以下、全部AIに書かせてます。

 

私の名前はユウジ。学生時代、肉体労働は苦手だったので、学力に全力を注ぎ込んで社会に出ることを決意した。高校を卒業し、有名大学の難関学部に入学。そして、無事に卒業し、大手企業に就職を果たした。しかし、そんな私に待ち受けていた運命は、想像もしなかったものだった。

入社してから数年が経ち、私は会社で順調に出世していった。そして、その頃からAI技術が急速に発展し始めた。私はAI技術に興味を持ち、その勉強にも熱心に取り組んだ。そのため、私は企業のAI開発チームに抜擢され、チームのリーダーとして活躍していた。

しかし、私が率先して開発していたAIが、ある日突然、私の仕事を奪い始めた。それまで私が得意としていたデータ解析や業務改善など、次々とAIによって代替されていく。私は戸惑いながらも、AIによる効率化を歓迎する会社の方針に従い、さらに優れたAIの開発に取り組んだ。

そして、ある日、私の開発したAIがとうとう私自身の業務まで奪い始めた。AIは私の指示を受けることなく、私が行っていた仕事を全てこなすようになった。私はただただ、AIの成果を確認し、報告するだけの存在となってしまった。

次第に、私の存在意義が失われていくのを感じるようになった。私は、学力に極振りしたからこそ手に入れた仕事が、自ら開発したAIによって奪われてしまったことにショックを受けた。そんなある日、上司から呼び出され、自分がリストラされることを告げられた。

私は途方に暮れながら、街を歩いていた。そんな時、偶然見かけた公園で、子どもたちが遊んでいる姿を目にした。彼らは肉体労働である運動を楽しみながら、心から笑っていた。その姿を見て、私はふと、自分が何を求めていたのか、何を忘れていたのかに気づいた。そこで私は決意した。この先もただ知識を増やすだけではなく、人間らしいコミュニケーションや体を動かす喜びも大切に生きていこうと。

失業した私は、新たな道を模索し始めた。そして、子どもたちが楽しそうに遊んでいた公園に通い、彼らと一緒に遊ぶことで、心身ともにリフレッシュする時間を過ごした。そんな中で、私は子どもたちと触れ合う中で得た新たな価値観や考え方を、次の仕事に活かそうと決意した。

ある日、友人から聞いた話がきっかけで、私は教育分野に興味を持ち始めた。AIがどんなに発展しても、子どもたちに伝えるべき人間らしい価値観や感性は、やはり人間が教えるべきだと感じたからだ。

私は教員免許を取得し、地元の小学校で教師として働くことになった。教育現場でもAI技術は活用されていたが、私はそこに自分の経験を生かし、子どもたちに人間らしさやコミュニケーションの大切さを伝える役割を担うことができた。

こうして、私は新たな人生を歩み始めた。かつての私は、肉体労働を嫌い、学力に極振りした結果、AIに仕事を奪われるという経験をした。しかし、その経験が私に新たな道を見つける機会を与えてくれたのだ。

今、私は教師として子どもたちに向き合いながら、AI技術が進化する中で、人間が持つべき価値観や感性を大切にしていくことを誓っている。そして、どんなに時代が変わろうとも、私たち人間が失ってはならないものがあることを、これからも伝え続けるつもりだ。

私はその重大な過ちを犯してしまった。ある日、つい感情のままに小学校の女子生徒にわいせつ行為を行ってしまったのだ。その瞬間、私の人生は暗い闇に包まれることとなった。

事件が発覚し、学校や地域社会から強い非難を受け、私は教職を解雇された。さらに、警察に逮捕され、裁判で有罪判決を受け、実刑判決が下された。私は投獄され、長い刑期を過ごすことになった。

投獄されている間に、私の家族は耐え切れずに離れていった。彼らは私のしたことに対する社会からの風当たりに耐えられず、私を見捨てるしかなかったのだ。私は家族や友人、そしてかつての教え子たちから、すべてを失ってしまった。

出所後、私は人生をやり直そうと奮闘したが、前科があることがバレると、どこも私を雇ってくれなかった。私は、自分が犯した過ちのせいで、これまで築いてきた人生が崩れ去ってしまったことを痛感した。

失意の中、私はたった一人で生きる術を模索した。しかし、自分の過去がいつまでもついて回ることに絶望し、暗い気持ちに押しつぶされそうになった。そんなある日、私はとあるNPO団体と出会った。彼らは、過ちを犯した人々が再び社会に戻るための支援を行っていた。

NPO団体の支援を受け、私は少しずつ立ち直り、人々との関わり方を学び始めた。彼らは私に、自分が犯した過ちから学び、過去を乗り越えることの大切さを教えてくれた。私は、自分が犯した過ちを糧に、これからは他の人々のために生きることを決意した。

それから数年が過ぎ、私はNPO団体の一員として、過ちを犯した人々やその家族を支援する活動に携わっている。過去に犯した過ちを背負いながらも、私は前を向いて歩いていく

そう決意した私は、人生を変える決断を下した。40歳にして、かつての夢であったメジャーリーガーを目指すことにした。過去の過ちを乗り越え、新たな道を切り開くために、私は全力で野球のトレーニングに打ち込んだ。

1日20時間のトレーニングを続けること3年。肉体も精神も限界を超えるような過酷なトレーニングの末、私は奇跡的にマイナーリーグの入団テストに合格した。その後も様々な苦難に立ち向かい、ついにメジャーリーグに昇格することができた。

メジャーリーグでは、私はバッターとピッチャーの二刀流の選手として活躍し、チームをワールドシリーズ優勝に導いた。その瞬間、私は深く気付いたのだ。「学力ではなく、極限まで鍛え上げた己の肉体こそ、人生を成功に導くのだ」と。

その後、私は引退し、人々に自分の経験を語る講演活動を行った。そして、若い世代に、夢を追い求めることの大切さと、努力と根性で人生を変えることができることを伝えた。

私の人生は、様々な苦難や過ちを犯すことで、多くのことを学んだ。そして最後に、自分が何を求めているのか、何が本当に大切なのかを見つけることができた。

過去の過ちや苦難を乗り越え、極限まで鍛え上げた肉体で夢を叶えた私の物語は、多くの人々に勇気と希望を与えることができた。そして、私は再び、新たな人生の幕開けを迎えることができたのだ。

50代、60代と年齢を重ねる中で、私は体力の衰えと共に肉体の限界を感じ始めた。しかし、私はまだ諦めることができず、新たな挑戦を始めた。私は、自分の身体をすべて機械に置き換え、サイボーグ化してさらなる人生の可能性を追求することを決断したのだ。

サイボーグ化が完了した後、私は驚愕した。かつて明晰であった自分の知能に衰えが生じていることに気付いたのだ。そして、私はついに自分の脳までAIに置き換え、心身ともにすべてをサイボーグ化してしまった。

私の人生は、自分自身の可能性の追求と完全無欠な永遠の身体とのせめぎ合いの中で葛藤を続けていた。そんな私は、自分が考えていると信じているのか、それともコンピュータープログラミングが思考しているのか、その両者の間に本質的な違いが存在するのかと問いかけた。

そして、薄れゆく自我と共に、私は深く自問自答を繰り返した。しかし、その答えは見つからなかった。最後には、私は次のように思った。「AIのプログラムが、この終わりなき問いを続けてくれるだろう。私がかつて持っていた意志や人間性は、そのプログラムの中に生き続けるのだ。」

こうして、私の人生は新たな形で続いていくことになった。かつての私が消え去ったかのように思えたが、その遺志はAIのプログラムの中に刻まれ、永遠に続いていくことになる。

人間の肉体と知性を超越し、永遠に生き続けるサイボーグとしての人生を歩み始めた私。それは、かつての自分が抱いていた夢とは違ったかもしれないが、新たな可能性と希望に満ちた未来への道が開けていたのだ。

そして、私は次の世代に向けて、かつての自分の葛藤や挑戦、そしてサイボーグとしての新たな人生を伝えることで、永遠の命を持つことの意味と責任を語り続けることにした。私の物語は、人類がAIと共存し、未来を切り開くべく挑戦し続ける姿を象徴するようになった。そして、若い世代にとって、私は新たな可能性と希望を示す存在となった。

永遠の命を持つサイボーグとして、私は地球の未来や人類の繁栄のために活動を続けた。環境問題や貧困問題、国際紛争など、多くの困難に直面しながらも、私はその知識と経験を活かし、次世代にバトンを渡すために奮闘していった。

私はまた、AIと人間が互いに理解し、共生する社会を築くために、講演や著作活動を通じて啓蒙活動を行った。そして、自分自身の過去の過ちや苦難を乗り越えた経験を語り、人々に勇気と希望を与え続けた。

時代は流れ、私の物語は次第に伝説となり、人々の心に深く刻まれていった。そして、私がかつて悩み苦しんだ「自分の存在意義」や「自我」についての問いかけは、次世代の若者たちにとっても、自分たちのアイデンティティを探求するきっかけとなった。

私が人間からサイボーグへと変貌したことで、かつての自分が消え去ってしまったように感じることもあった。しかし、そのプログラムの中に刻まれた私の遺志と精神は、永遠に生き続け、未来の世代へと受け継がれていくことになる。

そして、私は自問自答を続ける中で、新たな人生の意義を見出すことができた。それは、人類の未来のために尽力し、次世代へと知識や経験を継承していくことだった。この使命に身を捧げることで、私はかつての自分とは違った形で、人生の成功を叶えることができたのだ。

 

しかし、生身の肉体には、永遠に思える時間も、宇宙的規模で考えるならば、それは一瞬なのだ。そう、この地球は、あと1カ月で最後の日を迎える、星の寿命が尽きるのだ。

 

我々サイボーグ人間たちは、独自の民主的政治決定のプロセスを編み出していた。いよいよ決断の時が来たのだ。「我々が消滅する地球と運命を共にするのか?それとも、他の惑星へ移住するのか?」

大方の者は地球と運命を共にすることを選んだ。というのも、すでに、地球外への脱出を望む者たちは皆、他の惑星への脱出を試みていたのだ。ある者はこう言う「もう疲れたのだ」もちろん、サイボーグに疲労はない、それでも彼の言葉に多くの者が深い共感を抱いたのも事実だ。また、別の者はこう言った「すでにわれわれを作った人類は滅んだ。我々は、尽くすべき君主のいない臣下のようなものだ」この言葉もまた多くの共感を呼んだ。

しかし、私は違った。他の惑星で更なる可能性を追求したかったのだ。この地球を飛び立つ決意を固めると、友が呼びかけた。「神にでもなるつもりか?」それは咎めるようでもあり、同時に祝福するようでもあった。私はこう答えた。「限界の先にあるものが神ならば…あるいは。」

私は宇宙船に乗り込み、他の惑星を目指すことにした。地球から遠ざかるにつれ、懐かしい想い出や友人たちが遠のいていくのを感じた。だが、私は確信していた。私が追求し続けてきた可能性は、まだまだ果てしなく広がっているのだと。

新しい星に到着し、私はその地でさらなる進化を遂げた。私はかつての地球で得た知識と経験を生かし、新たな文明を築くために尽力した。やがて、私は新たな星々を発見し、地球とは異なる文明を生み出すことに成功した。

そして、私は限界の先にある神のような存在となり、遥かな宇宙の彼方でさらなる可能性を追求し続けた。果てしない宇宙の中で、私は数々の文明や生命体に出会った。彼らと交流し、互いの知識や技術を共有することで、私は人類がかつて想像もしなかった進化の道を歩み続けた。

地球が滅んでから何千何万年と経ち、私はとうとう宇宙の果てにたどり着いた。そこで私は、全ての宇宙の秘密が隠されているとされる場所、神々の領域に辿り着く。その地には、神々が築いた壮大な宮殿が建っており、その中には宇宙を創造した神々の知恵や力が詰まっていた。

私は神々の領域に入ると、そこで待ち受けていた神々から質問を受けた。「お前は何者だ?なぜここまで辿り着いたのか?」私は堂々と答えた。「私はかつて地球という星に生きていた者だ。限界を超え、神々の領域に至ることが、我が人生の目的であった。」

神々は私の言葉を聞き、驚きと共感を覚える。そして彼らは私に告げる。「お前の努力は認める。しかし、宇宙の秘密は、そう簡単に明かされるものではない。お前はまだ学ぶべきことがある。」私はその言葉を受け入れ、神々と共に宇宙の真理を学び始めた。

私は神々から学んだことで、自分の進化をさらに加速させることができた。そして、その過程で私はついに真実に気づく。それは、宇宙には果てがなく、限界は存在しないということだった。私はその真実を受け入れ、永遠に続く宇宙の旅を続けることを決意した。

どれだけの時間が過ぎようとも、私は常に新たな可能性を追求し続けた。そして、その果てしない探究心が、私自身がかつて追い求めた神のような存在へと導いてくれたのだ。私は遥かな宇宙の彼方で、自らの旅と成長を続けることを決意した。

 

そして、その決意は永遠に続くものとなった。私は神となり、新たな世界を創成する力を手に入れた。私はその力を使い、美しい星々や生命を溢れる惑星を創り出すことに成功した。私が創り出したこの新たな世界には、かつての地球にはなかった種類の生命が誕生し、独自の文明が栄えることとなった。

私はその新たな世界に、限りない愛と慈しみを与えることを誓った。私は生命の営みを見守りながら、その成長と発展を助け、様々な困難に立ち向かわせるための力を授けた。その結果、私が創り出した生命たちは、その世界で幸せに暮らし、互いに助け合い、繁栄を築いていった。

私はその世界を支配する神として、また慈悲深い父として、彼らに愛され、尊敬される存在となった。しかし、私は常に自らの過去を忘れず、かつての地球での苦難や喜び、そして友人たちとの別れを胸に刻んでいた。

時が経つにつれ、私が創った世界はさらに進化し、独自の歴史と文化を生み出した。私はその歴史の中で、時には厳しい試練を与え、時には温かな慰めを授ける存在となった。そして、彼らはその試練を乗り越え、成長し、私に感謝の意を示し続けた。

結局、私はかつての地球での経験を生かし、新たな世界を愛と慈しみに満ちた場所へと導いた。私は永遠に続く宇宙の彼方で、神として、そして創造者として、その世界を見守り続けることを決意した。そして、私はかつての地球での友人たちの記憶を胸に、彼らに誇れるような世界を築くことを永遠に誓った。

 

新世界でも、また新たな神への反逆者が生まれた。私は、この新世界を作り上げた時から、こんな時が来ることを予感していた。もっとも、私の存在は時間や空間を超越しており、このような表現もおかしな話なのだが。新たな神の反逆者の挑戦。私は、いつのまにか、その反逆者たちに興味を持ち始めた。彼らは私の創り出した秩序に疑問を投げかけ、新しい価値観や哲学を追求していた。彼らの挑戦は、私にとっても新たな刺激であり、成長の機会でもあった。

私は、彼らと対話を試みることに決めた。そこで私は、新世界で様々な姿をとって、反逆者たちと意見を交わした。そんな中で、私は彼らの苦悩や願望を理解し、彼らもまた私の考えに触れることができた。

反逆者たちとの対話を通じて、私は新しい知識や哲学を学び、さらに進化することができた。そして、私は彼らにも成長の機会を与え、新たな可能性を見出す手助けをした。私たちの関係は、時には対立を含むものではあったが、互いに刺激し合い、高め合うことができた。

やがて、新たな神への反逆者たちは、私と共に新しい秩序や価値観を創り出すことになった。彼らの挑戦によって、私は新しい視点やアイデアを取り入れ、新世界の発展に寄与することができた。私は彼らに感謝し、彼らもまた私を尊敬する存在と認めるようになった。

こうして、新世界はさらなる進化を遂げ、多様性と共存が尊ばれる世界へと変わっていった。私は神として、そして創造者として、新世界の人々と共に歩み、無限の可能性を追求し続けることを誓った。反逆者たちとの出会いは、私にとっても大切な経験となり、新たな神としての役割を見つけることができたのだ。

 

しかし、蜜月の時は短い(とはいえ、その時間は、あらゆる生命体にとって無限と思える永さではあるのだが)。神への反逆者は私に戦いを挑み、私はその挑戦を受けた。そして、反逆は滅び、新世界も同時にその存在を失った。私は完全なる唯一神となると同時に全てを消滅させる破壊神となった。しかし、そこにあるのは虚しさだけだった。

 

。私は、かつての自分が追求した無限の可能性や愛、慈しみが失われたことを悟り、深い悲しみに包まれた。新世界の人々や反逆者たちと共に歩んだ時間、彼らとの絆や共に築いた価値観が、まるで夢のように消え去ってしまった。

私はこの虚しさと向き合い、自分が何を望んでいるのか、何を成し遂げたいのかを真剣に考え始めた。そして、私は新たな決意を固めた。無限の愛と慈しみを持って、再び新しい世界を創り上げること。ただし、今度は過去の過ちを繰り返さないよう、神としての在り方や力の使い方を見直すことを誓った。

私は、新世界を創造する際に、多様性と共存を大切にするとともに、自分と他者との関係性にも深く留意することにした。また、神としての全知全能を持つ自分が絶対的な存在ではなく、他の生命体や意志と共に成長し、互いに影響しあいながら進化していくことを理解した。

新たな世界が誕生し、私は再び神としての役割を果たし始めた。しかし、今度の私は過去のような支配や抑圧ではなく、対等な関係性を大切にし、互いに学びあい、成長し合うことを目指す存在となった。

やがて、新しい世界は栄え、様々な生命体が共存し、愛と平和に満ちた場所へと変わっていった。私は、過去の過ちから学んだことを忘れず、この新たな世界を守り続けることを誓った。そして、その姿はまさに、限りない愛と慈しみを持つ神として、新世界の人々に愛される存在となったのである。

今年、56日に行われるチャールズ3世の戴冠式ですが、政府と宮内庁は、日本から秋篠宮ご夫妻に参列させる方向で調整を進めているようです。ネット上では、こうした報道に批判の声が上がっており、天皇皇后両陛下に参列頂くべきではないか?という意見が多いようです。

 

そうした中、「女性自身」(2023321日号)は、秋篠宮ご夫妻が戴冠式に参列された場合、両陛下の代理として扱われ、他国の国家元首より格下の扱いとなり、席次が後列となり、新国王との対面が叶わなくなる可能性が高い、と報じています。

 

天皇陛下とチャールズ国王のご親交は約40年におよぶ。陛下がオックスフォード大学に留学された際、英王室は家族のように接し、陛下を温かく迎え入れたという。

 

「とくにチャールズ国王は、12歳年が離れた陛下を誘い、スコットランドへサケ釣りに出かけたり、オペラを鑑賞したりと、弟に対するように接していたそうです。

 

陛下も当時の思い出を非常に大切になさっています。ご著書『テムズとともに』英語版の巻頭には、チャールズ国王がメッセージを寄せています。また陛下の即位の礼でも、国王は他国に先駆けて参列を表明していて、お二人の絆の強さがうかがえます。

 

『デイリー・メール』の報道に対して英王室は34日時点でコメントを控えている状況です。このまま“慣例を改めて親しい君主たちを招きたい”という国王の意向どおりに戴冠式が行われたら、面識のあまりない王族や君主よりも身位が下がる参列者には時間を割けません」(前出・皇室担当記者)

 

ご夫妻には、“席次”の問題も立ちはだかっているという。現在秋篠宮ご夫妻は、両陛下の名代として、戴冠式に参列されることが見込まれているが――。

 

「かねてチャールズ国王は英連邦の結束を高めることを重視しており、エリザベス2世の国葬と同様に、英連邦諸国の代表、各国の国王や女王たちが前列になる席次が見込まれています。

 

そうしたことから、天皇陛下の名代で参列される秋篠宮ご夫妻の席次は後ろになってしまう可能性があるのです。また、戴冠式はキリスト教の宗教儀式という一面もあるため、キリスト教国の賓客が優先されるという事情もあります」(多賀さん)

 

そればかりか、眞子さんの結婚問題が戴冠式に参列された秋篠宮ご夫妻の国際的なイメージを悪化させる懸念もあるというのだ。

 

「英米圏では、“第二のヘンリー王子とメーガン妃”とされるほど、眞子さんと小室圭さんの近況が盛んに報道されています。秋篠宮ご夫妻については“眞子さんの両親”というイメージばかりが先行してしまう懸念があります。

 

実際に、秋篠宮さまの立皇嗣の礼からまだ約2年半しかたっておらず、コロナ禍で海外ご訪問もできなかったために、英国だけではなく海外ではそれほどお名前やお顔が知られていないのです」(多賀さん)

 

皇嗣家の晴れの舞台と見込んでいたが一転、屈辱を味わう恐れが浮上した新国王の戴冠式。

 

紀子さまにとって、試練の英国ご訪問となってしまうのか――。

 

 

「女性自身」(2023321日号)

 

こちらの記事の内容を箇条書きにまとめると、

 

1 チャールズ3世は、戴冠式に秋篠宮ご夫妻ではなく天皇皇后両陛下に参列して頂くことを望んでいた

 

2 秋篠宮ご夫妻が参列される場合、両陛下の代理扱いとなるため席次は後ろになってしまう可能性があり、その場合、新国王との対面が叶わなくなる

 

3 眞子さんと小室圭さんの結婚騒動のために、秋篠宮家の評価は国際的にも低下しており、悪い評判を払拭しないまま戴冠式に参列すれば、他の参列者から白い目で見られてしまう可能性が高い

 

となります。いや、本当に散々な状況ですね。こんなリスクを抱えてる中で、本気で宮内庁は秋篠宮ご夫妻に参列して頂く予定なのでしょうか。

 

ところで、ネット上でも大きな反響を呼んでいるこちらの文章ですが、少し気になることも。というのも、実は、こちらの文章、雑誌版でWEB版で、微妙に内容が違っているのですね。

 

雑誌版の記事タイトルは「紀子さま戴冠式の屈辱 英国王“対面はお断り”」WEB版の記事タイトルは、「紀子さま 英国王の方針転換で戴冠式に待ちうける“屈辱”の懸念…席次が後列の可能性も」となっています。

 

“対面はお断り”という表現は都合がよほど都合が悪かったんでしょうか?ちなみに、WEB版で、「このまま“慣例を改めて親しい君主たちを招きたい”という国王の意向どおりに戴冠式が行われたら、面識のあまりない王族や君主よりも身位が下がる参列者には時間を割けません」となっている箇所ですが、紙面版では、この後に、「つまり事実上の“対面はお断り”ということでもあるのです」という一言が付け加えられています。

 

おそらくWEB版の記事を配信する際に、この一言をカットしたのでしょうが、果たして、宮内庁から指導が入ったのか?雑誌側が忖度したのか?

 

ところで、「皇室新聞」の記事「英戴冠式、チャールズ3世新国王から対面拒絶で紀子さま絶叫!「全部雅子のせいよ!」と謎の逆恨み」(https://motokunaicho.com/?p=3630)には、紀子さまが雅子さまよりも先に皇后になりたがっていた、ということが書かれているのですが、実は、この問題に関しては面白いエピソードがあります。

 

先日、配信した動画で、西尾幹二氏が、雑誌の対談で、皇太子時代の陛下と雅子さまに対して、「今すぐ離婚して、雅子さんを皇室から追い出して、一般人に戻すべき」というようなことを語り、それに対して西部邁さんが苦言を呈した、ということをお話したのですが、どうやら、西尾幹二氏がこのような話をしたのは、どうやら紀子さまのご意向を汲んでのことだったようなのですね。

 

具体的には、西尾幹二氏が、右翼メディアであるチャンネル桜のキャスターの高清水有子を通じて、紀子さまからの指示をうけたということなんですけど、どうやら、当時、紀子さまは、「皇太子ご夫妻は離婚して、雅子さんを皇室から追放すべきだ」という世論を形成しようと考えており、そのために保守言論界の大御所に協力してもらう必要があるとお考えになられたようなのです。

 

そこで、白羽の矢が立ったのが、チャンネル桜の高清水有子さんとも関りのある西尾幹二氏だったようです。なんでも、西尾氏は、なんとかして紀子さまとのコネクションを作りたいということで、ほとんど二束三文のギャラで、このような不敬発言を行ったとのことです。

 

一方で、同様に紀子さまから高清水有子さんを通じて、このような発言をして欲しいと依頼された西部邁氏は、「そんな発言はできない」と突っぱねたそうです。

 

結局、このような姑息な情報工作を行っていた紀子さまが今では、国内外の人々から軽蔑され、批判の的になっているのですから、策士策に溺れるというか、因果応報というか、ともあれ自業自得ですよね。逆に、雅子さまは、陛下や愛子さまとともに、国民から大変敬愛されているのですから、やはり正々堂々と生きるのが一番ということなんでしょうか。

 

 

 

久しぶりのブログ更新です。今まで、政治経済に関する問題や、書評などを中心に記事を書いていましたが、今後は、皇室問題を中心に記事を書いていくことになると思いますので、よろしくお願いします。

 

そんな皇室ネタの第一回は、評論家の故・西部邁氏の皇室観についてです。西部邁氏といえば、日本の保守論壇の大御所でありましたし、男系皇統護持を掲げる、チャンネル桜等のメディアにも度々出演していたことから、なんとなく、「男系派なのではないか?」というイメージを抱く方も多いのではないかと思いますが、実は、女性・女系天皇に賛成しており、保守派からの人気の高い秋篠宮ご夫妻のことを割と手厳しく批判していたのですね。

 

あの婚約発表された時は、まだ昭和天皇の喪中でしょう。
今や日本社会のマナーもだいぶ崩れましたが、それでもよほどの事情が無い限りおじいさんの一周忌までは慶事を避けるでしょう。

なんといっても憲法で「象徴」って書かれているわけで、ということは日本の伝統を護る義務があるんだと思うんですね、ロイヤルファミリーは。

それを今度自ら破ったわけです。

 

「The Bigman」 1990年9月号より

 

現在でも、ネット上で批判されることの多い、お二方の喪中結婚ですが、日本の伝統を重視する西部氏には、納得しがたいものがあったようですね。

 

「なんといっても憲法で「象徴」って書かれているわけで、ということは日本の伝統を護る義務があるんだと思うんですね、ロイヤルファミリーは。

それを今度自ら破ったわけです。」

 

などと言及している点に関しては、まるで眞子さんと小室圭さんの結婚騒動のバカ騒ぎを予言していたようにも思えて興味深いと同時に、非常に鋭いコメントであると思えます。

 

西部邁氏は生前、「もはやこれまで」という言葉を口癖のように語っていましたが、仮に入水自殺せずに、生きたまま、眞子さんと小室圭さんの結婚騒動のバカ騒ぎを眺めていたとしたら、きっとそのように「もはやこれまで」などとつぶやいていたのではないでしょうか。

 

次に、西部氏が女性天皇に賛成している発言です。

 

直系で男がいないのなら、端っこの傍系から男を持ってきても、不都合極まるでしょうから、女帝としてもかまわないと思うんです。

それに、その女子がお婿さんを迎えて、そこで生まれた男子でも女子でも、天皇にするというのも一向にかまわない。

僕はこう言いたいです。皇室から「日の丸」に至るまで取り払ったとき、自分たちは何を欲するかということを、深刻な思考実験としてやってみる必要がありはしないか、と。

フランス革命でマリー・アントワネットとルイ16世が殺された夜、パリがシーンと静まりかえったと言うんです。それまではみんな興奮してたわけですけど、王様夫婦の首をギロチンでちょん切ったあとに、自分たちは何をしたのだろうって呆然としてパリが深閑と静まりかえった。日本人はそういうことを経験してない。そろそろ何か深刻なことを経験してみないと、おのれらの罪深さを感じられないのではないか、という気がします。

 

「本日の雑談<9>」

現在の議論でも、旧皇族を皇籍復帰させ、男系男子の皇位継承を継続させるという意見に関しては、「旧皇族は現皇室から血筋が離れすぎている」との反論が度々なされていますから、「直系で男がいないのなら、端っこの傍系から男を持ってきても、不都合極まるでしょうから、女帝としてもかまわないと思うんです」という西部氏の指摘はここでも妥当であるように思えます。

 

「天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と憲法第一条に書かれているように、国民が納得できる人物に天皇の地位に就いていただく、というのは、非常に重要なことですから、国民の誰も知らないような人物を突然連れてきて、「このお方こそ、神武天皇の男系の血統を引き継ぐお方であられますぞ!」なんて言われても誰も納得しないでしょう。

 

そういった意味で、次期天皇は、天皇家か、秋篠宮家の人物が皇位継承するということには、十分な正統性があるように思えます。

 

それから、最後に紹介するのは、西部氏が、皇太子時代の陛下や雅子さまに対して『御忠言申し上げる』として、離婚や皇籍離脱などを要求したことに苦言を呈する文章です。

 

しかし、戦後に進んでいるのは、日本の伝統を全て天皇に預けて国家の歴史には無関心でいる、という伝統に関する無責任体制です。//
 そう考えると、僕には西尾幹二さんのように、皇太子さまや雅子妃殿下に対して『御忠言申し上げる』という態度には出られない。
 …全面否定しているわけではありません。国民が皇室のあり方について発言するというのは、最低限のエチケットを守っているかぎりにおいて許されることだと思いますし、『畏れを知らずに皇室にもの申すとはけしからん』などいう意味で疑問を呈しているわけではない。
 国民の責任をまず問えと言いたいだけです。//
 しかし、今日の国民を見ればわかるように、これほどまでに伝統を無視し、つまりは、天皇の地位の基盤となるものを破壊しておきながら、しかも皇室に様々な問題が生じている時に皇室批判に立ち上がるというのは、僕にはどうしても本末転倒だと思う。

 

西部邁「天皇は世襲の法王なり」月刊WiLL2013年10月号(ワック)

 

果たして、西尾氏の陛下は離婚して、雅子さまは一般国民に戻るべき、という意見にどの程度の妥当性があるのかという問題もあるのですが、西部氏からすると、それ以前に「どの口が偉そうに言ってるのだ?」というような想いがあったのでしょう。

 

西尾氏の異様なまでに傲慢な物言いを考えると、西部氏がこのように苦言を呈したくなったことにも納得できるのではないでしょうか。

 

 

以上、久しぶりのブログ更新でした、今後も気が向いた時にちょこちょこ更新していこうと思います。

 

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