中野剛志さんの『富国と強兵』を読んだことと、まあ『進撃の庶民』グループ界隈で話題になっていることもあってMMT(モダンマネタリーセオリー 現代貨幣理論)について考えたことを少し書いてみようかと思います。あと、まあ最近は国家論とかニーチェ思想の解説とか、ダン・ブラウンの小説シリーズの解説とか書きたいことが山ほどあるのですが、なかなか個人的な能力のキャパシティの限界もあり、何でもかんでもは書けないのが現状です・・・一方で、最近ではAmazonの書籍朗読サービスやら、YouTubeにアップされている書籍朗読動画なども多くアウトプットが追い付かないくらいにガンガン情報がインプットされていて、「今日はコレについて書いて、明日と明後日はアレとアレの問題についてさらに詳しい解説を書いていこう・・・」とか考えていても、もう次の日になったら、「いや、やっぱり予定変更でこの問題についてここで論じておこう・・・」みたいになって収集つかないような感じですw

 

 時にはゆっくりマイペースで思索を深めつつ、自分のアイディア練って・・・なんてこともしてみたいのですが、まあこういう感じで雑多な情報を大量にインプットしながら、同時並行でガンガンアウトプットしてくみたいなのが自分のスタイルだと思うので仕方ないですねw読者の方の中にも、「この問題についてもっと掘り下げて詳細に論じて欲しい・・・」というような物足りなさを感じる方もいるとは思うんですが、ちょっと難しいのが現状です。まあ、この辺がアマチュアである素人ブロガーの悲しいところですな(もっとも、現在では驚くほどの知識量を論理性を持って特定の問題に論じるようなプロ顔負けのブロガーさんなどもいるのでしょうが)。

 

 と、まあ最初に言い訳がましい文句の前置きをしたところで、MMTについて私が思うところを論じたいのですが、最初にとんでもないことを言うと、「MMTとは何なのか?」という詳細な説明はちょっと難しいので出来ません(笑)えー、なんでかというと、まずここで簡単に説明できるほど単純な理論ではないことと、そもそも私自身がしっかりと理解できているわけでもないことwそれから結構色々な経済の問題と同時並行で論じられるのでイマイチ「何がMMT理論で何がMMT理論ではないのか?」という明確な線引きが難しいからです。とはいえ、さすがにどんな理論か簡単な説明だけはしなくてはいけないと思うので簡単に説明します(結局するんかい?!w)。

 

 えー、まずMMTの理論が何故出てきたのかというと、現代の主流の経済学で用いられている商品貨幣論を修正するために出てきた理論だと思われます。商品貨幣論とは、いわば経済の進化は物々交換の原始的な経済から、その不便さを解消するために現代の貨幣経済に変化したという考えです。このような通俗的な経済史観の問題点の一つは、貨幣を貴金属から変化した様々な財(商品)の一種とみなしている点です。ただし、現実には歴史的に物々交換によって経済を発展させていったという史実が見つかっていないそうで、素朴な感覚としての「物々交換経済⇒貨幣経済」という歴史観はあくまで通俗的なイメージでしかないそうです。

 

 物々交換の問題点は、異時点間の取引が成立しない点です。例えば、秋に獲れるサンマと、夏に採れるスイカを交換しようとしても物々交換は成立しない。何故なら、物々交換を行おうとすると、スイカを貰う時に、自分がサンマを持ってないければならないのですが、現実にはサンマが取れるのは秋なので、スイカを受け取った際にサンマが獲れる秋まで受け渡しを待ってもらう必要がある。で、まあココで出てくるのが借用書なんですね。スイカを渡す人は、「夏にスイカを渡したこと」を証明する証書のようなものを発行する(おそらく最初は粘土板や木の板のようなものだったでしょう)、コレが負債になります。そして、秋にはこの夏にスイカを受け取った人物が、サンマを渡すことでこの債務を弁済する。このようなカタチで時間差の発生する取引を成立させていたのですが、この際に取引の間に挟む借用書のようなものが貨幣の起源であるとされています。

 

 コチラのブログ記事で、ヤン・ウェンリーさんは・・・

 

 

>ではなんでアメリカでは現代貨幣論(以下MMTと表記)が台頭してきているの?というとこれも簡単。今までの主流派経済学の説明では、どうも説明がつかない、矛盾が多く生じるからというだけの話なんです。

 

 と書いているのですが、この主流派の経済学の最初の問題点が実はこの貨幣経済の歴史的生成過程であって、どうやら様々な財が交換される経済システムが発展していく上で、実はかなり初期の段階で現代の貨幣の原型とも言うべき債務や借用書のようなシステムが存在したのではないか?と言われているのです。つまり、貨幣の原型は現代の会計のような取引や債務の記録だったんですね・・・恐るべし古代人・・・なんとなく現在では会計とか債務のシステムって凄く難しい専門的でテクニカルな問題だと思ってしまうのですけど、古代人はこの会計や負債というシステムが流通を成立させ、効率化させ、経済システムを発展させるうえで決定的に重要かつ不可欠なシステムであることを理解していたワケです(=_=)

 

 私は、コチラのブログ記事で・・・

 

『仮想通貨は子供銀行の玩具のお金みたいなもんである~MMTと国家権力の源泉~』

 

>貨幣とは負債(負債の特殊な一形態)である

 

と説明したのですが、貨幣が負債であるとはこのような意味です。つまり、スイカを渡して発行した債券によって、夏にスイカを渡した人物は、秋にサンマを受け取れる権利を得られる。で、この秋にサンマを受け取る権利の証書となっているのが、まさにその夏にスイカを渡すことで発行した借用書(債権)なのです。

 

 で、まあこれだけだと歴史上のトリビアみたいなものにすぎないのですが、MMTではこの「貨幣とは負債の特殊な一形態である」という認識を元に現在の主流派によって形成された通説を次々と覆す経済学上の革命を成し遂げます。まあ、ケインズ革命のリメイクみたいなもんですね。ケインズも当時主流派であった自由主義の経済学に対して異を唱え、経済学におけるコペルニクス的な大転換を成し遂げたワケなのですが、現在もまた主流派である新自由主義の経済学に対して、異端の新思想であるMMTの理論が挑戦を仕掛けているワケです。

 

 まあ、この論争の持つ意義については、今後の解説でもじっくりやっていこうかと思っています。

 

 

↓先日の放送のアーカイブ動画です・・・・

 

・保守言論人と代表作
・広告の効果
・三橋貴明が森友問題を語らないことの是非

 

 

 

 

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