録 懐かしい台湾

台湾うまれの備忘録です。

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一湾生の備忘録 その3 自宅付近の様子

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一湾生の備忘録 その3
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我が家<br>
我が家は、瓦屋根葺き長屋の一角で、<br/>
住居兼事務所で、向かって左隣が散髪屋、<br/>
右隣が水利組合事務所、次が漢方薬店だった。<br/><br/><br/><br/>
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我が家は、駅の真正面にあり、<br/>
距離で100メール足らずだ。<br/><br/><br/><br/>
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駅前の広場で、時々映写会が催された。<br/>
主催者が誰だったのか、内容などは覚えていないが、<br/>
おそらく主催者は、郡役場であっただろう。<br/>
側に警察官駐在所があるので変な事はできない。<br/><br/><br/><br/><br/><br/>
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駅の向こうには、台湾山脈の次高山が見えた。<br/>
たまに陸軍のC2型輸送機が後部を下げて、<br/>
台北方向飛んで行くのが見えた。<br/><br/><br/><br/>
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台湾南部の街の塀東には陸軍の飛行場があった。<br/>
国民学校の修学旅行で、塀東に行った。<br/><br/><br/>
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汽車で川を渡るときに、陸軍の飛行機が、<br/>
鉄橋の下をくぐって飛んで行ったとか、<br/>
どうとか、児童の間で、他愛のない論争があった。<br/><br/><br/>
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父親から銃の打ち方を教えて貰った。<br/>
銃床をしっかり肩に当てること。<br/><br/>

そうしないと銃の発射の反動で、<br/>肩を傷めるとの事だった。<br/><br/><br/><br/>
良い父親であった。
<br/>陸軍一等兵 勲八等。<br/><br/><br/>
金鵄勲章は、大正9年のシベリア出兵の<br/>
時の通訳としての功績によるものだそうだ。<br/><br/><br/>
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竹南小学校に入学<br>
私は、竹南小学校に入学することになる、<br/>
竹南は、私の住んでいる造橋の隣町で鉄道で、<br/>一
一駅北側にある。<br/><br/
>これから終戦まで9年間の、汽車通学の始まりである。<br/>
「一分遅れて次の汽車」<br/>