前回の記事の続きで、ロックのサブ・ジャンル名と私がどう出会ってきたかという話の第2回です。ニューウェイヴ、サイケ、プログレと、初めてサブ・ジャンル名を知った時には飲み込めず、プログレってエイジアみたいなコンパクトでキャッチーなロックなんだなと思ったとか、そういった勘違いや誤解の話。
今回、最初のお題とするのはサブ・ジャンルではないのですが、現在、映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』が話題となっている東京ロッカーズです。
東京ロッカーズに関しては、いまだに私はどう捉えていいのか手に余るところもあります。1970年代末のアンダーグラウンドなロック・シーンで、S-KENスタジオをおもな拠点に活動していたバンドと、彼らを中心とした動きを指すのでしょう。でも私は1978年に10歳で、東京ロッカーズの名称を知った1980年代の後半には、パンク/ニューウェイヴというサブ・ジャンルの日本編の、首都圏限定のムーヴメントという印象を持ちました。現在進行形だった頃から10年後の若者でしたので、すでに像が明快に見えなかったわけです。
東京ロッカーズ?そんなのがあったの?てな感じ。前の記事でも書いたように、私が認識していた日本のパンクといえば「つっぱりHigh School」的な人気のあったアナーキーが最初でした。そこからスターリンやINUへと徐々に知見が広がっていったとはいえ、週刊誌で野次馬的な紹介をされていたスターリンと比べてINUのことは把握しにくい状況でした。
フリクションの写真だけはチラッと見たことがあって、カッコいいなと思ったのですが、なにせ音が手に入らない。いや、頑張れば手に入ったはずでしたけど、それよりも先にストラングラーズやテレヴィジョンを聴いてみたかったので、ずいぶん後回しになりました。
そして何と言っても、東京ロッカーズという呼称への違和感。こっ恥ずかしさを覚えました。ロックのムーヴメントやシーンに東京の地名を冠するのはやめたほうがいいんじゃないか、と。憧れの対象になりにくかったのです。
”関西NO WAVE”や、ちょっと形容の仕方が変わるけど”めんたいロック”には、東京への対抗意識や主張が(それが絶対に必要かどうかは別にして)エネルギーとして感じられるし、地方発ならではの土性骨のような説得力もあるのですが、日本を代表する東京にそれをやられると私などは反応に困ってしまいました。海外のシーンへの共鳴があったとしても、それはそれで『東京エマニエル夫人』を思い浮かべちゃう。
1998年の秋に『ミュージック・マガジン』から刊行された『NU SENSATIONS』のインタビューで、フリクションのRECは「東京ロッカーズって最初はちょっとダサいかなと思った」と語っています。そのコメントを読んだ私は、やっぱそうだよね、RECが言ってんだもんねと納得し、自分の中でこの問題(?)は落ち着きました。たぶん、それは当のミュージシャンたちが多かれ少なかれ共有していた引っかかりではなかったでしょうか(そもそも、群れるのが嫌いな人たちでしょう?)。
あと、彼らが多数参加したらしいライヴ・イヴェント「Drive To 80's」のタイトルも、80年代後半の若者だった私には全くと言っていいほど効力がありませんでした。まあ、それは時代の違いとして仕方ないですが、実際に自分が体験している最中の80年代後半は、ユートピアでもディストピアでもない、ぬるい空気の蔓延した退屈な日々だったのです。
にもかかわらず、音源を集めたテープを友達に借りたのは、写真で見た彼らの痩せて飢えたような目つきとシルエットに惹かれるものがあったからです。テープを聴いてみて、これもまたフリクション以外には心を激しく動かされなかったものの、その無愛想で刺々しい音は私の好みと重なる部分はありました。
なんか、映画『ストリート・キングダム』が盛り上がっているタイミングに、要らぬ事を書いて水を差している気がしてビビってきたので、次に行きます。
これもサブ・ジャンルではありませんが、こちらは国名と紐付けられた呼称、UKロックです。

スター・プレイヤーが華麗なパフォーマンスを繰り広げるブリティッシュ・ロック。もちろん例外は枚挙にいとまないけれど、大まかなイメージはそんなところです。そのブリティッシュ・ロックの呼称があまり使われなくなり、代わってこのUKロックが若いロック・ファンの間で定着しました。それはいつ頃からなのか。
オアシスとブラーの頃か、それより以前のスウェードあたりの時期。ストーン・ローゼズはどうだったかな、まだUKロックとは呼んでなかったような。でも、私はスミスやニュー・オーダーをブリティッシュ・ロックではなく英ニューウェイヴとして聴いていました。個人的にはレッド・ツェッペリンが解散した1980年を、ブリティッシュ・ロックの一時代の区切りとしたい気持ちがあります。分岐点が早すぎるし大雑把すぎるかもしれませんが。
ニューウェイヴも80年代にはUKロックと呼んでませんでした。仮に仲間内で「UKロックの~」と話をしたら、「なにを気取ってんねん。日本語しゃべれ」と顔をしかめられた可能性があります。
それが1990年代に入って、やはりローゼズの次の段階くらいでしょうか、ポツポツとUKロックの呼称を見聞きするようになりました。けれど、それはまだ耳にも目にも新しかったんです。そこからブリット・ポップの時期までに、あくまで日本の若いロック・ファンの間ですが、UKロックの呼称が定着したのでしょう。
どうも『BEAT UK』というテレビ番組が、その言葉のハードルを下げたのではないかと考えられます。1990年の11月に始まった深夜帯の洋楽番組で、イギリスのヴァージン・メガストアの売り上げを基に構成されていたようです。「ようです」と書くのは、この番組が私の住む関西では放送されていなかったから。そうなんです。関西の深夜枠は、ローカル局が「東京に負けたらアカン!関西NO WAVEじゃ!」とばかりに鼻息も荒く、『BEAT UK』も『イカ天』も『オールナイトフジ』もやってなかったんです。ただ、1992年にオープンした京都のヴァージン・メガストアの店内でも、『BEAT UK』の内容と連動して選ばれた音楽を専属DJが流しており、その番組の存在を知るとともにUKという言葉が近づいてきた気がしました。
オアシスとブラーが競い合っていた頃になると、彼らをブリティッシュ・ロックと呼ぶファンは少なかったと思います。クーラ・シェイカーやリーフのように往年のブリティッシュ・ロック・サウンドに近いバンドでも、UKロックとして親しまれていました。
今はどうかわかりませんが、当時はとくに、ブリティッシュ・ロックの言葉には鈍重な響きがしました。時代性の点でUKロックに取って代わられたと言えます。私は鈍重な響きも好きだし、少し年下のUKロック・ファンに対して、「おまえらどうせツェッペリンを馬鹿にしてんだろ?」と問い詰めたくなる瞬間も多々ありました。そこには自分より若い世代のセンスへの嫉妬や焦りが入っていたことは認めざるを得ません。
私は現在もロキシー・ミュージックをUKロックと言われたら、わずかにイラッとします。それはなぜかというと、ブリティッシュの形容は、斬新さや型破りの向こうにある因習や保守性の縛りをも想像させ、それゆえに、その殻を突き破って生まれたクリエイティヴな強さが伝わるのです。UKロックだと、その部分が薄味というか、もっと風通しのよくなった社会から生まれた弱さを感じてしまいます。
いずれにせよ、これは日本人による呼び方の変化でして、すなわち私たち自身のセンスや願望の在り方や社会の変化を反映しているのかもしれません。
うわっ、東京ロッカーズとUKロックのことで字数を割きすぎました。予定していたグラム・ロックには今回も行きそうにありません。よし、グラム・ロックは後日また単独の記事を書くことにします。ほかにもサザン・ロックとカントリー・ロックとスワンプ・ロックの紛らわしい区分などネタには欠きませんし、それも時間をあけて第3弾に。
で、今回の最後はオルタナティヴです。まあ、みなさん、これを初っぱなから飲み込めた人は少ないでしょう。

この言葉との出会いは、私が大学に入った1986年です。1990年代ではありません。当時いくつかの中古レコード店で”Alternative”と仕切られたコーナーを見かけました。店によってはカタカナで”オルターネイティヴ”も。どんなレコードがあるのか覗いてみると、ザ・ポップ・グループ、キャバレー・ヴォルテール、スロッビング・グリッスルにサイキックTV・・・要するにイギリスのポスト・パンクですが、殺伐としたデザインのジャケットが並んでいました。これはきっと、聴いたらアタマがおかしくなるタイプの音楽にちがいないと、18歳だった私はワクワクするも、2000円以上も払ってウギャ~~ッ!!ウィ~ン、ピ~ッピキ~ッ、ギャウギャウ!な音の羅列だったらどうしよう、と尻込みして退散しました。
その後、ザ・ポップ・グループなどの有名どころは聴いて、人生でも指折りの衝撃的な音楽体験を得たのですが、オルタナティヴの意味を英和辞典で引いてみると「代替可能」「二者択一」とあり、さっぱり要領を得ませんでした。実験的と言えば済むのに「代替可能」とは?意味がわからん。
時は流れて1991年。イギリスのマンチェスターのロックで踊っていた私が、アメリカからダイナソーJrやバッファロー・トム(!)の音に触れて、なにやらノイジーで殺伐としたロックが台頭しているようだと察していると、『ネヴァーマインド』の投下。リリース直後は日本ではさほど盛り上がらなかったのですが、明けて1992年、ニルヴァーナが来日する頃にはグランジ・ロックなるサブ・ジャンル名がロック・ファンに届いていました。
グランジという言葉は意味を知ると飲み込みやすかったです。なるほど、と感心したりしました。そうこうするうちに、グランジを中心とした新しいロックの動きがオルタナティヴと呼ばれていることを知ります。さあ、ここで再会したオルタナティヴ、その90年代アメリカ版です。いちおう、私もイギリスのポスト・パンク系オルタナを通ってはいましたから、それなりに余裕をもって90年代アメリカン・オルタナと向き合ったのです。グランジは瞬く間に”絶望パンキッシュ・ハード・ロック”みたいなパターン化が進み、それに逆らったニルヴァーナの『イン・ユーテロ』が発表されたのが1993年。
メインストリームに「代替」するオルタナティヴ、の意味がグランジによって掴めたのは確かです。しかし、私にその言葉をズシンと受け止めさせたのは、グランジがパターン化して、その枠内にとどまらない「代替」が出て来てからでした。パターン化した中にも好きなものはいっぱいありましたが、カート・コバーンの死の1ヶ月前にリリースされたベックの『メロウ・ゴールド』を聴いて、あ、時代はまたまた変わっていくんだと、不思議に心が軽くなったのを今でも記憶しています。同じ年にグランド・ロイヤルからリリースされたルシャス・ジャクソンの『ナチュラル・イングレディエンツ』もしかり。
その時点から振り返って、1992年にペイヴメントのSummer Babeという曲に壊れた解放感を覚えたことも、私にとってのオルタナはそういう道筋が最も魅力的なんだと認識した次第。この感覚を他人に強制するつもりはないし、各時代にパターンをわかりやすく刻む一般普及型のオルタナがあってもいいと思います。けれど私の耳には、メインストリームのフィルターで濾過されないアクのある音のほうが魅力的です。
では、いったんここで締めまして、サブ・ジャンルについての雑談の第3回は後日また。それと私が一番好きなサブ・ジャンルであるグラム・ロックのことも独立した記事で。
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