ROCKIN'ON JAPAN FILE (1988) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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ロックを中心とした昔話、新しいアフロ・ポップ、クラシックやジャズやアイドルのことなどを書きます。

 今回は音楽雑誌の増刊に類する本について書きます。『ROCKIN'ON JAPAN』(以下、『ジャパン』)に掲載されたインタビューをまとめた『ROCKIN'ON JAPAN FILE』(1988年3月。以下、『ファイル』)です。黄色い表紙の本で、翌年の5月には緑の表紙のVOL.2が刊行されました。
 3冊目や続刊を見かけたことがないのですが、なにか別の形で出たのでしょうか。私が『ジャパン』を読んでいたのは1990年代の中頃までだったので、断言できません。

 黄色いVOL.1の奥付に近いページには、「3月16日からロッキングオン・ジャパンは月刊化します!」という告知が載っています。まだ隔月誌だったのです。そのタイミングでインタビュー集を刊行したのも、創刊(1986年10月号)からようやく月刊誌に変わる区切りと、さらなる勢いをつける意図があったのでしょう。
 その告知文には署名がありませんが、初代編集長だった渋谷陽一によるものだと思われます。「毎号確かな手応えを感じる事ができ、これならば月刊化も可能だろうと判断したのです」「本来、ロッキング・オンの最大の戦略武器であった批評性をこれまでのジャパンは意図的に排除してきました。それを大幅に導入する為、より雑誌らしい雑誌になるでしょう。期待して下さい」──クォリティ面でもビジネス面でも勝たなきゃ意味がない、という渋谷陽一の気概が伝わってきます。
 
 『ジャパン』が創刊された1986年の秋に、それ以前から『ロッキング・オン』を読んでいた私は18歳でした。もともと洋楽のロックを専門的に扱う雑誌が読みたくて『ロッキング・オン』を手に取り、十代の終わりには毎号を次の号が出るまで読みつぶしていました。手許に数冊残った当時の同誌を開くと、自分の視線がページ上を何度も往復した跡が見えるかのようです。
 洋楽誌の『ロッキング・オン』にも日本のミュージシャンの記事は掲載されていて、1980年代の中盤だとRCサクセションとルースターズの人気が高かったと記憶しています。
 1986年というと、BOØWYがライヴ盤を含む3枚のアルバムをリリースした年です。『ジャパン』の創刊動機のひとつが、BOØWYのような傑出した日本語ロックのバンドがメインストリームに浮上してきたから、だったと聞いたことがあります。私はBOØWYのファンではなかったのだけど、渋谷陽一が気炎をあげて臨む日本のロック雑誌ならばと、佐野元春が表紙を飾る創刊号を買いました。

 『ファイル』は『ジャパン』の看板となった「2万字インタビュー」をメインに、誌面では未収録だった部分を増補してまとめた本です。「2万字」以外のインタビューも収録されていて、そちらは字数こそ少なめではあっても視点に齟齬はありません。
 当時の私の友人に「2万字インタビュー」のことを「取り調べ」と呼んでいた者がおりまして、たしかにミュージシャンの生い立ちから質問していくスタイルは、そう呼びたくなるところもありました。ストリート・スライダーズのハリーと蘭丸のように、そうした事柄をあまり語りたがらない人もいて、それはそれで面白い内容だったのは、文字起こしの的確さも関係したのでしょう。
 このインタビュー・スタイルが目新しかったのは、(日本では)ミュージシャンが自分のバイオグラフィーをペラペラと喋る人たちではなく、インタビュアーが根掘り葉掘り訊くトピックでもなかったからでしょう。もちろん、そういう際に雄弁なミュージシャンもいたはずですが、生い立ちは必要最低限だけ語るというスタンスが多かったと思います。

 じつは今回この『ファイル』を久しぶりに読むにあたって、かなり批判的な感想をおぼえるのではないか、と予想していたんです。

 等身大のアーティスト像を読者に届けるために始められた『ジャパン』流のインタビューは、読者がアーティストに持つ印象をバイオグラフィー的なディテールで裏付け、ファンの想いをいっそう強固にさせる効果があります。
 私だって忌野清志郎などの「2万字インタビュー」を夢中で読む若者でした。BOØWYの結成にいたるエピソードも、彼らの音楽への関心以上に面白く読みました。尾崎豊にしても私は全然好きではなかったのだけど──彼について思うことはそれだけではないので、いずれ記事に書きますが、ここでは「全然好きではなかった」に留めます──『ファイル』に収録されたインタビューを読んで納得することが多々ありました。
 取材する側もされる側も、このようなバイオグラフィー型のインタビューに慣れていなかったようです。それが適度の慎みを含んだうえでの砕けた対話の空気を醸しだし、読者も意識せずにその空気を追体験していました。

 そのいっぽうで、そこで読み手に働く感情がバイオグラフィーへの共感のみになると、”頭でっかち”ならぬ”心でっかち”な読者層が膨れ上がる恐れがあります。”頭でっかち”よりマシじゃないかと言う人もいるでしょうが、共感には熱い血が通っている反面、その熱さが視野の狭窄を招くこともあります。『ジャパン』のように読者の大半が若者である雑誌がバイオグラフィー型のインタビューを武器とすることは、そんな危険性もはらんでいました。
 私は1990年代の中盤に、ミュージシャンの人となりに偏った『ジャパン』の誌面作りに疑問をおぼえだしました。その傾向が強まるにつれて、私は『ジャパン』からも『ロッキング・オン』からも遠ざかるようになりました。

 ところが、今回『ファイル』を読み返してみたら、存外に面白くて感心したのです。トップバッターを務める佐野元春の章(インタビュアー=渋谷陽一)の段階で、すでに知っている話だらけなのに引き込まれました。
 この時期の佐野元春は、私も好きな『Cafe Bohemia』に収まることになるシングルを連発していた頃。しかしインタビューにプロモーションの雰囲気はなく、子供時代に関する質問からスタートします。そのインタビューの初出が『ジャパン』の創刊号とあって、対話する双方に手探りの感が読み取れます。ざっくばらんには崩さない佐野の口調が、ピンと張った糸を一本足しているかのようです。バイオグラフィーに関する日本語でのやりとりが、佐野の言葉で理路整然と英作文に変換されていくみたいで、これがいいんです。
 佐野が前年(1985年)のシングル「Young Bloods」がヒットしたことを「喜びもひとしおだった」と述べたところに、渋谷陽一が「でも、ベスト・ワンにはなってないわけですよね。おニャン子のポップ・ソングより、ポップ・ソングとして劣ってると思います?」と、じつに意地の悪い質問で攻め込みます。それまでの理路整然からポロッと「喜び」がこぼれた直後を衝いた問いかけです。それに対する佐野の返答は、「・・・・・・劣ってるとは思わない。しかし、マジックが足りないと思ってる」。苦くも鮮やかな返し。さすがです。この答えを得られたのは、渋谷陽一の意地の悪さのおかげです。

 ほかの全てのインタビューについて詳しく書くと大変なことになるので、いくつかを選んでみます。

 山下達郎(インタビュアー=渋谷陽一)。
 ひとりア・カペラの多重録音アルバム『オン・ザ・ストリート・コーナー』の2作目を発表したタイミングでのインタビューです。山下達郎が音楽に向かう姿勢の根っこの部分を、渋谷陽一の思い込みに囲われながらも、ひとつひとつの心当たりを答えています。「僕に言わせりゃ何も変わんないんですよ。プログレ聞いてここまで来たってね、R&B聞いてここまで来たって結局おんなじなんですよ、僕にとっては。それが人間の差をどれだけ作るかって、僕は疑問なんですよね。そうじゃなかったら、あなたのようなブリティッシュ・ビート一辺倒の人間と共通の話題が持てないですもん」。

 忌野清志郎、仲井戸麗市(どちらもインタビュアー=渋谷陽一)。
 清志郎は初のソロ・アルバムをロンドンでブロックヘッズのメンバーらとレコーディングした後のインタビューで、この時期の彼は単独で『さんまのまんま』にも出演してました。
 インタビューでは幼少期に始まり、事務所に干されていた頃のことも赤裸々に語られています。これがなかなかの暗黒期で、諦めずにロック・バンド編成で甦ったのが不思議なくらい。清志郎は言葉数が少ないほうなので、渋谷陽一があらかじめ導線を引いた質問をして、清志郎がそれに沿って答えるのがパターンでした。ものぐさな感じと照れの漂う答えですが、インタビュアーとの呼吸がそれを深みを持って弾ませています。
 チャボが語るRCのヒストリーは、清志郎との出会いや交流のエピソードがさりげなく温かいです。答えの端々から、気遣いの濃やかなチャボの人柄が垣間見れるのと、彼が言葉に意識的なミュージシャンであることが伝わってきます。

 村越弘明(インタビュアー=渋谷陽一)、土屋公平(インタビュアー=佐藤健)。
 かなり手こずったインタビューだったようで、まあ、多くを語りたがらない人たちです。インタビュアーがハリーに「頼むから喋って!」と懇願しているのが、いち読者としては笑えます。
 しかし『ファイル』が発売された当時も、現在読み返しても、それなりに流れのあるインタビュー記事に仕上がっていると思います。掲載された文字数の何倍もの沈黙があったとのことですが、ちゃんと質問を受けとめて答えを返しているのです。インタビューがスムーズに運ばなかった現場の空気をダイレクトには感じさせません。
 この本が面白いのは、ミュージシャンの音楽が聞こえてきそうな対話が揃っている点です。私がそれを求めているからかもしれませんが、スライダーズの章では特に、彼らのブルージーなロックンロールがページから立ち上がってくる気がします。

 矢沢永吉(インタビュアー=渋谷陽一)。
 『成りあがり』という聞き書きの自伝にして名著があるのを念頭においたのか、ここでは矢沢永吉の音楽的な感性、もっと言うと音楽に働かせる勘についてのインタビューが展開しています。当時はまだ、そういうアングルから永ちゃんの発言を読める機会は少なかったと思います。
 彼がそれまでに自分で買った数少ないレコードの話など、たったその程度のリスニング経験であのサウンドを実現できるのかと驚きます。天才なのでしょう。ある意味で理想的なミュージシャンの在り方だとも言えますが、みんながこうなれるわけではありません。巨大な例外ということですね。

 大滝詠一(インタビュアー=渋谷陽一)。
 1988年に読んだとき、筋道がよくわからなかったインタビューです。渋谷陽一の「なぜ『A LONG VACATION』の前に音頭やコミック・ソングばかりを作っていたんですか?なにがしかの意地があったんですか?」という問いと、それに対して蘊蓄めいた例え話を出して即答しない大滝詠一。この攻防戦の面白さがわからなかったのです。
 渋谷としては、あの大ヒット・ポップ・アルバムで伝家の宝刀を抜くまでに、どんな意地とコダワリがあったのかを聞き出したい。大滝はそこに意地があったかどうかも話さない。やんわりと、「渋谷くん、それはキミの思い込みだよ」と言いたげではありますが、相手の技量を楽しむかのように自分を追いかけさせています。
 渋谷「いわゆる、そのどメジャー・ポップ路線に対する抵抗感みたいなのはなかったわけですか」
 大滝「どれがどメジャー・ポップなの?」
 渋谷「『ロング・バケイション』ですよ」
 大滝「『ロング・バケイション』はどメジャー・ポップじゃないでしょお。嘘ですよ、あれは何年間にわたる大滝詠一の研究成果ですよ」
 楽しい。めんどくさいオヤジどうしの理屈バトルです。途中で二段三段と構えた大滝の蘊蓄反撃が痛快だし、負けじと食い下がる渋谷のしつこさも、大滝ファンには嫌われるのかもしれませんが、私には面白いです。
 
 長文になっているので、そろそろ締めにかかります。
 『ファイル』の黄色い表紙には、インタビューされたミュージシャンの名前が14人ぶん並んでいます。
 忌野清志郎と大滝詠一と尾崎豊の3人が故人で、今の感覚で眺めると大御所ばかりですが、1988年の時点でも彼らの半数以上は中堅~ベテランでした。当時、若手に該当していたのは、布袋寅泰、氷室京介、村越弘明、土屋公平、尾崎豊、それにちょっと微妙でしたけど大沢誉志幸の6人。中でも大多数の若者にアピールしていたのは、BOØWYと尾崎でしょう。
 ちなみに翌年のVOL.2では、尾崎、布袋の再登場と、サンプラザ中野、いまみちともたか、どんと、カールスモーキー石井、木暮武彦、久保田利伸、花田裕之、下山淳が入ります。これもルースターズは若手に括るには微妙でしたが、ベテランは忌野、佐野の再登場と、浜田省吾、大友康平を数えるのみです。
 VOL.2の発売は1989年。バンド・ブームの最盛期です。やはりルースターズは別枠だったとはいえ、インタビューの顔ぶれには時代が反映されています。

 そこへいくと最初の『ファイル』は、1960年代にロックやポップスに目覚めて音楽を始めたミュージシャンが本の中身のコアを成しています。佐野元春、山下達郎、忌野清志郎、仲井戸麗市、矢沢永吉、大滝詠一、浜田省吾、桑田佳祐。壮観です。不在が惜しまれるのはYMOの3人とユーミンくらいか。
 今回、批判的な感想を持つかと予想していた本書を意外にも楽しく読んだのは、彼らが日本でロックが新しい音楽だった時代に活動を始めたミュージシャンたちだからです。その発言の向こうに、ライヴで「帰れ!」と罵声を浴びせられたり、地道なラジオ局まわりを経験したり、レコード会社から意に沿わない音楽をやらされそうになった、誤解や不理解との戦いが自然と浮かび上がります。それはBOØWY、スライダーズ、尾崎にもあったのでしょうが、彼ら「若手」組は先達が土地を耕した後にデビューしました。
 この『ファイル』を買ったとき、私は自分が「若手」に近い年齢だったにもかかわらず、中堅~ベテラン組のインタビューに惹かれました。共感するには育ってきた時代と環境が違いすぎていましたが、そんなことはハードルではありませんでした。むしろ語られる内容と自分とのギャップを噛みしめつつ、彼らを見上げる格好で関心を深めて、そこから共感を抽出していったのです。それはおそらく、遠い異国のロックに惹かれる気持ちと似ていたように思います。
 

『ROCKIN' ON JAPAN FILE』VOL.2の記事へ続く