It's a Fine DayとクリネックスのCM(1985年) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

ロックを中心とした昔話、新しいアフロ・ポップ、クラシックやジャズやアイドルのことなどを書きます。

 「あけましておめでとう ♪イッツ・ア・ファイン・デ~♪」
 そう書かれた年賀状がクラスメイトのKくんから届いたのは、1986年の元日のことでした。
 私もKくんも大学入試を翌月に控えていました。そんな受験生が「ア・ハッピー・ニュー・イヤー」を「イッツ・ア・ファイン・デー」と間違えるはずがありません。彼からの冗談でした。その冗談を目にした私は「正月早々、不吉なことを書きやがって!」と苦笑しました。

 It's a Fine Day。それは前年にクリネックス・ティシューのCMで使われていた曲のタイトルでした。
 薄暗い赤色を背に、白いドレスを着た松坂慶子と赤鬼の格好をした幼い男の子が胡座をかいて向き合い、クリネックスの箱からティッシュ・ペーパーを摘んで、フワリと宙に飛ばして遊ぶ。その様子に流れるのが、♪It's a fine day. People open windows♪とアカペラで歌う女性の歌声。
 現在なら、ティッシュを無駄に使って子供がマネしたらどうする、などと叩かれるかもしれません。当時もその種のクレームはあったのでしょうが、実際にはこのCMはべつの点でちょっとした物議を醸しました。

 不気味だったのです。多くの人がこのCMに、なんとも言いようのない戦慄をおぼえました。怖がって泣き出す子供もいたと聞きます。私もティッシュの宣伝らしからぬ異様な空気が漂っているなと感じました。

 同じ年にNHK大河ドラマ『春の波濤』で主役を演じていた松坂慶子は柔らかく優しい表情を浮かべていたし、赤鬼の男の子も無心に遊んでいるように見えました。アカペラの歌は声もメロディーも涼しく、キャッチーでさえありました。
 でも、明快な赤ではないバックの色調、赤鬼の子と松坂慶子が仲睦まじく遊ぶ不自然な光景、そこに流れる美しいアカペラの取り合わせは、視聴者にスンナリと飲み込めない異物感をもたらしました。
フワリと宙を舞うティッシュ・ペーパーの軽さ(=商品のセールス・ポイント)は、あまり印象には残っていません。

 80年代の序盤から中盤にかけては、たとえばサントリー・ローヤルのCM「ランボオ編」(1983年)のように、時空の歪んだファンタジー世界を詩的な映像で描く例はほかにもあったのです。ナンセンスなユーモアを帯びたCMもいっぱいありました。むしろ、それらがゴールデン・タイムを賑わせたのが80年代だったとも言えます。
 にもかかわらず、クリネックスのそのCMは多くの人にトラウマ的なインパクトを与えました。学校でも薄気味悪いとの声をよく耳にしたものです。
 やがてそこから都市伝説めいた噂が派生しました。いわく、赤鬼役の男の子が不慮の死をとげた、松坂慶子も心を病んだ、CMの関係者が次々と不幸な事故に見舞われた、などなど。
 私がKくんから聞いたのは、あの曲の歌詞にはヨーロッパの魔女狩りを暗喩する言葉が隠されていて、それは「死ね、死ね」を意味する、という説でした。

 

 全てはデマだったわけですが、そう言われてみれば、と信じたくなる気持ちが当時の私にもありました。
 私たち二人は放課後に『ドグラ・マグラ』について語り合うような高校生でした。あやかし、異端、神秘主義、そういったトピックに目がない若者だったのです。不慮の死などの話は(今でいう)ネタとして当時から半笑いで駄弁っていましたが、魔女狩り云々については私もKくんも否定しきれませんでした。それで彼はあのような年賀状を冗談で書いてよこし、私はそれを読んで「不吉な!」と苦笑したのです。私たちはその説を「信じていた」というよりも、その説に「惹かれていた」のでした。そして、あのCMで聞くIt's a Fine Dayにはそんな好奇心を促進させる何かがありました。

 この曲の歌手のクレジット名はジェーンです。彼女はジェーン・ランカスターというイギリス人。
 ソングライターはエドワード・バートンで、この人はアーティストであり、マンチェスターのポップ・カルチャーの顔役的存在で、ジェイムズや808ステイトとも関わりを持っています。彼がジェーンをヴォーカリストにIt's a Fine Dayを録音したシングル盤は、いくつかのレーベルを経たあと、1983年にチェリー・レッドから発売されました。
 チェリー・レッドはポスト・パンク〜ネオアコのファンなら誰でも知っているインディ・レーベルです。そのレコードはイギリスのインディ・チャートで5位にまで上るヒットとなりました。
 チェリー・レッドというと、とても有名なサンプラー・アルバム『ピロウズ&プレイヤーズ』(1982年12月にリリース)があり、ポスト・パンク~ネオアコのバイブルみたいな扱いで聴き継がれています。その第2弾の『ピロウズ&プレイヤーズ2』は1984年に日本で独自に作られて、2曲めにジェーンのIt's a Fine Dayも収められました。

 つまり、1984年に『ピロウズ&プレイヤーズ2』を聴きこんでいたようなアンテナ感度の高いニューウェイヴ・ファンであれば、翌年にクリネックスのCMでIt's a Fine Dayがテレビから流れたとき、『ドグラ・マグラ』かぶれの中途半端な若者とはべつの感想を持ったはずです。
 彼らにしてみれば、何をそんなにザワついているの?と思ったでしょう。仮に私が彼らの立場だったら、魔女狩り云々のハナシも間違いなく馬鹿にしていました。
 私はザ・スミスやアズテック・カメラを聴いていたし、『ピロウズ&プレイヤーズ』のシリーズも雑誌の広告で見かけたことはあるけれど、実際に聴いたのは1990年代に入ってからです。1985年に地方の公立高校の生徒が知っていたのはマドンナやプリンスであって、ザ・スミスあたりは「認識の限界」。『ピロウズ&プレイヤーズ』なんてのは、さらに外側の文化圏でした。

 It's a Fine Dayの曲のキーはC#m。途中でAメジャーのパートが挿まれています。そのパートへの変化はライトにミュージカル調ですが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのサード・アルバム的と形容するほうがチェリー・レッドから出たレコードにはふさわしいでしょう。ただ、その展開部はCMで流されていません。
 楽器は使用されておらず、最初から最後までジェーン・ランカスターの歌のみ。発声はヴィブラートもなく音程も素朴で、だけど歌うことは好きなんだろうなと思わせます。テンポやタイミングはジェーンの体感に任せてあるのでしょう、彼女の休符の間合いを完全にコピーするのは難しそうです。
 作者のエドワード・バートンはまず詩を作って、ジェーンよりも先にルーという女友達に電話で歌って聞かせたそうです。ルーがそれをカセット・テープに吹き込んで送ってきた歌は採用されませんでした。

 ジェーンはエドワードとの共通の友人ゲイブリエルの紹介でレコーディングに参加したのですが、彼女はゲイブリエルのことが好きで、彼に近づきたかったのだそうです。

 ジェーンのヴォーカルを得たIt's a Fine Dayはイギリスで好評を博し、日本のお茶の間では、彼女の素朴に弾んで素朴にメランコリックな歌声が松坂慶子と赤鬼の子の周りを跳ねることになりました。

 歌詞を見てみましょう。
 今日はお天気 みんな窓を開けて ちょっと外に出る
 芝生のそばをお散歩して 芝生をながめて お空を見上げる 
 今夜はたのしい夜になる 明日はたのしい日になる

 魔女狩りも「死ね、死ね」もいっさい想起させません。禍々しい噂を呼ぶような歌詞ではない。
 ところが、CMに使われなかった展開部に入ると、歌詞の表情がやや曇ってくるんです。
 野原に座って 私は思いだす 一緒にここに来るのをどんなに楽しみにしていたか
 一緒に来れるはずだったのに 雨だか用事だかで・・・

 天気が好かったはずが、突然の曇り具合です。このパートは主旋律のマイナーからメジャーに変わっていて、逆にそれが歌詞の欠落感を際立たせ、意味の深みを増します。
 
 『ピロウズ&プレイヤーズ2』にはミュージック・ビデオ集があります。It's a Fine Dayのビデオはこんな内容です。
 イギリスの田舎町に暮らす女性がいて、軍人の夫が休暇で帰ってきます。彼はまだ赤ん坊の息子のために足漕ぎの自動車を買ってきます。戦争の映像が短く挿まれ、お父さんの出征が暗示されます。数年が流れて成長した男の子はその玩具に乗って遊び、お母さんは息子を見守っているのですが、お父さんの姿は見あたりません。
 映っている天気は好いのだけど、ビデオの内容はどこか欠落感で曇っているのです。あの曲はイギリス人にも何か不吉さや不幸な結末を想像させたりするんですね。
 とくに、この曲には突然翳りを帯びる展開部が設けられているので、歌の主人公になにかが起きたのだな、戦争のような大ごとではなくとも、何らかのヒビが入っているのだな、と想像させる要素は充分に備わっています。

 日本ではどうだったのか。
 しつこく繰り返すと、あのCMでは主旋律の短調パートのみが使用されていました。「一人で野原に座って」の曇りの部分は使われていません。なのに♪イッツ・ア・ファイン・デ~イ♪の部分があのCMに異様な効果をもたらしたんです。
 先述したミュージック・ビデオと、偶然であれ、共通する事柄は挙げられます。小さな男の子が登場すること。坊やが車を転がしたりティッシュを宙に舞わせたりして遊んでいること。それを見守る女性がいること。でも、家庭に常備されるティッシュのCMなのだから、このシチュエイションにはある程度の必然性があります。
 問題はCMでの背景の色づかいです。なんで赤を選んだのか。赤鬼に合わせたのなら、わざわざ子役を赤鬼にした理由がわかりません。天使のほうがよっぽど自然だし、子役をキャスティングするうえでも無難です。ティッシュ・ペーパーのCMに赤を使うというアイデアにも、スポンサーからよく承諾がおりたなと驚きます。
 つまり、CMとしては視覚的にイレギュラーで大胆なことだらけで、見る側の常識をどこに落ち着かせればいいのかを迷わせるものでした。日常生活で欠かせない商品が、見なれない光景の中でやり取りされているのですから、居心地の悪さを与えもします。

 そして、そこに流れる音楽が80年代的なシンセ・ポップでもなく、穏やかなストリングスでもない、一般の日本人にとっては無名の女性歌手がアカペラで歌う英語の曲だったのです。涼しい声で歌われる美しい曲でしたが、オーソドックスに上手い歌唱でもないし、寂しげでもある。
 曲もまた然り。どこか懐かしさをおぼえる曲調ではあるけれど、ノスタルジックな安らぎへの方向を微妙にそれていました。
 私はあのCMでIt's a Fine Dayを耳にするたびに、自分が子供の頃に迷子になった時のような怖さ、大げさに言うと原初的な不安を呼び覚まされそうになりました。画面には赤鬼の坊やと、なぜか親しげに向き合っている松坂慶子の謎の関係性しか映っていないので、そこに逃げこむこともできません。それどころか、そっちに加わったら戻れなくなりそう。
 あのCMで聞くジェーンの歌声は異界の者の歌声でした。イギリスのトラッド曲で旅人の魂を持ち去ろうと企む妖精さながらです。先に『ピロウズ&プレイヤーズ2』でIt's a Fine Dayを知っていたら、そんなふうに聞こえることはなかったでしょう。でもあのCMで初めて聞いた私は、行ってはならない「あちら側」に引きずり込まれそうな気分を味わったんです。

 美しい音楽の奥に暗がりを感じることがあります。たとえばポール・マッカートニーのThe Back Seat Of My Car。これ以上美しいメロディーが続くとアタマがおかしくなってしまいそうな気にさせる、暗がりをたたえた危険な美しさです。
 It's a Fine Dayはもっと素朴だし、曲単体ではチャーミングで哀感のある佳い作品だと思っています。
 けれども、1985年にクリネックスのCMであの曲と出会った時には異様な印象を無視できませんでした。私とKくんは、都市伝説めいた噂やら魔女狩りといった具体的な型に当てはめて、その戦慄を落ち着かせようとしたのです。それは穢れを忌む心理とも似ていました。私たちは美しさの奥にのぞく暗がりに怯えていたのでした。

 It's a Fine Dayがシングル盤でリリースされた1983年、イギリスはフォークランド紛争(1982年)を経験した直後でした。ミュージック・ビデオで挿まれる戦争のフッテージはもっと古い時代の映像ですが、当時のイギリス人にとって他人事ではなかったでしょう。また、この曲にとどまらず、日本でネオアコやギター・ポップと呼ばれた音楽(つまり、『ピロウズ&プレイヤーズ』系)のヒリヒリとした繊細さは、1983年に失業率が11%を超えたサッチャー政権下のイギリス社会と無関係ではありません。 
 いっぽう、1985年の日本では。CMが放送された1985年はバブル景気のスタート・ラインとして語られる年です。実際には庶民が好景気を肌で感じるまでに数年を要しましたが、社会は昭和末期の繁栄と享楽に向かっていました。文化事業にもお金が注がれ、毛色の変わった表現が広告媒体を賑わせたのもその頃です。クリネックスのCMもそんな時代の空気を通って放送電波に乗ったのでしょう。

 It's a Fine Dayはその後、1992年にOpus IIIがカヴァーしてヒットさせました。ほかにも、オービタルやカイリー・ミノーグなどの曲で引用されています。それらのカヴァーも引用も悪くはないけれど、1985年におぼえたような戦慄を催させはしません。
 強引な後付けの解釈ではありますが、赤い背景と赤鬼の子と松坂慶子とIt's a Fine Dayに高校生の私がおぼえたものは、世の中の安定の陰に追いやられていた原初的な不安や、土俗的な葬いのイメージであったようにも思えます。イギリスとは正反対の社会状況でしたが、私たちもあのCMに暗がりを見てしまったのです。
 あの映像と音楽の組み合わせ、そして何よりも1985年の、イギリスではなく日本で、広告という当時の若者が憧れていた花形メディアで出会ったこと。それがあの異界を意識できる条件だったのかもしれません。

 
*今回の記事は、The Haunted Generationというイギリスのサイトが取材したエドワード・バートンとジェーン・ランカスターのインタビュー(こちら)をソースとして参考にしました。