原理講論和訳研究126
「終末論」の「第一節 神の創造目的完成と人間の堕落、(一)神の創造目的の完成」において、

「既に創造原理において詳細に論述したように、神が人間を創造された目的は人間を見て喜ばれるためであった。従って、人間が存在する目的はあくまでも神を喜ばせるところにある。では、人間がどのようにすれば神を喜ばすことができ、その創造本然の存在価値を完全に現すことができるのであろうか。人間以外の被造物は自然そのままで神の喜びの対象となるように創造された。しかし人間は創造原理において明らかにされたように、自由意志と、それに基づく行動を通じて、神に喜びを返すべき実体対象として創造されたので、人間は神の目的を知って自ら努力し、その意志のとおり生活しなければ、神の喜びの対象となることはできないのである。それゆえに、人間はどこまでも神の心情を体恤してその目的を知り、その意志に従って生活できるように創造されたのであった。人間がこのような位置に立つようになることを個性完成というのである。たとえ部分的であったとはいえ、堕落前のアダムとエバが、そして預言者たちが、神と一問一答できたということは、人間に、このように創造された素質があったからである。
 個性を完成した人間と神との関係は、体と心との関係をもって例えられる。体は心が住む一つの家であって、心の命令どおりに行動する。このように、個性を完成した人間の心には、神が住むようになるので、結局、このような人間は神の宮となり、神のみ旨どおりに生活するようになるのである。」

という訳文がある。
この最後の文の「どおりに」と訳されている部分は、
原文を直訳すれば「どおりにのみ」である。
原理講論和訳研究125
「終末論」の「第一節 神の創造目的完成と人間の堕落、(一)神の創造目的の完成」において、

「既に創造原理において詳細に論述したように、神が人間を創造された目的は人間を見て喜ばれるためであった。従って、人間が存在する目的はあくまでも神を喜ばせるところにある。では、人間がどのようにすれば神を喜ばすことができ、その創造本然の存在価値を完全に現すことができるのであろうか。人間以外の被造物は自然そのままで神の喜びの対象となるように創造された。しかし人間は創造原理において明らかにされたように、自由意志と、それに基づく行動を通じて、神に喜びを返すべき実体対象として創造されたので、人間は神の目的を知って自ら努力し、その意志のとおり生活しなければ、神の喜びの対象となることはできないのである。それゆえに、人間はどこまでも神の心情を体恤してその目的を知り、その意志に従って生活できるように創造されたのであった。人間がこのような位置に立つようになることを個性完成というのである。たとえ部分的であったとはいえ、堕落前のアダムとエバが、そして預言者たちが、神と一問一答できたということは、人間に、このように創造された素質があったからである。
 個性を完成した人間と神との関係は、体と心との関係をもって例えられる。体は心が住む一つの家であって、心の命令どおりに行動する。このように、個性を完成した人間の心には、神が住むようになるので、結局、このような人間は神の宮となり、神のみ旨どおりに生活するようになるのである。従って、体と心とが一体となるように、個性を完成した人間は、神と一体となるのである。それゆえ、コリントⅠ三章16節に、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」と記されているのであり、また、ヨハネ福音書一四章20節には、「その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう」と言われたのである。このように、個性を完成して神の宮となることによって、聖霊が、その内に宿るようになり、神と一体となった人間は神性を帯びるようになるため、罪を犯そうとしても、犯すことができず、従って堕落することができないのである。個性を完成した人間は、すなわち、神の創造目的を成就した善の完成体であるが、この善の完成体が堕落したとすれば、善それ自体が破壊される可能性を内包しているという、不合理な結果になるのである。」

という訳文がある。
この最後の文の「破壊される」と訳されている部分は、
原文を直訳すれば「破滅する」である。
天宙清平修錬苑HP から:

2013夏季清平特別大役事

天地人真の父母様の大きな愛と興進様・大母様の精誠の中で清平特別修錬会が行なわれています。天の前に勝利の報告を差し上げるために精誠を尽くされます食口の皆様に天運が共にありますようお祈り申し上げます。
真の父母様の勝利圏と興進様・大母様の精誠と愛で霊界の真の子女様たちと、4600億絶善霊と天使たちが役事した「2013天運相続つつじ浄火祭清平特別大役事」が大きな恩恵と天運が共にある中で行なわれました。興進様・大母様はこの天運を「2013 夏季 清平特別大役事」に連結して、2013年8月23日(金)~ 25日(日)に行なう予定です。多くの方々が参加され大きな恩恵受けてくださいますよう祈願します。
以前に公示した日程では8月9日から11日に予定しましたが、真のお父様聖和1周年追慕式典の事情により8月23日(金)から25日(日)に変更になりましたのでご了承ください

2013夏季清平特別大役事

1. 期間:天暦7月17日(金)出発祈祷会 ~ 天暦7月19日(日)感謝祈祷会
【2013年8月23日(金)出発祈祷会 ~ 8月25日(日) 感謝祈祷会】
1)8月23日(金)から8月25日(日)までの全期間の参加を原則とします。全期間参加すれば、さらに多くの特別霊分立の恩恵を受ける事が出来ます。
2) インターネット予約受付を利用すると、修錬苑に到着したときの受付待機時間が短く便利です。(詳しくは公文もしくは清平のホームページを参照:大役事の受付は7/1以後に行う予定)
2. 参加対象: 参加を希望するすべての食口および祝福家庭
3. 特別恩恵:
1) 真のお父様聖和1周年追慕礼拝(仮称):清心平和ワールドセンター(8/23 午前)
2) 4600億の絶対善霊と天使たちの総動員の役事
3) 聖物抽選イベント
4) 「天運相続・所願成就書」の恩恵および所願成就祈祷会
5) 1~238代先祖祝福式
6) 1~210代 追加先祖解怨式、211~245代先祖解怨式
7) 大母様祈祷室祈祷会 等
4. 修錬会参加感謝献金: 受付日により、感謝献金額が違います。
(受付した日から行事終了まで参加する場合の修錬会参加感謝献金です。:日本所属)
(単位/円) 8月22日(木)~(前泊) 8月23日 (金)~ 8月24日(土)~
中学生以上 8,500円 7,000円 5,500円
小学生 5,000円 4,000円 3,000円
幼児(満0~6) 2,000円 1,500円 1,000円

* 8月21 日(水)以前から前泊する場合は、1泊につき下記の通り修錬会参加感謝献金が必要です(中学生以上:1500円、小学生:1000円、0歳~6歳:500円)。
* 追加先祖解怨を申請する方は、解怨される内容によって別途に先祖解怨献金の他、修錬会感謝献金が必要になります(直系・母方または父の母方・母の母方先祖7代分の1段階に付き4,000円)。
* 中学生以上の参加者には記念品贈呈予定
5.日程とプログラム
日付 プログラム
8月23日(金) 真のお父様聖和1周年追慕礼拝(仮称)、 出発感謝祈祷会、 所願成就祈祷会、讃美役事(1日3回)、 開会式(午後7時)、特別講義
8月24日(土) 大母様の御言(午前)、讃美役事、所願成就祈祷会、大母様祈祷室祈祷会、天正宮博物館巡礼
8月25日(日) 午前 先祖解怨式、先祖祝福式
午後 讃美役事(昼)、 聖物抽選イベント、讃美役事(昼、夕方:大母様および講師陣総動員大役事)、感謝祈祷会(午後8時)
*プログラムは変更する場合があります。
6.案内事項
1) 準備物: 修錬会参加カード、清心カード(インターネット予約受付者)、正装または正装に準じる服装(連合礼拝参加用)、所願成就書感謝献金、白いTシャツ、埃の出ないズボン、洗面道具、靴入れ袋、筆記道具、常備薬、諸経費 等(多くの食口の参加が見込まれますので、荷物は最小化してください。)
2) 感染性の強い疾病(感染性結膜炎、麻疹、等)をお持ちの方は参加をお控えください。
3) 海外旅行者保険に加入してきてください。
4) 特別大役事に関する日程および諸事項は、諸事情により変更される場合がありますのでご了承ください。
原理講論和訳研究124
「堕落論」の「第六節神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由、(三)人間を万物の主管位に立たせるために」において、

「神は人間を創造されてのち、万物を主管せよと言われた(創一・28)。人間が神のみ言のとおりに万物を主管しようとすれば、万物と同等な立場においてはそれをなすことはできない。ゆえに、人間はそれを主管し得るある資格をもたなければならないのである。
 神が創造主であられるがゆえに、人間を主管し得る資格をもっておられるように、人間も万物を主管することのできる資格をもつためには、神の創造性をもたなければならないのである。従って、神は人間に創造性を賦与し、万物を主管し得る資格を得るために成長期間を設け、この期間が満ちるときまで、人間がそれ自身の責任分担を遂行することによって完成するように創造されたのである。それゆえに、人間はこのような原理過程を通過し、完成することによってのみ、万物を主管し得る資格を得て、初めて万物を治めるようになるのである。」

という訳文がある。この最後の文において、「治める」とあるが、
原文を忠実に直訳すれば「主管することができる」である。

一つの文章全体について考えてみると、上記の日本語版原理講論の
「それゆえに、人間はこのような原理過程を通過し、完成することによってのみ、万物を主管し得る資格を得て、初めて万物を治めるようになるのである。」

という訳文をできるだけ原文に忠実に和訳すれば、以下のようになる。

「それゆえに、人間はこのような原理過程を通して、完成することによってのみ、万物を主管することができる資格を得て、初めて万物を主管することができるようになる。」
統一教会員の合同ニュースブログより転載

6月2日日曜日、第9地区の集会で宋総会長は約1時間半、み言葉を語られた。
ご自身も 『わたしは何故このような話までするのだろう?』 とつぶやかれるほど、熱のこもった話であった。
その中でひとつ、お父様に関する興味深い話があったので、ここでお伝えしたい。
2009年、真のご父母様がヨーロッパを巡回された時の事である。フランスの東南部に位置するモナコ公国で地中海を背景にして下のような写真を数枚撮るように命じられたという。
$□ 『原理講論』和訳研究 □

ご父母様の背景にある大型客船の船体にMSCの文字が見えるがこれは偶然に写ったのではなく、このMSCが入るようなアングルで撮影するようにお父様が敢えて指示なさったという事だ。
このMSCは本来 Mediterranean  Shipping  Company (地中海船舶会社)のことを意味するものであるが、お父様は、この時この船を「ノアの箱舟」の位置に立てられて、随行した人々に 「私はピースカップを見るのが目的で(ヨーロッパに)来たんじゃないよ。これをするために来たんだよ。」と語られたという。
*注:2009ピースカップ大会が7月24日~8月3日の10日間
スペインのアンダルシア州各地と首都マドリードで行われた。

そしてこの船体のMSCは 
M(メシア)Messiah SC (再臨主)Second-coming
また  M(母)Mother S(息子)Son C(協力)Corporation
また  M(月→母)Moon  S(太陽→父)Sun C(子供)Children  
を象徴するものと規定された。
そして側近の人々に明かされることなく、ご父母様を含めて8人(ノアの家族と同数)がホテルの部屋に集まったところで、ある象徴的な役事をなされて
最後にノアとハムを完全復帰するための摂理であることを証された。当時ヨーロッパ大陸会長として随行された宋会長ご夫妻はこの一部始終をみられて、あらためて真のお母様の思慮深さに感銘を受けられたという。
*真のお母様のどういう所が思慮深いのか宋会長は具体的に語られましたが、ここでは具体的内容は省略しました。ご了承くださいますようお願いします。

文責Harikawa      
原理講論和訳研究123
「堕落論」の「第六節 神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由、(三)人間を万物の主管位に立たせるために」において、

「神は人間を創造されてのち、万物を主管せよと言われた(創一・28)。人間が神のみ言のとおりに万物を主管しようとすれば、万物と同等な立場においてはそれをなすことはできない。ゆえに、人間はそれを主管し得るある資格をもたなければならないのである。
 神が創造主であられるがゆえに、人間を主管し得る資格をもっておられるように、人間も万物を主管することのできる資格をもつためには、神の創造性をもたなければならないのである。従って、神は人間に創造性を賦与し、万物を主管し得る資格を得るために成長期間を設け、この期間が満ちるときまで、人間がそれ自身の責任分担を遂行することによって完成するように創造されたのである。」

という訳文がある。最後の文の「得るために」を問題にする。
原文を直訳すれば、「持たせるために」である。
この他では「得るようにするために」とか「得させるために」などと訳した方がいいのではないか。
原理講論和訳研究122
「堕落論」の「第六節 神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由、(一)創造原理の絶対性と完全無欠性のために」において、

「創造原理によれば、神は人間が神の創造性に似ることによって、あたかも神御自身が人間を主管されるように人間は万物世界を主管するように創造されたのである。そこで、人間が神の創造性に似るためには、人間自身がその責任分担を遂行しながら成長し、完成しなければならない。このような成長期間を、我々は間接主管圏、あるいは、原理結果主管圏というのである。それゆえに、人間がこの圏内にいるときには、彼ら自身の責任分担を完遂させるため、神は彼らを直接的に主管してはならないのである。そして、神は人間が完成したのちにおいて、初めて彼らを直接主管されるようになっているのである。もし、神がこのような成長期間に、彼らの行為を干渉し、彼らを直接主管されるとすれば、神は彼らが完成したのちに初めて直接主管するというその創造原理を、自ら無視する立場に立たれることになるのである。」

という訳文がある。この最後の文について考察する。
もし、神がこのような成長期間に、彼らの行為を干渉し、彼らを直接主管されるとすれば、神は彼らが完成したのちに初めて直接主管するというその創造原理を、自ら無視する立場に立たれることになるのである。」

「韓国語版原理講論」に忠実に訳する以下のようになると思う。
「もし、神が彼らを直接主管なさることができない成長期間において、彼らの行為干渉なさるようになれば人間の責任分担を無視することになるので、従って、人間に創造性を賦与なさり、万物の主管主として立てられようとする創造原理を、自ら無視する立場に立たれるようになる。」


原理講論和訳研究121
「堕落論」の「第六節 神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由、(一)創造原理の絶対性と完全無欠性のために」のところに、

「創造原理によれば、神は人間が神の創造性に似ることによって、あたかも神御自身が人間を主管されるように人間は万物世界を主管するように創造されたのである。そこで、人間が神の創造性に似るためには、人間自身がその責任分担を遂行しながら成長し、完成しなければならない。このような成長期間を、我々は間接主管圏、あるいは、原理結果主管圏というのである。それゆえに、人間がこの圏内にいるときには、彼ら自身の責任分担を完遂させるため、神は彼らを直接的に主管してはならないのである。そして、神は人間が完成したのちにおいて、初めて彼らを直接主管されるようになっているのである。もし、神がこのような成長期間に、彼らの行為を干渉し、彼らを直接主管されるとすれば、神は彼らが完成したのちに初めて直接主管するというその創造原理を、自ら無視する立場に立たれることになるのである。このように原理が無視されるようになれば、同時に、原理の絶対性と完全無欠性は喪失されてしまう。神は絶対者であり、完全無欠なる創造主であられるがゆえに、神が定められた創造原理も、また絶対的であり、完全無欠でなければならない。それゆえに、神は創造原理の絶対性と完全無欠性のために、未完成期にいた彼らの堕落行為に対して干渉されなかったのである。」

との訳文がある。ここに掲載した最初の文である
「「創造原理によれば、神は人間が神の創造性に似ることによって、あたかも神御自身が人間を主管されるように人間は万物世界を主管するように創造されたのである。」
について考える。
この訳文の原文を直訳すると次にようになると思う。
「創造原理によれば、神は人間が神の創造性に似ることによって、神が人間を主管なさるように人間も万物世界を主管するように創造された。」
原理講論和訳研究120
「堕落論」の「第五節 自由と堕落、(三)自由と堕落と復帰」において、

「天使は、人間に仕えるために創造された。従って、人間が天使に対するのは、どこまでも人間の自由に属する問題なのである。しかし、天使から誘惑された当時のエバは、いまだ知的、あるいは心情的に、未完成期にいた。従って、エバが天使の誘惑により、知的に迷わされ、心情的に混沌となって誘惑されたとき、彼女は責任と実績を追求する本心の自由によって生ずる不安を覚えたのであるが、より大きい天使との愛の力によって、堕落線を越えてしまったのである。エバがいかに天使と自由に対したといっても、取って食うべからずと言われた神の戒めのみを信じて、天使の誘惑の言葉に相対しなかったとすれば、天使との非原理的な愛の力は発動し得ず、彼女は決して堕落するはずがなかった。それゆえに、自由が、エバをして、天使を相手とし、堕落線まで引っ張っていったことは事実であるが、堕落線を越えさせたものはどこまでも自由ではなくして、非原理的な愛の力であったのである。人間は、天使に対しても、自由をもって対するように創造されていたので、エバがルーシェルに対するようになり、それと相対基準を造成して、授受作用をするようになったとき、そこに生じた非原理的な愛の力によって、彼らは堕落したのである。それゆえ、これとは反対に、堕落人間も自由をもって神に対して相対的な立場に立つことができるのであるから、真理のみ言に従って、神と相対基準を造成し、授受作用をするようになれば、その原理的な愛の力によって、創造本性を復帰することができるのである。既に述べたように、人間が本性的に自由を叫ぶようになるのは、このようにして、創造本性を復帰しようとする、本心の自由の指向性があるためである。
 人間は、堕落によって無知に陥り、神を知ることができないようになったので、その心情も分からなくなってしまった。それゆえに、人間の意志はこの無知によって、神が喜ばれる方向を取ることができなくなってしまったのである。しかし、堕落人間においては、復帰摂理の時代的恩恵により、神霊(内的な知)と真理(外的な知)とが明らかになるにつれて、創造目的を指向する本心の自由を求める心情が、復帰されてくるようになり、それによって、神に対する心情も漸次復帰され、そのみ旨に従って生きようとする意志も高まるのである。」

との和訳文がある。この最後の
「しかし、堕落人間においては、復帰摂理の時代的恩恵により、神霊(内的な知)と真理(外的な知)とが明らかになるにつれて、創造目的を指向する本心の自由を求める心情が、復帰されてくるようになり、それによって、神に対する心情も漸次復帰され、そのみ旨に従って生きようとする意志も高まるのである。」
を問題にする。
原文直訳の文章は以下のようになると思う。
「しかし、堕落人間においては、復帰摂理の時代的な恵沢によって、神霊(内的な知)と真理(外的な知)が明らかにされるに従い、創造目的を指向する本心の自由を探そうとする心情も復帰されてきて、それに従って、神に対する心情も次第に復帰され、そのみ旨の通りに生きようとする意志も高まっていくのである。」

原理講論和訳研究119
「堕落論」の「第五節 自由と堕落、(三)自由と堕落と復帰」において、

「天使は、人間に仕えるために創造された。従って、人間が天使に対するのは、どこまでも人間の自由に属する問題なのである。しかし、天使から誘惑された当時のエバは、いまだ知的、あるいは心情的に、未完成期にいた。従って、エバが天使の誘惑により、知的に迷わされ、心情的に混沌となって誘惑されたとき、彼女は責任と実績を追求する本心の自由によって生ずる不安を覚えたのであるが、より大きい天使との愛の力によって、堕落線を越えてしまったのである。エバがいかに天使と自由に対したといっても、取って食うべからずと言われた神の戒めのみを信じて、天使の誘惑の言葉に相対しなかったとすれば、天使との非原理的な愛の力は発動し得ず、彼女は決して堕落するはずがなかった。それゆえに、自由が、エバをして、天使を相手とし、堕落線まで引っ張っていったことは事実であるが、堕落線を越えさせたものはどこまでも自由ではなくして、非原理的な愛の力であったのである。人間は、天使に対しても、自由をもって対するように創造されていたので、エバがルーシェルに対するようになり、それと相対基準を造成して、授受作用をするようになったとき、そこに生じた非原理的な愛の力によって、彼らは堕落したのである。それゆえ、これとは反対に、堕落人間も自由をもって神に対して相対的な立場に立つことができるのであるから、真理のみ言に従って、神と相対基準を造成し、授受作用をするようになれば、その原理的な愛の力によって、創造本性を復帰することができるのである。既に述べたように、人間が本性的に自由を叫ぶようになるのは、このようにして、創造本性を復帰しようとする、本心の自由の指向性があるためである。
 人間は、堕落によって無知に陥り、神を知ることができないようになったので、その心情も分からなくなってしまった。」

との訳文がある。最後の
「人間は、堕落によって無知に陥り、神を知ることができないようになったので、その心情も分からなくなってしまった。」
との訳文は、原文を直訳して、
「人間は、堕落によって無知に陥り、神が分からないようになるように従って、その心情も分からなくなってしまった。」
としてもいいのではないかと思う。