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教師を辞めて、半年したころの年末に書いていました。
ちょっと、とんがってる?
ちょっと熱すぎる?
でも、根本のところは変わってないかな。
(2007年12月1日土曜日の記事です)
<師走…>
師走とは、先生が忙しくなるという意味からきているらしいが、最近の先生は年がら年中お忙しそうですよね。
その苦労と努力に敬意を表したいと思います。
自分が以前にやっていただけに、どうしてもその忙しさがわかるだけに肩をもちたくなるのである。
という言い方はちょっと変かな?
「肩をもつ」でなく、親身になって応援していきたいです。
自分がやっているときはわからなかったことが、離れてみて、やっとその苦労や忙しさの重みがわかってきたからかなぁ…。
ちょっと情けない、ていうか、アカンやろ、それじゃ…。
でも、先生の忙しさというものはやっぱりやったものしかわからないと思う。
よく腹が立つのは、教育評論家とか、なんとか教育研究所とか言う人が、「教育について考える」とか言って語られるラジオやテレビでの番組!
そして、わかったような文章を並べる新聞の記事や一般の方の批判投稿…それを取り上げる新聞社や週間誌などのマスコミ!
私が教師になった20年くらい前から始まった「教育界バッシング」…。
いい加減にしなければいけないと思う。
一番わかりやすく、でも一番結果が目に見えないものだから、一番「たたきやすい」!
教師をしている間は「勘弁してくれよ!」的な事柄が今では当たり前になっている。
具体的に事柄をあげるまでもないでしょう。
そんななか、先生達は、目の前の子どもをかかえながら、あらゆる場面において偏見に満ちた視線にさらされながら、それでも純粋な教育を求めて必死である。
間違えてはならない!
そこで一番の救いになるのは、何か……!
保護者からの応援である。
そのことに、わりと先生自身も保護者もわかってないことが多いのがさびしい。
いっしょに手を取り合えば、大きな大きな力になるのに…。
私はそのことを現職のときにもよく感じたが、声を大きくあげることは、やっぱりなかなかできなかった。
家庭と学校の対立関係の構図が社会やマスコミによって作り上げられてきていたから、というと「逃げ」か。
一旦できたイメージを壊すことほど難しいことはない。
「不良」とレッテルを貼られた子どものように…。
ここらへんで、もう終わりにしましょう。
今の子どもを取り巻く数々の問題は、家庭と学校が対立している場合では、何ひとつ生み出すことはできないほど、社会的な課題にまで広がってきているではありませんか。
このあたりで、双方手を取り合って、未来ある子どもたちのために、いっしょにがんばろうではありませんか!
それが今、です。
私は、そういう立場に立って、「学校教育」を応援していきたいです。
そういう「親」でありたいなと思っています。
(なにかしら、どういうわけか熱くなってしまった。=3 )
(o^-')b
これが、愛車ディオンくん。今週でお別れ…。
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ちょっと、とんがってる?
ちょっと熱すぎる?
でも、根本のところは変わってないかな。
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師走とは、先生が忙しくなるという意味からきているらしいが、最近の先生は年がら年中お忙しそうですよね。
その苦労と努力に敬意を表したいと思います。
自分が以前にやっていただけに、どうしてもその忙しさがわかるだけに肩をもちたくなるのである。
という言い方はちょっと変かな?
「肩をもつ」でなく、親身になって応援していきたいです。
自分がやっているときはわからなかったことが、離れてみて、やっとその苦労や忙しさの重みがわかってきたからかなぁ…。
ちょっと情けない、ていうか、アカンやろ、それじゃ…。
でも、先生の忙しさというものはやっぱりやったものしかわからないと思う。
よく腹が立つのは、教育評論家とか、なんとか教育研究所とか言う人が、「教育について考える」とか言って語られるラジオやテレビでの番組!
そして、わかったような文章を並べる新聞の記事や一般の方の批判投稿…それを取り上げる新聞社や週間誌などのマスコミ!
私が教師になった20年くらい前から始まった「教育界バッシング」…。
いい加減にしなければいけないと思う。
一番わかりやすく、でも一番結果が目に見えないものだから、一番「たたきやすい」!
教師をしている間は「勘弁してくれよ!」的な事柄が今では当たり前になっている。
具体的に事柄をあげるまでもないでしょう。
そんななか、先生達は、目の前の子どもをかかえながら、あらゆる場面において偏見に満ちた視線にさらされながら、それでも純粋な教育を求めて必死である。
間違えてはならない!
そこで一番の救いになるのは、何か……!
保護者からの応援である。
そのことに、わりと先生自身も保護者もわかってないことが多いのがさびしい。
いっしょに手を取り合えば、大きな大きな力になるのに…。
私はそのことを現職のときにもよく感じたが、声を大きくあげることは、やっぱりなかなかできなかった。
家庭と学校の対立関係の構図が社会やマスコミによって作り上げられてきていたから、というと「逃げ」か。
一旦できたイメージを壊すことほど難しいことはない。
「不良」とレッテルを貼られた子どものように…。
ここらへんで、もう終わりにしましょう。
今の子どもを取り巻く数々の問題は、家庭と学校が対立している場合では、何ひとつ生み出すことはできないほど、社会的な課題にまで広がってきているではありませんか。
このあたりで、双方手を取り合って、未来ある子どもたちのために、いっしょにがんばろうではありませんか!
それが今、です。
私は、そういう立場に立って、「学校教育」を応援していきたいです。
そういう「親」でありたいなと思っています。
(なにかしら、どういうわけか熱くなってしまった。=3 )
(o^-')b
これが、愛車ディオンくん。今週でお別れ…。
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