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一湾生の備忘録 懐かしい台湾 その4
竹南小学校は、竹南駅から左側に進み、
和食の店の前、竹南郵便局の前、郡役所の前を
進んだところにあった。
児童数は、尋常科 高等科合わせて約250名の
小さな学校だった。
当時の台湾の初等教育制度は、
内地人は小学校で、本島(台湾)人は公学校で
教育を受けることになっていた。
公学校での授業は日本語で行われていたので、
日本語の分からない児童は苦痛だっただろう。
小学校の児童は原則として内地人だが、
1クラスに2名ほど本島人が居た。
巡査や商人の児童だ。
改姓名をしていた。
例えば湯南山であれば、
湯本 和男。
原住民(いわゆる、高砂族)授業は
蕃童教育所で、巡査派出所の巡査が教師となり行っていた。
「♫サヨンの鐘」は、これに基づいている。
後に小学校は、第一国民学校 公学校は第ニ国民学校と
改称された。
内台融和政策や皇民化政策の一環として行われたのだろう。
竹南小学校の門前には、幅約4メールのクリークのような
川があって、学校の敷地にはコンクリート製の橋を渡って入った。
川には、近くにある製糖工場の排水だと思われるものが、
甘酸っぱい香りを、漂わせ湯気を上げながら流れていた。