ザ・タイマーズ/ THE TIMERS (1989) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 1989年とはどんな年だったのか。
1月に昭和天皇が崩御し、元号が平成に改まります。6月には北京で天安門事件が起きました。6月のポーランド自由選挙を皮切りに、12月にはルーマニアでチャウシェスク政権が崩壊するなど、いわゆる「東欧民主化」が進みました。11月にはベルリンの壁が撤去。12月にはブッシュとゴルバチョフの「マルタ会談」によって冷戦終結が宣言されました。
日本国内を騒がせたのは「幼女誘拐殺人事件」の犯人逮捕です。日本も含めて戦後の大きな流れが節目を迎えると同時に、次の時代の不協和音がすべりこむように鳴り出した、そんな印象があります。
 
 忌野清志郎を中心とする覆面バンド、ザ・タイマーズのアルバム『THE TIMERS』がリリースされたのもこの年です。
前年にRCサクセションのアルバム『COVERS』の発売を東芝EMIに拒否された清志郎が、ヒルビリー・バップスやMOJO CLUBなどのメンバーと組んで、顔をサングラスと手ぬぐいで隠し、土木作業員のコスチュームでアン・ルイスのライヴに乱入したのがタイマーズのデビューでした。
 清志郎はRCの変名ユニットとしてこのアイデアを実行させたかったようですが、そもそも『COVERS』のコンセプトにも清志郎とのほかのメンバーとの間に温度差があったくらいで、この話は実現しませんでした。
 
 『COVERS』が東芝EMIに発売拒否されたのは、日本語詞で原発への疑問を歌う「ラヴ・ミー・テンダー」が問題視されたからです。これによって火がついた清志郎の怒りは、会社組織を通さないゲリラ的なライヴ活動の形となってあらわれました。
 当時、RCや清志郎を頻繁に取り上げていた『ROCKIN'ON JAPAN』誌でも、「先月はどこそこのイベントに乱入した」云々の記事が掲載されましたし、清志郎がインタビューで「タイマーズ(のZERRY)は俺じゃないよ」とトボけて答えるやりとりも、徐々に恒例となっていきました。
 
 この段階で、ハタチそこそこだった私は、タイマーズの活動を清志郎の鬱憤晴らしに近い一時的なものだと思っていました。そのやり方には胸のすくところはありましたし、清志郎らしいユーモアと毒のバランスには好感を持ちましたが、正直言ってあまり期待をしてはいませんでした。88年の年末になって、RCが『COVERS』へのセルフ・アンサー的な『コブラの悩み』という非常に重く苦いライヴ盤を出したことで、一連の騒動はRCとして背負っていくのだろうと予想しました。
ところが、RCはこの『コブラの悩み』の後から、少しずつバンドの終焉に向かっていきます。1990年の『BABY a GoGo』ではメンバーが3人になり、続くツアーは春日博文と厚見玲衣(!)をサポート・メンバーに迎えての編成でおこなわれました。
 
 時計の針を戻して、1989年。
忌野清志郎にとっても特に声を挙げたくなる出来事が続いた年だったのでしょう。タイマーズはロンドンでアルバムをレコーディングする運びとなりました。
 ロンドンは清志郎が最初のソロ・アルバム『RAZOR SHARP』を現地のミュージシャンたちと作りあげた地です。バブル景気に沸く日本の状況もあって、海外レコーディングにもさほど驚かなくなっていたとは言え、タイマーズのアルバムをロンドンまで行って録ったというのは、今からするとムチャクチャな話です。
 
 その年の後半になって、エースコックのCMでモンキーズの「デイ・ドリーム・ビリーバー」を歌う清志郎の声が流れてきたときも、私はそれがタイマーズだとは認識しませんでした。
 もちろんオリジナルは不朽の名曲だし、♪Cheer up, sleepy Jean♪の部分が♪ずっと夢をみて~♪と見事に跳躍(超訳)した日本語に移行されていたのも、『COVERS』以後の清志郎なればこそだと感激しました。でも、これがあのイベント荒らしで有名なタイマーズなのか?と訝る気持ちも私にはありました。タイマーズって、もっと不穏な連中じゃないのか?と。
 
 その疑問には、すぐ答えが出ました。日本のテレビ史上に残るハプニングとして若い人にも知られているでしょう。『ヒットスタジオR&N』での事件です。
10月13日の放送ぶんだったようなので、「デイ・ドリーム・ビリーバー」のCDシングルが発売されたばかりのタイミング。このカバー・バージョンは、曲の良さとCMのキャッチーさも手伝って若者を中心に浸透していたので、おそらく「エースコックのCMでもおなじみのタイマーズ!各地のイベントで大暴れのバンド!そして歌っているのは…?」というアピール・ポイントを押し出しての出演となる段取りだったはずです。たしかに、これ以上ないくらいに強いカードが揃っています。しかし、そこで披露された5曲のうち、2曲めは表示されたタイトルの「偽善者」とはまったく違っていました。
 
 FM東京を放送禁止用語まで駆使して名指しで罵倒しまくったその曲は、スタジオを凍りつかせた…という雰囲気ではありませんでした。
 現在も動画で確認できるように、出演者の永井真理子は爆笑していましたし、伊東たけしもニヤニヤしながら見入っていました。司会の古舘伊知郎はさすがに呆然とした表情を(たぶん、立場上もあって)見せていましたが、隣にいるアシスタントのGWINKOは満面の笑みを浮かべていました。
私はというと、アハハとウケて笑いつつ、そういえば清志郎ってテレビでここまでやったことはなかったよな、と妙な感心をしました。翌日の新聞では記事になったものの、SNSのようなご注進ネットワークなんかない時代ですから、アホなヤジウマがすぐに「謝罪しろ!」と騒ぎ立てる事態にもなりません。このあたりのニュアンスは、時代がたってわかりにくくなっているかもしれません。
 
 清志郎がFM東京をディスったのは、彼がティアドロップスに提供した「谷間のうた」を同局が放送禁止に処したからです。
 清志郎は作った曲が抑圧を受けることに対して敏感になっていました。この事件の因果関係は「谷間のうた」をめぐるもの。でも、前年からのいきさつを追ってきたファンにしてみれば、これも『COVERS』騒動の流れのうちにとらえてしまいます。
 
 アルバム『THE TIMERS』は発売日に買って聴きましたが、私には物足りませんでした。その後、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が起きた1995年にセカンド・アルバムが出た際、ファーストを聴き直して、こんなに良い内容だったのかと驚いたので、その6年のあいだに自分の評価がガラリと変わったことになります。
 
 では、なにが物足りなかったのか。身も蓋もない言い方をすると、当時の私の耳には刺激の乏しい音だったのです。
 ソウル・ミュージックからの影響をふんだんに取り入れたRCサクセションや、エッジの立った録音が鮮やかなソロ・アルバム『RAZOR SHARP』と比べると、この『THE TIMERS』はアコースティック楽器のリズム主体にほとんどアレンジらしいアレンジが加えられていません。いま聴くと「よくぞこのまんまで発表してくれた!」と嬉しくなる点なのだけど、89年には一本調子でニュアンスに欠けるサウンドに聞こえました。
 これは、私の音楽を受容するセンスがまだまだ開発途上にあったからですが、ほとんどの曲が推敲を待たずして勢いと鮮度で勝負しているのも確かです。そのため、歌詞についても「偽善者」「偉人のうた」といった曲では攻撃に拙さが窺えるし、英詞による「LONELY JAPANESE MAN」の母国文化批判はあまりにもナイーヴにすぎます。私にはこれが『COVERS』に感じた「メッセージの短絡性」の延長に思えて、当時は清志郎のそうした傾向にいたく失望したものです。
 
 けれど、細かい事を練り込まずに「作って出し」で発表する姿勢は、『COVERS』の騒動直後から初期タイマーズまでを貫く清志郎の性急なロック表現でもありました。ロカビリーやブルースにカントリー、それに演歌まで飛び出す泥臭い音楽性も、言葉のシンプルな強さと衝動が自然な磁力で結びついたものであると言えます。
とりわけ秀逸なのは「ロックン仁義」。北島三郎と鶴田浩二の歌の雰囲気に自身のリアルなブルースを重ね合わせ、それがやけにハマったり微妙にズレたりするおかし味に清志郎の毒のあるユーモアが冴えわたります。また、この曲の影に隠れがちではありますが、メンバーのTOPPI(三宅伸治)がヴォーカルをとる「土木作業員ブルース」もジャジーな汚れが利いた佳曲です。
 
 演歌といえば、タイマーズの音楽には「オッペケペー節」の壮士演歌、つまり、体制を揶揄し批判する「演説歌」としての演歌に通ずるところがあります。まぁ、そこまで由縁を意識しての活動ではなかったのでしょうが、60年代のフォーク・ソングもルーツに持つ清志郎の中では無意識のうちに共振していたとしても不思議ではありません。

じっさいに、アルバム中の多くの曲がデビュー時のRCサクセションを彷彿とさせるアコースティックな武骨さに回帰しています。とくに「ブーム・ブーム」から「ビンジョー」への前言撤回、さっき歌ったばかりのことを思いっきり覆して毒を吐く痛快さは、敵を自分たちの外にも内にも置いて暴れる『初期のRCサクセション』そのまんまです。
 
 こんなふうに、時間がたって聴き返すと充分に興味深く、時代の空気がまたキナ臭い窮屈さを帯びる現在にこそ聴いてハッとさせる『THE TIMERS』。私はリリース時よりも今のほうがこのアルバムを楽しめますし、当時ピンとこなかったことを悔いるほどです。
 喜んでいいのか、歌われているトピックは今でも通用する事柄が多く、「争いの河」での♪政治家はただ選挙で争ってる♪の部分は♪アイドルはただ選挙で争ってる♪と置き換えることもできるようになりました(ちなみに、80年代後半に清志郎が好きだったアイドルは高井麻巳子で、彼女のラジオ番組にゲスト出演したときには、それはもうデレデレとしたトークを繰り広げました)。
 
 ただ、 このアルバムは長年のバンドの人間関係から離れた清志郎のフットワークの軽さが魅力である反面、衝突や反目が生み出す思いもよらないクリエイティヴな化学反応のスリルには欠けます。
 それに、歌詞にはもう少し自問自答の深みがほしかった。そこを蹴とばして飛び出す潔さがあるのを認めるに吝かではないけれども、たとえばワン・コードのファンクのザラつきがカッコいい「総理大臣」なんかを聴くと、もうあとひとヒネりあれば、さらに強力な渦を巻いて迫ってくるのになぁ、とも思います。「デイ・ドリーム・ビリーバー」の明るさがポップな寂寥の種をまき散らす、その先に広がる景色がどこもまだ「工事中」であるような、歯がゆさをおぼえてしまうのです。
 もっとも、このドキュメント性がタイマーズでもあるのだから、痛し痒しなのですが。