2024年4月22日 月曜日 記録

 

 竹南小学校小学校に入学した。

私の住んでいる造橋には、本島人(台湾人のこと)の児童の通う

公学校は有ったが、内地人の通う小学校は無かった。

 

 

 従って竹南小学校には自宅のある造橋駅から、一駅離れた竹南駅まで

汽車で通学しなければならなかった。

 

 

 通学路の途中には、釣具店、和食店、郵便局、郡役所が有った。

校門の前は、幅4メートル程の用水路になっていてこれを跨ぐ橋が掛かっていた。

用水路に流れる水は、時期によっては湯気が立ち、甘酸っぱい匂いがした。

近くにある製糖工場が原因だろう。

 

 校内に入ると楠木正成公の馬に乗った鎧兜姿の銅像と、

薪を背負いながら読書している」二宮金次郎の銅像があった。

 

 

 

 竹南尋常高等小学校は、尋常科6学級、高等科2学級で生徒数は250程度。

1学級に2名程の本島人がいた。警察官や自営業の子供だった。

 

 

 高等科には、中等学校の入学試験に失敗した者や、

初等教育を終えたいと考えている者が入っていた。

 

 

 校庭の一辺は、榕樹(ガジュマルのこと)が植え込まれ、

運動会での保護者の応援席になった。

 

 

 片隅に運動器具を保管する建物があり傍には

栴檀(せんだん)の大木があった。

 

 

恩師たち

 

1年生 清水貞子先生

2年生 竹澤先生

3年生 藤澤先生

4年生 浅香催十郎先生

5年生 浅香催十郎先生

6年生 浅香催十郎先生

 

 浅香催十郎先生は、6年生の時の通信簿の学科は、

全部、”優”にしてくれた。

 

 

 私の中学校の受験番号は9だったので、

浅香先生は早くに願書を提出してくれたのだなと感謝した。

 

 「中学校には谷口先生という同級生が居るから、

しっかり勉強しろ」と浅香先生は言われた。

 

近衛師団の伍長で柔道、剣道な2段だった。

 

 

 小学校の先生は普通文官で、中等学校の先生は高等文官だった。

谷口先生は検定試験に合格して資格を取得したようだ。

あだ名は”ビヤ樽”。体型に由来する。

 

 

 運動会

大嫌いだった。

 

4人一組の駆けっこはいつも4番だった。