今、『ブルー&ロンサム』を聴く | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 チャーリー・ワッツの訃報に悄然とするなかで、私が繰り返し何度も聴いたローリング・ストーンズのアルバムは、2016年の12月にリリースされた現時点での最近作、『ブルー&ロンサム』でした。

 ストーンズはスティーヴ・ジョーダンをドラマーに迎えてアメリカ・ツアーを予定通りに行うようです。ニュー・アルバムも出すつもりでいるのでしょう。まだわからないけれど、『ブルー&ロンサム』が最後にはならない予感がします。
 全曲がブルースのカヴァーだとは驚きましたが、もともとデビューしてからしばらくはそういうバンドだったし、どうせならオリジナル・アルバムを聴きたかったファンもいれば、久しぶりにブルースどっぷりのストーンズが聴けて嬉しかったファンもいたでしょう。どちらの気持ちもよくわかります。まあ、私は初期の『ローリング・ストーンズNo.2』や『アウト・オヴ・アワ・ヘッズ』が大好物なので単純に喜んだクチでしたが。

 ただ、当時いくつか見聞きした感想に「もっと前にこういうことをやってほしかった」との声があって、それには同意できませんでした。

 ストーンズの歴史は1989年の『スティール・ホイールズ』から後半に入ったと言えます。60年代や70年代にも大きな変化はあったし、彼らはその都度、生き残る欲望に沿った現実的な選択をしてきたわけですが、『スティール・ホイールズ』で再集結してワールド・ツアーにも出た89年以降は、組織としてのストーンズを継続させる姿勢が強まったように感じました。
 スタジオ・アルバムをリリースして、ワールド・ツアーをやって、ライヴ・アルバムや映像ソフトやコンピレーションを出して、メンバーのソロ活動をはさんで、またスタジオで集まる。それらの繰り返しがストーンズという組織の在り方として定着したのが89年以降でした。破綻がない、と書くと皮肉っぽくなりますが、それがストーンズを無理なく運営する方法だったのです。

 『スティール・ホイールズ』から『ブルー&ロンサム』までの間には、3枚のスタジオ・アルバム(『ヴードゥー・ラウンジ』『ブリッジズ・トゥ・バビロン』『ア・ビガー・バン』)が作られました。3作とは少なすぎるのだけど、上記のライヴ盤や映像、コンピレーションにアーカイヴからの蔵出しなど、話題に事欠かなかったのは流石です。
 もっとも、それらの3枚が60年代や70年代のアルバムと比べて見劣りしたのは否めません。それぞれに聴きごたえのあるアルバムではありましたが、じゃあ『メインストリートのならず者』を凌駕するかとなると、そのレベルには及びませんでした。
 ロック・ミュージシャンというのは酷な仕事で、早くデビューした人ほど若かった頃の冴えと比較されます。普通に考えて、体力があって閃きも行動も鋭くて大胆なのは若い頃です。私だって「30年前の23歳のキミのほうが物怖じしなくて良かったよ」なんて言われたら、大きなお世話だ、オレにだって色々あったんだと返したくなります。
 だけど、そんな私もストーンズの新作を「元気そうでなにより」と半ば消極的に持ち上げていたフシはありました。『ブリッジズ・トゥ・バビロン』みたいに新しめの音にチャレンジしてギクシャクしたアルバムも、「まだまだ発展中ってことだよなぁ」と妙な感心をしたりしました。

 しかし、もしも90年代にストーンズがブルースのカヴァー・アルバムを発表していたら、私は何を感じたでしょうか。歓迎するいっぽうで、安全策を取ったなと考えてしまったかもしれません。
 95年だとしたら、彼らがスタジオ収録も含むライヴ盤の『ストリップド』を出した頃です。あのリラックスした空気でブルースのカヴァー・アルバムなんぞをやられていたら、たぶん私は気に喰わなかったでしょう。で、「ストーンズが初心に返ったのだ!」とか絶賛する記事が雑誌に載って、私はそれを部屋の壁に叩きつけたにちがいありません。
 ・・・なにを妄想で怒ってるんだ。とにかく、あのタイミングでブルース大会をやらなくてよかったと思います。

 『ブルー&ロンサム』はそういう安心安全の類とは異なっていました。リリース時に書いたブログ記事(こちら)で、私は「ザラザラしてイカれた音がずっと鳴り響くアルバムです。ブルースのブの字も知らない若者にこそ無理やり聴かせたい。」と興奮しています。
 ドン・ウォズが仕切った3日間のレコーディング・セッションは、当初はオリジナル・アルバム用だったそうです。ところが、箸休めにブルースをカヴァーしてみたところ、ミック・ジャガーが夢中になって次々にカヴァーのレコーディングが進んだのだとか。
 たしかにそう思わせるだけのものが本作にはあります。とくにミックの歌とハープがノリノリです。こんなに楽しそうなミックを聴くのは久しぶりでした。普段なら仕事の進捗にうるさそうな彼が、道草を食って空き地で駄弁って、そのまま日が暮れるまで野球で遊んでいた、そんな光景が想像できます。

 となると、『ストリップド』並みにリラックスした空気が生まれてもおかしくないのですが、このアルバムには集中力の高い演奏が詰まっています。
 ドン・ウォズならではのオーセンティックなまとまりに、名手スティーヴ・マーカソンのマスタリングが生々しい凄みを与えています。
 なんといってもチャーリー・ワッツのドラムが、ストーンズを支え続けてきた独特のタイム感とテンポで次々と強いビートを繰り出すのが胸を熱くさせます。スネアが打たれるまでの幅がミックのヴォーカルとピタリと合ってるのが、当たり前とはいえ惚れ惚れする呼吸です。やっぱりミックもサイモン・フィリップスでは歌いにくかったんだろうな、と今さらながらに実感させます。

 ハウリン・ウルフのCommit A Crimeが2曲目に入っています。90年代のストーンズを聴いていた人なら、チャーリーが叩きだすこのイントロにニヤリとするでしょう。『ヴードゥー・ラウンジ』からのシングル曲でもあったLove Is Strongのイントロを彷彿とさせるからです。
 ミックのヴォーカルはリトル・ウォルターのJust Your Foolでの節回しやハープから、若い頃に原曲を聴きこんだ研鑽が伝わってきます。そして、その原点が長年のキャリアの中で自身の唱法と溶け合い、ミック・ジャガー節となって表現されています。それがベテランの確かな足どりを伴いつつも、ブルースのギラギラした刃先を渡って歩くようなスリルを感じさせるのです。

 私が『ブルー&ロンサム』を好きな点もここです。現役であり続けてきたストーンズの、ちゃんと90年代の後のチャプターにこのアルバムが存在しています。
 ページを戻って若返ったのではないんです。そんなことは誰にも出来ません。みんな老いていって、いつかは死にます。
 ここでのミックのヴォーカルも、チャーリーのドラミングも、キースとロニーのギターも、60年代を連想させますが、音の表情には深いシワが刻まれています。ミックの歌のブレスの震えは、『ヴードゥー・ラウンジ』以降の震えです。それを隠さずに、若い頃のガムシャラなブルース熱とは違った、老獪さと経験の染み込んだ活力に転化させています。私は自分が年齢を重ねるにつれて、このことに感嘆するようになりました。

 晩年のチャーリー・ワッツのエレガントなドラマー・アンド・ジェントルマンぶり。あんなふうに齢をとれたらどんなにいいだろう、と憧れます。
 でも、チャーリーだって最初からああだったわけではないでしょう。
 もちろん、演奏でもファッション面でも、若い時から自分のスタイルを頑固なまでに持っていたのは確かです。しかし、チャーリー・ワッツだってキック4つ打ちのディスコ・ソングを叩いたり、レゲエやカントリーにも対応したのです。『ヴードゥー・ラウンジ』のMoon Is Upとか『ブリッジズ・トゥ・バビロン』のSaint Of Meなどの変則的な曲も叩いて、その日の仕事が終わるとスーツに腕を通してスタジオのドアを出て、家で愛妻シャーリーと一緒にファッツ・ウォーラーのレコードを聴き、歯を磨いて寝て、早く起きていました(単なる私のイマジネーションです)。どちらもしっかりとやり通すことで、最終的にミックともキースとも異なるカッコいい爺さんになっていったのです。

 『ヴードゥー・ラウンジ』も『ブリッジズ・トゥ・バビロン』も賛否さまざまでしたが、ストーンズは中年期にチャレンジを厭わずに音楽と向き合ってきました。その時期を経て作られたからこそ、『ブルー&ロンサム』は揺るぎない自信に満ちて、なおかつスリリングなんです。

 若い激情や枯淡の境地からは生まれない、色気と活力のあるブルースが鳴っている『ブルー&ロンサム』は、彼らの生きざまというより「音ざま」が溢れているカヴァー・アルバムです。

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