前回、79歳で腎盂腎炎になった話を書きました。
78歳での急性腎不全から、腎臓にはずいぶん気を使った生活をしていましたが、
腎盂腎炎という腎臓がらみの病気になりましたので、とにかく人工透析はできるだけ先延ばししたいと、食事は徹底しました。
ただ78歳での急性腎不全も原因はよくわかりません。
確かに20年前の57歳に腎臓がんで1個摘出手術はしましたが、腎臓1個の生活も特に不自由なく生活していたため、正直あまり気にしていませんでしたが、前に
書いたように玄関で意識を失って倒れていたのです。
もしかしたら熱射病で意識が亡くなり倒れている間に腎臓が急速に悪化したのかもしれません。
そして本気で腎臓対策を始めました。
腎臓や心臓は悪くなると、治療でもよくはならないそうです。
ひびが入った茶碗を壊れないように大事に使うだけだそうです。
最近聞いた話では、腎臓がんなども、今は摘出手術よりは、がんの部分だけを削り取るらしいのです。そうして将来人工透析になるのをなるべく減らすように腎臓の機能を少しでも残す方法も取られるとのことでした。
腎盂腎炎から退院して家ではゴロゴロした生活をしていました。
半年もしないうち、ある日、急に胸が苦しくなり全身に汗が噴き出始めました。
以前心臓発作の所で書いたのと同じ症状です。
これは間違いなく心筋梗塞だと思いましたが、妻は外出中でだれもいません。
妻の出先に電話をして話したら、とにかく救急車を呼べと言われ、自分で119番に電話しました。
ほどなく救急車が来て、私は救急車に運び込まれてすぐに心電図を取りながら、受け入れ先の病院を探してくれていました。
それから私がかかったことがない大学病院へ着きました。たくさんの医師や看護師さんが待ち構えていました。
私は意識はずっとあったので、「腎臓が悪く人工透析になるので、造影剤は使わないで」とお願いしましたが、「命と透析、どちらをとるんだ」と怒られた記憶がありました。
早速カテーテルの部屋で準備が始まり、造影剤も使われて、右手首より挿入されました。
麻酔は多分部分麻酔のはずだと思いますが、あまり記憶にありません。
やがて処置が終わりました。
担当の先生からの説明では「3本ある冠動脈の1本が広がりすぎていて(?)うまくメッシュが収まらなかった。結論は too late だった」と言われました。
結局冠動脈の1本が死んだ状態らしく、心臓も1/3くらいは働かないということらしいのです。
しかも血管の中にカテーテルの器具を挿入したせいか、全身が寒く震えが止まりませんでした。
先生も脈拍が落ち着かないですね。場合によっては電気ショックをするかもしれませんとのことでした。
しかも電気ショックは脳梗塞を発症する危険もあるといわれ、どうなるのかと不安で
いっぱいでした。
しばらくたって先生が来ましたが「脈が戻ってますね、電気ショックはしないで済みます。今まで電気ショックをどうするか、打ち合わせをしていたところです。」と言われ、とりあえず脳梗塞の恐れもある電気ショックとやらは避けられました。
その後よその病院でも2回ほど検査でカテーテルをしましたが、やはり全身悪寒が
ありました。
とりあえず落ち着いてから、退院しましたが、腎臓だけではなく心臓まで持病を
抱えて、何とも不安な日々を送っています。
病が次から次と襲ってきますが、気持ちはできるだけ明るく、前向きになっています。
今回86歳でブログを始めたのも、好奇心からです。
好奇心を忘れずに今後も生きていくつもりです。
例えば50歳の時、高1と中3の子供が英検3級を受けてきました。
「よし、俺も受けるぞ」と子供たちが使った英検3級のテキストや問題集をもらって勉強を始めて、次の試験に申し込みました。
筆記試験の時は教室に中学生と一部の高校生で女性が多かった。そこにむさくるしい50男が1人入っているので、じろじろ見られて、恥ずかしかった記憶があります。
これに落ちたら次は少なくとも2級以上にチャレンジしたいと思いました。
そうすれば大学生や社会人も多く受けにきているだろうと思いました。
何とか無事に合格しました。
これは1例です。いろんなことにチャレンジしています。
続きはまた次回に書きます。