今回はニーチェの『ツァラトゥストラ』のレビュー第二回です。

 

『『ツァラトゥストラはかく語りき』レビュー①~超人思想について~』

 

 第一回も概要説明だったのですが、今回も概要説明です。まあ、ニーチェに関しては非常に個性的な思想家の一人ですので作品の内容と共にニーチェ自身の生き方そのものもユニークですので、やはりニーチェがこのような本を書くに至った背景も知っておくと面白いかな、と。

 

 ニーチェの生涯に関する俗説の一つが、それまで童貞であったニーチェが友人に風俗に通うことを勧められ、その結果売春婦に移された梅毒が脳まで回って発狂した死んだというものです。この説が正しいのかは実のところよく分かってないらしいのですが、まあ、相当な変人で女性との縁が乏しかったこと、最後には発狂して死んでいったことはおそらく正しいと考えられています。

 

 ちなみに、この『ツァラトゥストラ』はニーチェの後期作品の代表作で、ニーチェの著作中最も重要な著作であるとされているのですが、四部構成の分冊で出版されたこの本は生前はほとんど売れず、第四部に至っては出版を引き受けてくれる出版社が見つからず、私家版で40部印刷され家族や親せきに配布したとか・・・

 

全4部構成。1883年2月にわずか10日間で第1部が執筆され、同年6月に出版。続いて、同年夏に2週間で第2部、翌1884年1月に10日間で第3部が執筆され、4月に第2部、第3部が合わせて出版されたが、ほとんど売れず反響もなかった。最後に1885年に第4部が執筆されたものの、これは引き受けてくれる出版社がなく私家版40部が印刷され、その一部が親戚や知り合いに配布されただけであった。

(Wikipedia『ツァラトゥストラはこう語った』項より)

 

 こう見ると、ニーチェは相当に悲惨で暗鬱な生涯を送ったかのような印象を受けるのですが、実は、若き時代のニーチェはその才覚が認められ、26歳という異例の若さでバーゼル大学の古典文献学教授となっています。しかし、その後出版した『悲劇の誕生』が学会で酷評されたことでニーチェの評判は地に堕ち、健康上の理由から、35歳(1879年)で大学を退職した後、孤独な執筆生活に入ることとなります。

 

 つまり、20代の前半~半ばまでは天才として名を馳せ、その後評判が地に堕ち、晩年に発狂して孤独に死んでいった後に、死後名声が復活したワケなのですね。さらに言うと、ナチス時代には、その超人思想がナチスヒトラー体制を正当化するための論拠として活用されてもいて、なんというか、人生が何が良くて何が悪いのか分からんなーとwまあ、ハイデガーとは違い、ニーチェ自身が直接的にナチに協力したワケではなく、死後にその著作がナチスやヒトラーに悪用されたワケなのですが・・・。

 

 ところで、このニーチェの超人思想とナチ思想との親和性について、ニーチェに関する著作を複数出版しているある方と議論したことがあったのですが、その方は「ニーチェ思想がナチを肯定する理論だと思っている人間はニーチェの思想を完全に読み違えている!!むしろナチのような存在を否定しているのがニーチェの思想だ!!」と断じていたのですが、私は、どうも単純にそのように言い切れない面があるように思えてしまうのです。

 

 例えば、『ツァラトゥストラ』の第一部にある「山上の木」という話では、ツァラトゥストラがおそらくは超人の生き方の比喩として、高々と成長し、稲妻に打たれて破滅する大木の喩えを持ち出しています。

 

「わたしは目まぐるしく変わって行く。わたしの今日は、わたしの昨日を否定する。わたしはのぼろうとして、しばしば階段を跳び越す。-どの階段にとっても、それは許せないことらしい。

 上にのぼれば、わたしはいつもひとりぼっちだ。誰もわたしと話をかわす者はいない。孤独の冷気はわたしを震えさせる。高みに達して、わたしはいったい何をしようというのだろう?

 わたしの軽蔑とわたしのあこがれは、相伴って成長する。わたしが高くのぼればのぼるほど、ますますわたしは、その高くのぼるわたしを軽蔑する。いったい高みに達して何をしようというのだろう?

 わたしはわたしがつまずきながらのぼることを、なんと恥じることだろう!わたしはわたしの激しい息切れを、なんとみずから嘲ることだろう!わたしは空飛ぶものを、何と憎むことだろう!わたしは高みに行きついて、なんと疲れていることだろう!」

 ここで青年は沈黙した。ツァラトゥストラはかたわらの木を打ち眺めて、こう言った。

「この木はこの山の中にひとりさびしく立っている。これは人間と動物を超えて、高々と生長した。

 たとえこの木が語ろうとしても、かれを理解できるものはいないだろう。それほどまでに、高々と生長した。

 いま、この木は待ちに待っている。-何をいったい待っているのか?この木は雲の座にあまりにも近く達している。この木はおそらく稲妻に打たれるのを待っているのだ。」

 ツァラトゥストラがこう言ったとき、青年ははげしい身ぶりを示して、叫んだ。「そうなのです、ツァラトゥストラ、あなたの言うことは真実だ。わたしが高くのぼろうとしたとき、わたしはわたしの破滅を求めていたのだ。(後略)

 

 この話を読んだ時に、私の頭に真っ先に思い浮かんだのは、ヨーロッパ統一の夢を目指して、天高く昇っていき、ドイツ国家と共に破滅していったヒトラーの生涯でした。これだけであれば、あくまで私の個人的な感想に過ぎないのですが、ニーチェの思想強い影響を受けた20世紀最高の哲学者ハイデガーもナチを支持していたことからも、このような読み方が単純な一個人の誤読とも言い切れないでしょう。

 

 また、大衆社会批判で有名なオルテガも、『大衆の反逆』の中で、望ましい世界のあり方として、支配する者と服従する者に分かれた世界を想定し、支配するものはヨーロッパ統一という偉大な野望を抱かなくてはならないといった趣旨の記述があります。オルテガといえば、「ナチの誕生を予言した先見の明の持ち主である」という評価が多いのですが、同時に、オルテガの大衆人批判と高貴な生き方の追及がナチを理論的に肯定した側面が無いとも言い切れないのです。

 

 私が思うに、ニーチェやオルテガを礼賛し、同時にナチなどの独裁体制を批判する論者の多くが、このような不都合な真実に対して意図的に目を背けているように思います。彼らの分析力は間違いなく慧眼であったワケですが、では当時の世の中の破滅的な状況(ファシズムの台頭と世界大戦前夜の状況)に対して何か有効な処方箋を示せたのかというと、そうとも言い切れないワケです。やはり、問題の分析が出来たからといって、正しい解決策を提示することは難しい。

 

 そして、このような盲目的な価値評価に陥ってしまう要因に、どうしても独善的な価値判断が介在しているのではないかと私は思っていて、つまり、「ナチスやヒトラーは悪い」「ニーチェやオルテガ良い」「ニーチェやオルテガといった優れた思想家が劣悪なナチスやヒトラーを肯定するわけがない」という3段論法です。しかし、このような価値判断に関しては、「ハイデガーという二〇世紀最高の哲学者がナチスという最悪の独裁体制を支持した」という一点において、そのような価値判断が間違いであり得るということを理解すべきでしょう。

 

 また、オルテガにしても、一面ではナチスを否定するような言説があるものの、別の一面ではナチを肯定するような面があり、そのどちらか一面のみを見て、「オルテガナチスを否定している!!」とか「ニーチェはナチを正当化している」といった判断を下すことは難しく(そもそもオルテガニーチェの時代にはナチは存在しなかったので)、あくまで、「肯定している側面がある」とか「否定している側面がある」という留保付きの判断しか下せないように思います。

 

 今回は、なんとなく、『ツァラトゥストラ』のページをパラパラとめくって眺めながら思い出したことをアレコレ書いてみました。

 

 

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