坂東三津五郎さん死去 | 長唄 三世 杵屋勝吉治 オフィシャルブログ

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御無沙汰しております。
自分も体調を崩しまして、体調が戻るまでは、精神的ストレスになるSNSは暫くの間お休みしようと思っておりましたし、これからも更新はあまりしませんが、
又、更新したとしても、もう歌舞伎の事は一切書くのを止めようと考えておりました。

でも、この、自分が生きた時代の名優
坂東三津五郎さんについて一言書かせて戴きます。

生前、大変御世話になりました坂東三津五郎丈が亡くなられました。享年59歳

これは僕の主観ですが、これほど巧い歌舞伎役者を他に知りません。
世間でも、十八代目中村勘三郎丈、十二代目市川團十郎丈が次々に亡くなられて歌舞伎界が大変だとは承知されておりますが、坂東三津五郎丈を含めた御三方を亡くした歌舞伎界はこれから本当に大変だと思います。

だって、盟友で名コンビだった勘三郎さんの分も、先輩で人格者だった團十郎さんの分も、
その後を受け継いで後進の指導をしていかなければならない適任者がこんなに早く亡くなってしまったのだから。

僕個人としては、「棒しばり」や「馬盗人」、2010年秋巡業で御一緒させて頂いた「身替座禅」、歌舞伎界内において、とある事でトラブルになった僕を、構わず、「勝吉治でいいよ」と一昨年正月新橋演舞場での、歌舞伎十八番の内「矢の根」の立唄をさせて頂いた事は一生忘れません。

三津五郎さんは同級生に、長唄界の僕の先輩である直吉さんや新右衛門さんがいらっしゃるからなのか?とても長唄界の事を御存知でいらして、楽屋にご挨拶に伺った時なんかに「きっちゃん◯◯なんだって」と !


だいたい、最初は、長唄界ならともかく、
三津五郎さんに「きっちゃん」と呼ばれるとは思っていなかったので、なんで僕がきっちゃんって呼ばれているの知っているんだろ?と疑問に思っていたし、僕の事をなんで知っているの?と思っておりました。

巡業のバスの中でも、座頭なのに気軽に僕に話しかけてくれて、
想い出は尽きません。

とても洒落っけがあるのに真面目。
とにかく芸道に真面目。
あれだけ実力があるのに、義理人情や筋を通し一歩一歩進んでいった方。
ニヒルな顔してるのに、冗談言って、僕が困った顔していると、ニヤリと笑う顔がとても良くて。

舞台ではすい臓の手術を受ける前の8月に新しくなった歌舞伎座で、棒しばりで御一緒させて頂いたのが最後でした。

お囃子も上手くて、
三津五郎さんは特に大皷が素晴らしく、
たぬき会という菊五郎劇団の方々が作っている会で天地会をする時は、他の方々はだいたい面白い方に走るのですが、三津五郎さんはプロ顔負けの腕前を披露されておりました。杵勝会の記念の会を歌舞伎座でした時にもたぬき会が友情出演してくれて、その時に先代の家元(七世杵屋勝三郎)が三津五郎さんに、
「あんた(あーた)大皷上手いな!役者辞めて囃子方になれよ」「ね!」って言って、三津五郎さんが苦笑いしているところを
僕は見ました^_^

世の中というのは何なんでしょう。
自分も肺炎にて入院し、今日まで三ヶ月間療養し、元気が売りで遮二無二唄って過ごしてきた長唄人生30年間を見つめ直す良い機会を体験し、恩人や不義理をしてしまった人達に一日も早くお詫びや御恩返しが出来るように頑張らなければという思いがありますが、

僕にとっては三津五郎さんも恩人。
御恩をお返しする前に逝去させてしまう神様はひどいな。

プライベートで付き合いがない僕よりも、三津五郎さんと親密な方は居られると思いますが、
僕にとっても、とても御恩があった方なので、ブログに書かせて戴きました。

三津五郎さんありがとうございました。

謹んでお悔やみ申し上げます。

合掌

三世  杵屋勝吉治