Sonic Youth/ Dirty (1992) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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ロックを中心とした昔話、新しいアフロ・ポップ、クラシックやジャズやアイドルのことなどを書きます。

 1993年2月21日、大阪フェスティバルホール。ソニック・ユースの日本ツアーの2日めでした。なんの曲の前だったかは忘れましたが、キム・ゴードンがマイクの前に仁王立ちになり、用意していた紙に目を落としながら、日本語で「耳の穴から指つっこんで、奥歯ガタガタ言わしたろか!」と、『てなもんや三度笠』の藤田まことのセリフを叫びました。これでもう大阪の客は大喜び。
 じつはこの時、私はオープニング・アクトをつとめたボアダムスのパフォーマンスに圧倒されて、ソニック・ユースの演奏は物足りないかなと感じていたのですが、これでスウィッチが入りました(ライヴの後半だったかもしれない)。楽屋でそのセリフをボアダムスのメンバーから教えられて爆笑しているキム姐の顔が思い浮かびました。
 セット・リストの約半分が『ダーティ』からの選曲。前の年の7月にリリースされたばかりなので当然とは言え、『ダーティ』とその一つ前の『Goo!』が、この時期のソニック・ユースにとってアイコン的なアルバムであったことは間違いありません。

 というのも、1990年に『Goo!』を発表するまでのソニック・ユースは、日本のロック・ファンの間ではあまり知られていないバンドだったんです。彼らが1988年に初来日した際は新宿ロフトが満員だったらしいので、アメリカのインディー・ロックに詳しい人からは支持されていたのでしょうが、1980年代の日本の若いロック・ファンに愛好されていたインディー・ロックはおもにイギリスのものでした。R.E.M.のような例外もいましたが、それもどちらかというとイギリスのニューウェイヴに向ける感性で歓迎されていたフシがあります。
 1980年代の後半にアメリカで起きていたロックの地殻変動が伝わっていなかったんです。だから、ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』が売れた時に、日本ではロック・ファンはもとより雑誌メディアも慌ててマンチェスターからシアトルへとチャンネルを切り替えたんです。ソニック・ユースの『Goo!』が『ネヴァーマインド』の1年前に出た時も、メディアでの注目度は足りていなかったと思います。

 時間を少し遡ってみます。たしか1988年の終わり頃のことです。
 私が大学で知り合ったアメリカ人の留学生が、ソニック・ユースの最新作『デイドリーム・ネイション』のカセット・テープを貸してくれました。彼とはザ・スミスの話題がきっかけで親しくなり、ある日、学食で会ったときに彼が「ソニック・ユースを知っていますか?」と日本語で尋ねてきたのです。
 「いやぁ、知らないなぁ」と答えると、「彼らはとても良いです。先週、アメリカから私の友達が来て、ソニック・ユースのテープがお土産でした。そのテープを、あなたに”借り”ましょうか?」と彼は言いました。私はさほど興味をそそられず、こんなに日本語が流暢でも外国人には「貸す」と「借りる」の使い分けは難しいのか、ということのほうが気になったのですが、せっかくの好意を無下に断る手もないので、テープを彼に「借り」てもらうことにしました。
 
 家に帰って、一度だけ再生しました。悪くはないけれど、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドに憧れるアマチュア・バンドの演奏を聴いているみたい。こういう音楽を細々とやっているミュージシャンがアメリカには山ほどいるんだろうな。でも、ソニック・ユースというバンド名は、ちょっといいな。
 その程度の感想しか持てず、テープはすぐに返しました。一緒にルースターズかD'fの入ったテープを渡したような気がしますが、定かではありません。
 その後、輸入盤店で『デイドリーム・ネイション』のLPを見かけても、あの時のバンドか、と通り過ぎるのみ。まさか、彼らがオルタナティヴ(当時、この言葉はまだイギリスのニューウェイヴの一部を指していましたが)のシーンを背負って立つ存在になるとは想像もつきませんでした。

 月日は流れて1992年の夏。働いていたCDショップにソニック・ユースの『ダーティ』が入荷するや、私は真っ先に封を切って店頭で流しました。
 私の変わりようは今にして思えば滑稽です。1988年にネオ・サイケ的なロックを聴いていた20歳の若造が、1989年にギャラクシー500に惹かれながらもストーン・ローゼズに傾倒して、1990年にはイギリスの新人バンドにドップリと浸って、1991年の2月にダイナソーJr.の『グリーン・マインド』を喰らって、気がついたら1992年。
 オルタナティヴの名盤である『デイドリーム・ネイション』に鈍い反応しか示さなかった私が、『Goo!』や『ダーティ』でソニック・ユースに開眼した理由は何だったのか。
 時代の空気に乗せられた、のかもしれません。もっと言うと、ストーン・ローゼズや一連のUK新人バンドの登場に「自分の世代のロック・ムーヴメントだ!」と湧き上がっていた嬉しさが、今度はアメリカから飛んできた殺伐ロックの援軍で倍増した。それまでは自分が生まれた頃のロックを追体験していた私が、20歳を過ぎてようやく誰に憚ることなく若者面できる確証を得たんです。

 『ダーティ』はソニック・ユースがブッチ・ヴィグとの共同プロデュースで作ったアルバムです。また、ミキシングをアンディ・ウォレス、マスタリングをハウィー・ワインバーグが担当しています。ブッチ・ヴィグ、アンディ・ウォレス、ハウィー・ワインバーグ。これは『ネヴァーマインド』の座組です。『Goo!』でメジャー・レーベルのゲフィンと契約したソニック・ユースがA&Rにニルヴァーナを紹介したのは有名な実話で、『ネヴァーマインド』の成功は意識されていたのでしょう。
 ただ、ブッチ・ヴィグは過去にMecht Menschという、私には名前の読み方すらわからないハードコア・バンドをプロデュースした事があって、サーストン・ムーアが求めていたのもそれに類するサウンドだったようです。このあたりのこだわりはさすがで、”じゃないほう”というのは”オルタナティヴ”の言葉が本来意味するところでもあります。
 かくして、『ダーティ』は前作『Goo!』で刃先を研がれたノイズを丸めることなく、ニルヴァーナが呼び寄せた新しいロック・リスナーたちの耳の穴に、それをつっこんで奥歯をガタガタと鳴らしました。そして、静と動がスリリングに切り替わる『ネヴァーマインド』のスタイルとは違っても、それと通じ合いながら発展させる何かがあることを知らしめたのでした。

 『ダーティ』は、基本的には『Goo!』の延長線上にある作品です。ハウィー・ワインバーグのマスタリングは『ネヴァーマインド』で時代を象徴する音のタッチとなりましたが、彼はソニック・ユースのアルバムを1987年の『シスター』から手掛けていました。それもあってか、段階を踏んで着実に『ダーティ』へと到達した印象を受けました。キム・ゴードンの刺々しくヘヴィーな叫びとサーストン・ムーアやリー・ラナルドの諧謔的な軽みを帯びたヴォーカルが同居するバンドの個性も、『Goo!』と本作で揺るぎないものになったと思います。
 変わった点を挙げると、『Goo!』では曲をハミ出すかのようだった演奏が、『ダーティ』ではいくぶん整理されています。変な喩えですが、『Goo!』での数曲がノイズをホースでジャバジャバとぶっかけられていたとすると、『ダーティ』では蛇口を絶妙に閉じたり開いたりしている。時にそれは断続的に流れ落ちてくる水を見ているような、奇妙な落ち着きとバランスをもたらしたりします。
 オープン・カーに乗って街中に銃弾を撃ち込んでゆく愉快犯テロみたいな『Goo!』も私は好きだったけれど、それと比べて『ダーティ』が劣るとは思いませんでした。むしろ、ソニック・ユースが1990年代初頭の時代感覚で理想的にポップな存在となった感慨をおぼえたものです。

 彼らはオルタナティヴ以降のロックにとって最も重要なグループのひとつですが、影響力が絶大だったにもかかわらず、シーンの主役を単独で張っていたイメージが私にはありません。もっとオーガナイザーというか顔役というか、主役はほかにいて悲劇的な結末を迎えたりして、ソニック・ユースにはそうした全体像をまとめる、信頼のおける証言者としてのイメージを持っています。
 この『ダーティ』ではキムが「私の胸に触るんじゃない!私は仕事をしてるんだ!」とシャウトするSwimsuit Issueをはじめ、1991年に起きたボブ・シェルダン殺人事件に言及したChapel Hillなど、アメリカを蝕む社会の闇が歌われており、変則チューニングのコード感とギターのノイズがそれらの不穏さを増幅します。キムもギターを弾いている曲では、3本のギターがそれぞれに異なるチューニングで層を重ねて、耳が悪酔いしそうです。
 しかし、そうした彼らの音楽の不穏さはルサンチマンの吐露とは異なっています。常にどこか醒めた客観的な視線を感じさせて、怒りや抵抗が散文的に表現されずに、つかみどころのないクールな質感を湛えているのです。

 また、ささくれているのと同時に飄々とトボケた表情を持っているのもソニック・ユースのノイズの特徴で、おっかなくないんです。それどころか、スポーティーな身軽さも発しています。
 私なりに言うと、それは機動性です。ソニック・ユースのノイズはモビル・ノイズなんです。その場に溜まってトグロを巻いてはいません。それは彼らの膨大なサイド・プロジェクトのフットワークにも言えることで、譲れないものを守りながら、そこに固執はしない。キャッチした球をサッと投げて送る。
 たいへん主観的かつアナクロな喩えになってしまいますが、ピッチャーでもキャッチャーでもない、ショート的な優れた遊撃能力に魅力があります。私がソニック・ユースのノイズやオルタナ・シーンにおける存在感に持っている印象はショート・ストップの瞬発力の高さであり、俊敏な機動性です。
 ドラムのスティーヴ・シェリーが叩きだす、オルタナ界のリンゴ・スターとでも呼びたいくらいに憎めないエイト・ビートが、このバンドの機動性に貢献しています。いつも二つか三つ先の小節に行きたくて待ちきれないような、ソワソワしてるんだけど現在地を見失わない彼のドラミングは、ソニック・ユースのドライヴィング・フォースであり完璧なナヴィゲーターです。

 そんな彼らのモビル・ノイズの魅力が『ダーティ』には詰まっています。どの曲もエキセントリックにしてポップ。
 1曲めの100%の求心力ある音作りは見事ですし、ハートのDog & Butterflyにインスパイア(?)されたDrunken Butterflyでのキムの知的に気だるくヤサグレたヴォーカルもいい。Theresa's Sound-WorldやWish Fulfillmentでは変則チューニングが(アシッド・)フォークとのリンクにも想像を及ばせます。
 アルバムの看板曲と言えるSugar Kaneでは、パワー・コードを刻みまくる2本のギターをあえて素っ気なく捉えて、脱力した空虚さにジリジリとした熱をにじませていて、これも見事。
 Youth Against Fascismは21世紀に入っても、いや、今だからこそ響くメッセージを持った曲。戦争やセクシャル・ハラスメントや人種差別に対して明確に否をつきつけています。
 その曲にギターで参加しているのがマイナー・スレット~フガジのイアン・マッケイ。そして、続くNic Fitはイアンの弟であるアレック・マッケイのバンド、アンタッチャブルズのカヴァーです。
 Purrはストレートにパンキッシュな曲。ハードなリフで進む古典的な構成ですが、ギター・ソロの壊れたまま疾走していく感じはオルタナティヴならでは。
 最後のCreme Bruleeはキムが物憂い歌声を聞かせるブルースっぽい曲で、これも変則チューニングでしょう、たわんだギターの弦がボソボソと呟くように鳴って、低い温度でアルバムを閉めます。

 全15曲で1時間近い内容。アルバムとしては、ちょっと詰め込みすぎたかなという気もします。45分くらいに絞ってあれば、『Goo!』を超えるこの時期の代表作となり得たかもしれません。『ダーティ』はとても良いアルバムで大好きだったのだけど、『デイドリーム・ネイション』の次の中心部は『Goo!』にあって、その座は揺るがなかった感を当時の私は持ちました。
 続く『エクスペリメンタル・ジェット・セット、トラッシュ・アンド・ノー・スター』では発火性を抑えており、それはアメリカのロック・シーンでグランジが退潮してオルタナティヴの名称が多く使われるようになる過程とも一致していました。私はむしろそうなってから惹かれるミュージシャンがたくさんいたし(セックス・ピストルズよりP.i.Lのほうが好きなもんで)、ソニック・ユースも『エクスペリメンタル~』以降の作品を気に入っているのですが、それでも1992年頃の彼らは特別でありました。
 たぶん、わかっていない事のほうが多かったと思います。Youth Against Fascismで"I believe Anita Hill"と歌われているアニタ・ヒルはセクシュアル・ハラスメントの訴訟を起こした女性ですが、そのような背景は、1992年の日本には伝わりきらなかった残念さがあります。私も知らなかった。

 けれども、自分の働いていたCDショップに『ダーティ』が入荷した日のことが脳裏によみがえるんです。
 私も「ソニック・ユース?知らないなぁ」の時期を過ぎていたし、2月にニルヴァーナが来日する前後から『ロッキング・オン』もアメリカの新しい動きに追いつくようになっていました。
 封を開けた『ダーティ』のCDを店のプレイヤーにセットし、1曲めの100%が大音量で鳴り響く。ギターが軋みを立てて、ちょっと風邪ひいてダルいんだけどといった調子でサーストン・ムーアが歌いだす。
 フロアにいた若いお客さんたちが数人、『ダーティ』が陳列されていく棚に集まってきました。そのうちの一人がヴァセリンズの『ザ・ウェイ・オヴ・ザ・ヴァセリンズ』を手にしていたのをハッキリと記憶しています。自分が若かったからかもしれませんが、1990年から1992年のあいだには、ロック・ファンのセンスや世代感覚に新陳代謝が起きていたように思えます。
 べつの女の子が『ダーティ』のジャケットをじっと見ていました。『Olive』の誌面から飛び出してきたようなオシャレで可愛い子でした。ソニック・ユースの初来日を新宿ロフトで観た人たちや、『デイドリーム・ネイション』のテープを私に「借りて」くれたアメリカ人が何を思うかは知りませんが、あのニットの人形が飾るジャケットと、キリキリとニューロティックに軋むギターと、その可愛い女の子の取り合わせは、じつに1992年の夏の光景でした。

 

(ソニック・ユースで一番好きなアルバムは1998年のこの『ア・サウザンド・リーヴス』。2006年の『ラザー・リップド』もボブ・ウェルチ在籍時のフリートウッド・マックみたいで面白かった。あ、『デイドリーム・ネイション』も今はめちゃめちゃ好きですよ。)