原理講論和訳研究143
「終末論」の「第二節 救いの摂理、(三)人類歴史はすなわち復帰摂理歴史である」において、
「我々は既に、神の救いの摂理はすなわち復帰摂理であるということを明らかにした。このことからして、人類歴史は、堕落した人間を救い、彼らをして創造本然の善の世界に復帰させるためになされた摂理歴史であるといわなければならない。それでは、果たして人類歴史がすなわち復帰摂理の歴史であるかどうかということを、我々はここで、各方面から考察してみることにしよう。
第一に、文化圏発展史の立場から考察してみることにする。古今東西を問わず、いかなる悪人であっても、悪を捨てて善に従おうとする本心だけは、だれでも共通にもっている。だから、何が善であり、いかにすればその善をなすことができるかということは、知能に属することであり、時代と場所と人がそれぞれ異なることによって、それらは互いに衝突し、闘争の歴史をつくってきたのであるが、善を求めようとする人間の根本目的だけは、すべて同じであった。では何故、人間の本心は、いかなるものによっても取り押さえることのできない力をもち、時間と空間を超越して、善を指向しているのであろうか。それは、善の主体であられる神が、神の善の目的を成就するための善の実体対象として、人間を創造なさったからで、たとえ堕落人間がサタンの業により、善の生活ができないようになってしまったとしても、善を追求するその本心だけは、そのまま残っているからである。従って、このような人間たちによってつくられてきた歴史の進みいくところは、結局善の世界でなければならない。
人間の本心がいかに善を指向して努力するとしても、既に悪主権の上におかれているこの世界においては、その善の実相を見ることができなくなってしまっているので、人間は時空を超越した世界に、その善の主体を探し求めなければならなくなった。このような必然的な要求によって誕生したのが、すなわち宗教なのである。このように、堕落によって神を失ってしまった人間は、宗教をつくり、絶えず善を探し求めて、神に近づこうとしてきたので、たとえ宗教を奉じてきた個人、民族、あるいは国家は滅亡したとしても、宗教それ自体は今日に至るまで、絶えることなく継続してそのまま残ってきたのである。」
という訳文がある。ここに掲載した部分の最後の文章に
「このように、堕落によって神を失ってしまった人間は、宗教をつくり、絶えず善を探し求めて、神に近づこうとしてきたので」
とあるが、この部分のハングル原文の直訳は、
「このように、堕落によって神が分からないようになった人間は、宗教を立てて、絶えず善を探してくることによって、神に会おうとしてきたので」
となると思う。
「終末論」の「第二節 救いの摂理、(三)人類歴史はすなわち復帰摂理歴史である」において、
「我々は既に、神の救いの摂理はすなわち復帰摂理であるということを明らかにした。このことからして、人類歴史は、堕落した人間を救い、彼らをして創造本然の善の世界に復帰させるためになされた摂理歴史であるといわなければならない。それでは、果たして人類歴史がすなわち復帰摂理の歴史であるかどうかということを、我々はここで、各方面から考察してみることにしよう。
第一に、文化圏発展史の立場から考察してみることにする。古今東西を問わず、いかなる悪人であっても、悪を捨てて善に従おうとする本心だけは、だれでも共通にもっている。だから、何が善であり、いかにすればその善をなすことができるかということは、知能に属することであり、時代と場所と人がそれぞれ異なることによって、それらは互いに衝突し、闘争の歴史をつくってきたのであるが、善を求めようとする人間の根本目的だけは、すべて同じであった。では何故、人間の本心は、いかなるものによっても取り押さえることのできない力をもち、時間と空間を超越して、善を指向しているのであろうか。それは、善の主体であられる神が、神の善の目的を成就するための善の実体対象として、人間を創造なさったからで、たとえ堕落人間がサタンの業により、善の生活ができないようになってしまったとしても、善を追求するその本心だけは、そのまま残っているからである。従って、このような人間たちによってつくられてきた歴史の進みいくところは、結局善の世界でなければならない。
人間の本心がいかに善を指向して努力するとしても、既に悪主権の上におかれているこの世界においては、その善の実相を見ることができなくなってしまっているので、人間は時空を超越した世界に、その善の主体を探し求めなければならなくなった。このような必然的な要求によって誕生したのが、すなわち宗教なのである。このように、堕落によって神を失ってしまった人間は、宗教をつくり、絶えず善を探し求めて、神に近づこうとしてきたので、たとえ宗教を奉じてきた個人、民族、あるいは国家は滅亡したとしても、宗教それ自体は今日に至るまで、絶えることなく継続してそのまま残ってきたのである。」
という訳文がある。ここに掲載した部分の最後の文章に
「このように、堕落によって神を失ってしまった人間は、宗教をつくり、絶えず善を探し求めて、神に近づこうとしてきたので」
とあるが、この部分のハングル原文の直訳は、
「このように、堕落によって神が分からないようになった人間は、宗教を立てて、絶えず善を探してくることによって、神に会おうとしてきたので」
となると思う。