校庭に入ると花壇に金盞花が咲いていた。


 その後ろには、馬に乗った鎧姿の楠木正成と
薪を負いながら本を読んでいる二宮金次郎の、
銅像が建立されていた。


 校庭の一角に栴檀の大木がありその下には、
体操器具を収納する建物があった。


 
校庭の一辺はガジュマル(榕樹)が、
約5メートルの間隔で植えられていた。



 ガジュマルの下は、運動会などの時の、
保護者たちの応援席になった。

ガジュマルはテントの役目をしていた。


 他の一辺は、道路と、田んぼに接していた。


 校舎は尋常科が入る1棟、高等科の1棟、
教員が入る1棟、湯沸室1棟だった。


 奉安殿(教育勅語や天皇の写真を収めている建物)は、
何処にあったのか覚えていない。


 四大節(四方拝 1月1日、紀元節 2月11日、
天長節 4月29日、明治節 11月3日)には、
小学生は登校して、校長先生が読み上げる
教育勅語を低頭して聴いた。


 その日は授業は無く、紅白の饅頭を貰って下校した。
今考えれば、変な休日だった。


 当時の台湾における、中等学校の受験は州立(内地の県立)が、
先に行われ、私立はその後に行われた。


 私は、州立新竹中学校を受験し合格した。
受験番号は9だった。


 浅香先生は、受験願書を早く出していたのだな~と
感謝した。


  先生は、「新竹中学校には、谷口先生がいるので頑張れよ。」

ともおっしゃって下さった。