることにします。あと、代々木の方々(実は千駄ヶ谷だけど)は、今回もまるで自分たちが署名を推し進めているかのように出しゃばっていますが、どうして何でも自分たちがやっていることにしたがるのでしょうかね。

それはさておき、オリンピックについておもしろい記事を2つほど。ネット記事なので、いつまで公開されているかはわかりません。でもニューズウィークと講談社なので、活字バージョンもあると信じて、著者名、タイトル、発表年(月日)を出しておきます。

小幡績『東京オリンピックはやったらよい しかし聖火リレーも開会式も要らない』ニューズウィーク日本語版(2021年05月10日)

オリンピックの中止ではなく、IOC抜きのオリンピックを行えばよいという話です。つまり、オリンピックを中止できないのは、ぼったくり男爵の金権腐敗IOCが利権を手放せないからであって、しかしオリンピックの本質は利権ではなく競技、だから利権を全部そぎ落として競技だけをやればよい、という話です。利権のないオリンピックならばお金もかからないし感染リスクも低いって、なんか、オリンピック中止論以上に辛辣ですよね。オリンピックを1回中止するだけでは癌細胞と化した組織を潰すのは難しいのだから、この際オリンピックはやってもよいけどIOCはつぶしちゃえ、たぶん、そういうことです。

橋爪 大三郎『菅総理は「決断」できるか…じつはいますぐ「五輪中止→総選挙」で“大勝利”できるワケ』現代ビジネス(2021年05月08日)

こっちもなかなかおもしろい話です。政府あるいは自民党はオリンピックを、古代ローマさながらに、市民に与える「パンと見世物(原語はラテン語で"panem et circenses"、見世物ってサーカスだったんですね)」としてオリンピックを捉えている。でも、この状況下でサーカスを与えてもブーイングしか出てこずに、次の選挙で負けますよ。むしろ、オリンピック中止を「大英断」として目立った方が、選挙に勝てるじゃないですか、という話です。さらに、「ぐずぐずしていると、口だけは達者な小池に先に言われちゃいますよ」と説得すればなお効果的、という笑える話というか、あきれた現実までも指摘しています。で、行間まで読むと、「パンと見世物」というのは愚民政策を表す言葉でもあるのだけど、国民を愚民扱いしているとしっぺ返しを喰らいますよ、と言っています。まぁ、しっぺ返しためには野党が育たないといけないのですが、野党は野党で何の準備もなく政権奪取と言っているので、こっちはこっちで問題なのですが....。今のままでは、野党は政権奪取はできるかもしれないけど、政権維持はできないですからね。

話を戻すと、上はIOC批判、下は政府批判なのでしょうけど、コロナを理由にしたストレートな中止の主張より、スパイスがきいた感じがします。「ぼったくり男爵」というパワーワードとセットで取り入れたい考え方です。

さて、ここまで来ると、オリンピックについても自分の考えをまとめておく必要があるかなと思い、少し整理してみます(実は、連休ぐらいから、ちょこちょこと書き出していたのですが....)

まず、前提となる考え方です。

1.オリンピック開催は、国にとってはスポーツ振興施策の一環であり、スポーツ振興施策は「健康で文化的な最低限の生活」の実現のためである。

2.税金による補助金は、税収増のためにある。

3.節電は発電である。

この3つの前提というか、知見を土台とします。1については、憲法ですね。建前ではあるのだけど、施策の目標設定の基準は必要だから、その大目標としてこのように設定されていると考えておきます。実は「文化的」という表現には疑問が残るのだけど(そもそも文化って何?という話)、ここでは関係してこないので触れないでおきます。

2番目の話は、前にも話した町工場の実習での経験からです。市の産業担当の課長さんのぶっちゃけ話からです。曰く、「最近の若い職員は補助金の意味もわかっていない。『産業振興がどうたらこうたら』って、理屈こねくり回してばかりで肝心なことを一言も言わない。だから言ってやったんだ『補助金は税金で取り返すためにやるんだ』って」、いやぶっちゃけ過ぎです。補助金の効果がめぐりめぐって最終的に税収増に結びつくのは、考えればわかることで、それを言えなかった若い職員もどうかと思うけど、課長さんの言い方にもにも「少しはオブラートに包めよ」って、思いました。あまりのぶっちゃけぶりが印象に残っています。ただ、考え方はよくわかります。課長さんによれば、本来は金儲けに税金を入れるというのは問題になるのだけど、補助金を出した以上のお金を取り返せばいい。そして「儲けた」お金を福祉とか、出したお金を取り返せない方に回すんだ。そういう話でした。

3.これも以前にアメリカの脱原発の話として書いています。この考え方は電気に限ったことではないですよね。税金でも同じことが言えます。例えば、新しい施策のために1億円が必要となったとき、税収増で1億円集めるという方法もあるし、今までの経費を削って1億円を捻出するというやり方もあるわけです。どちらも新たに1億円を準備するという点では同じになりますよね。

ここまでが、考える前提となる話です。先に結論を書いておきます。

(国家との施策としての)①オリンピック開催の目標は国民の健康水準の向上にあり、②その成功は税収効果、具体的には③医療費の削減もしくは疾病率の減少などの指標によって判断されるべきである

説明していきますね。まず、①はオリンピック開催の上位目標はスポーツ振興であって、オリンピック開催の目標=スポーツ振興の目標とすれば、国民の健康水準の向上が達成目標となります。金メダルの獲得は、選手にとっては重要かもしれませんけど、国にとっては些末なことです。つまり、ある競技で頂点を極めることは、選手個人にとっては重要なことでかもしれませんが、国にとって金メダルとスポーツなど日常的な運動によって生活習慣病を減少させることのどちらがより価値があるのか、考えてみてください。あるいは、他人が取る金メダルと、自分が生活習慣病にならないことのどちらが重要か、ということでも良いかと思います。国や東京都も、ぼったくり男爵のIOCも、日本の競技団体も、この点を本気で考えているのかはなはだ疑問だし、建前としてすらオリンピックと国民の健康という話をほとんど聞かないような気がします。

で、②です。スポーツ振興施策でもオリンピックでも税金が投入されています。各競技団体にも多かれ少なかれ税金から補助金が出ていますし、オリンピックの強化費だって税金です。オリンピックの強化費は「金メダルを取るためのお金」などといわれることもありますけど、金メダルって税金を払っている全員にとっての利益になるでしょうか。むしろ、金メダルは取れなくても、オリンピック関連の支出総額を上回る額が、国民全員のために取り返せるかどうかなのだと思います。

ここで、ちょっと注意が必要なのは、税収とか利益で判断するというと「組織委員会が黒字でした」でごまかされてしまう可能性があるということです。組織委員会以外にも、例えば施設建設費とかに税金を使っていたりします。そういう支出は無視されることもままあります。だから、成功の具体的指標は、組織委員会の決算ではなく、大目標であるスポーツ振興、さらにその上の「国民の健康」に結びつくものでなくてはなりません。

※このあたり、ちょっと理屈の筋道立てが混乱してますね。もう少し整理が必要でしょうか。


そこで、③です。具体的に検証可能な目標として、オリンピックの何年後までに、オリンピックに投入した総額以上の医療費を削減するという目標とかどうでしょうか。ただ、医療費は高齢化の進展で増大傾向にあります。あるいは、スポーツなどによって予防できる生活習慣病のような病気もあれば、そうでない病気もあります。その意味では、単純に医療費の削減額を目標額に設定するよりは、スポーツ振興に伴う様々な効果をして測ることができる生活習慣病の罹患率などの指標とした方がよいかと思います。生活習慣病が減少すれば、その分医療費も減少しますし、生産性なども上がります。スポーツの普及に伴う用具購入や施設利用などの経済効果もあるでしょう。具体的に数字として目標を挙げれば、それが達成できたかどうかもわかります。何よりも、現在は選手だけのオリンピックになってしまっていますけど(あるいはぼったくり男爵と金権腐敗組織のものになっていますけど)この目標を掲げれば国民全員参加が欠かせなくなってきます。

オリンピックはかくあるべし、と言うことであれば以上のように考えます。逆に言うと、国民の健康と結びつかないのであれば、オリンピックを無理に開催する必要はないと思いますし、大目標である国民の健康が大きな脅威(つまり、コロナ)に直面している現在、大目標の実現のためには、オリンピックよりも大きな脅威の排除を優先することは道理です。

もちろん、別の考え方もあるでしょうけど、個人的は、費用対効果で投入した税金額以上の効果(=国民の健康の工場)がない場合はオリンピックは失敗だし、その効果が見込めないオリンピックならやる必要はないし、少なくとも税金を投入すべきではないのだ、と考えます。