サザンオールスターズ/ Bye Bye My Love (1985) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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サザンオールスターズ/ Bye Bye My Love (U are the one)  (シングル 1985)

 5月末だったんですね、サザンオールスターズのシングル「Bye Bye My Love U are the one)」が発売されたのは。

 8月に「メロディ(Melody)」が出て、アルバムの『KAMAKURA』は9月だったから、それより前だとは認識していましたが、1985年の529日だったようです。

 そう言われてみると、夏が来る前に、やや冷えた清涼飲料水を喉に流し込む新鮮な心地で、この曲を迎えたような気がしてきます。ひとつ前のシングル「tarako」や、さらに前の「ミス・ブランニュー・デイ」も、シンセの音がヒンヤリとしていたのですが、「Bye Bye My Love」にはもっとファンタジックな浮遊感が備わっていてました。

 

 『KAMAKURA』については、かなり前に記事を書いたことがあります(こちら)。

 それに付け加えるならば、5月にプリンス&ザ・レヴォリューションのRaspberry Beret(これも清涼感と浮遊感!)のシングルが出て、7月に『ライヴ・エイド』が開催された、初夏から夏にかけての空気。

 高校3年生だった私が親がかりで暮らしていた状況を差し引いても、未来に今ほど暗雲が見えなかった社会の、ある種の楽園的な空気が「Bye Bye My Love」からも思い出されます。

 イントロと曲間でフルート(アルト・リコーダー?)系のシンセ音が奏でるリフが耳に残ります。フォルクローレかロシア民謡っぽくて、ケルト風の雰囲気もある。スネア・ドラムのアクセントはフォークダンスにも適しています。

 私が連想したのは、前年の11月にリリースされたニック・カーショウのThe Riddleでした。あれもケルトとスラヴが同居したような旋律で、リズムもフォークダンスに合いそうです。

 コンテンポラリーな洋楽ヒットとの関連で言えば、「Bye Bye My Love (U are the one)」のUはプリンス由来だし、歌詞の「U are the world 」はWe Are The Worldから。それらのキーワードは高校のクラスでも話題になりました。

 「Bye Bye My Love」は曲本編もメロディアスです。けれど絢爛さとは印象の異なる牧歌性が漂っています。

 曲の柱となっているのは「華やかな女が通る(ラシド#レド#シ~ラソ#ファ#~ド#~)まぼろしの世界は(レミファ#ソ#ラシ~ラソ#ミ~)」のメロディーで、A(イ長調)のラシド#レミファ##が総動員されています。キラキラと目映い川の流れのようなメロディーですが、スケールに対してオーソドックスな作りなのです。

 コード進行も、Aの循環コードを基盤に、ほぼ逸脱せずに構成されています。終盤にコードの一部を変えているとはいえ、これも素直な作りです。

 ヒネらずして特別な煌めきを放ち、しかも万人に親しみやすい旋律とコード進行。「Bye Bye My Love」は潤いと牧歌性に恵まれた曲です。

 

 ただし、アレンジとレコーディングには、『KAMAKURA』の先行シングル第一弾に選ばれただけあって、凝りに凝ったアルバムの内容が集約されています。

 

 フェアライトCMIとヤマハDX7のほかに、ローランドのシンセも使われているようです。終盤のコーラス・リフレインをバッキングするストリングス・サウンドも、一機種のみではなさそう。

 フルート系の音は、「よどみ萎え、枯れて舞え」(『人気者で行こう』収録)でもイントロを飾っていましたが、あちらはローランドのJupiter 6で、「Bye Bye My Love」はDX7ではないでしょうか。

 声やブレスをサンプリングした音が入っており、局所的にダブの効果で不意打ちを仕掛けてきます。エレクトリック・ドラムが随所でフィルインに加えられるのもミッド・エイティーズ印。

 かと思うと、マンドリンもしくはブズーキのトレモロが聞けます。アコーディオンがストリングス的な鳴りを施されて登場し、チェロやヴァイオリン、それにサックスも彩ります。

 曲のトーンの下地を担うのはオルガン系のシンセで、ビートルズのIn My Lifeの間奏を彷彿とさせるフレーズを弾いたりします。アコースティック・ギターを重ねて曲の表情に小波を立たせ、エレクトリック・ギターにジョージ・ハリソン的な出番が与えられています。

 

 これらがギュウギュウに詰め込まれているのではなく、適度なスペースを空けて風通しよく設計されているのが「Bye Bye My Love」の美点です。その涼しさはアルバム『KAMAKURA』にもっと必要だったものかもしれません。

 そしてハーモニーで際立つ、原由子の声。彼女の歌声はその「風通し」を具体的に表しています。上に挙げたアレンジのディテールは、ほとんどが断片として楽曲内に散りばめられ、それが心象風景をパノラマで描く絵の具の役割で配されているのですが、原由子のハーモニーも人懐こく不思議な音を出す楽器であるかのように、桑田佳祐のヴォーカルと絶妙に背中合わせな調和を聞かせます。

 

 この浮遊感を湛えたポップ・ソングに、桑田佳祐の歌が焼けついた声でブルースの陰翳を絡ませます。

 「ハッと見りゃ湘南御母堂」の遊びに始まり、ストーンズのShe's A Rainbow(「華やかな女が通る」)やドアーズ(「まぼろしの世界」)といったサイケな記号に目配せしながら、歌われているのは失恋の痛手、あがき。「遥か遠くに女晴れ」の特異で秀逸な語感も、「我はカモメ、恋に鳴く」のユーモラスな嘆きと対になっています。

 憐れさと滑稽さが一体化し、なおかつ聴き手の柔軟な解釈に開かれた歌詞を、「人々が眠るころ、俺は泣き続ける」「酔い醒めのヌードで今、誰かに抱かれてる」と、しゃがれ声で歌い手の側に引き戻す手綱さばき。滑らかなメロディーを歌でドライヴさせて埃まみれにし、「言葉と裏腹」な哀しみを味わう混乱に、ラストで初めてタイトルを「ウォーイェーッ!Bye Bye My Love!アゥッ‼︎」と叫びます。最高です。

 

 ここで桑田佳祐が歌う「湘南御母堂」も「水色の天使」も「遥か遠くに女晴れ」も、深読みしたところで意味はないのでしょう。

 だけど彼の塩辛いヴォーカルは、これらの歌詞を「忘られぬ物語」のパーツとしてイキイキと躍らせ、聴き手を狂おしくさせます。たとえ作り手が歌詞で何も語っていないのだとしても、彼の歌が聴き手の想像力を刺激し、ペイズリーでマジカル・ミステリーなメロディーとブルースの苦みが混ざり合う楽園へと向かわせます。

 

 私は『KAMAKURA』が世に出る前の、「Bye Bye My Love」がテレビやラジオや街中で流れまくっていた頃をおぼえています。

 高校3年で受験生で、ひたすら暑いだけの夏でした。ガールフレンドも意中の子もいないのだから、失恋のしようがない。

 そんな冴えない17歳がこの曲の「抱きしめたいほどに愛してた」に焦燥にも似た胸騒ぎをおぼえました。理由は謎です。あのメロディーに、桑田佳祐の歌声に、訳もなく心を揺さぶられたのです。

 自分が誰を抱きしめたかったのか、愛してたのか、さっぱり思いあたりません。そこにあるのは「Bye Bye My Love」の風通しのいい音だけ。

 この曲は、そうやって青春を持て余していた多くの若者にも届けられた、夏のプリズムではなかったのか。私はそれを屈折して通り抜ける、鮮やかで涼しげな光を見ていたような、そんな気がしてなりません。やがてその「夢出づる人魚のような」光は2枚組大作に吸い込まれて、「思い出が住む」と歌われていた場所で、85年の夏の記憶とともに今も輝いているのです。

 

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