小田原と箱根の途中の山崎は1868年5月戊辰戦争の際に幕府側の遊撃隊と新政府軍との間で激戦が繰り広げられた場所ってことで、函館行って以来戊辰戦争に興味津々、しかも、「眉目秀麗、俳優の如き好男子」「隻腕の美剣士」と名高い、パパと一緒に遊撃隊のお仕事(将軍様の警護)で京に長期出張した際のグルメ日記(『征西日記』)の著者であり、丹下左膳や錦絵等のモデルにもなったイバハチこと伊庭八郎が、この闘いで左手を失ったってことで行ってまいりました。



道沿いに石碑がありました。さらに、歩いて行くと、三枚橋が現れます。


この三枚橋のとこで足を撃たれて尻餅をついたところを、背後から来た小田原藩士で鏡心一刀流の高橋藤五郎に左手首の皮1枚を残し斬られたそうですが、咄嗟に振り替えり右手で心行刀流のひと突きで相手を絶命させたそうです。で、そのあと従者の阪本鎌吉に担がれて味方陣地の早雲寺に逃れます。


その後、遊撃隊は撤退を余儀なくされ箱根山崎の闘いは幕を閉じ、イバハチは暫し病院船にて治療となるのであった。