令令和5(2023)年10月15の日記和5(2023)年10月15の日記
一湾生の備忘録 懐かしい台湾 子供の頃
令和5(2023)年10月15の日記
私は、昭和5年(1930年)台湾の基隆市で生まれた。
だが、基隆市での記憶は全く無く、
記憶があるのは、台北市に家族が住んでからだ。
住んでいたのは、御成町だったようだ。</div>
通りの向こうには、外国の公館があって、</div>
毎朝、門の前を掃除していた。
母親はしばしば、公設質屋に行っていました。
生活は苦しかったのだろう。
近くに公園があって、乃木大将母堂ゆかりの碑があった。
随分高いな~と、私は、思っていたが、
戦後台湾を訪問した時に見たが大した高さではなかった。
子供の目。
台湾人の老人たちが、当時流行っていた、
アフリカかたつむり飼育の箱を持ち寄って、
見せ合っていた。
川の向こうには、三板橋(さんぱんきょう)と言って、
火葬場があり2本の煙突からは、黒い煙が出ていた。
台北市の北側に北投(ほくと)と言う温泉が出るところがあり、
企業などの寮がありました。
私は、浴槽で足を滑らし溺れかかりました。
暫くして、終戦により引き揚げるまで住んでいた
新竹州竹南郡造橋庄造橋155番地に移った。