なんか、今回の件で古谷経衡やら上念司やらが、ワーワー騒いでるらしく、それを批判してる人もいるそうですが、私は、古谷やら上念やらこの状況でワーワー騒ぐのは当然だと思っていて、「批判されるようなことをした三橋貴明が悪い」としか言いようがありません。そもそも、言論戦という戦争を戦っているワケですから、そこで自分から勝手にスッ転んでるバカがいた時に、「転んでる相手を撃つなんて卑怯だ!!」などと言うのでしょうか?そもそも、そいつがスッ転んだせいで隊列が乱れて部隊が全滅しそうになっているワケなのですが・・・( ̄▽ ̄;)

 

 ところで、古谷経衡といえば先日とあるラジオで三橋さんの事務所で活動していた当時のことをアレコレ暴露していたそうで(私は聞いていないのですが、聞く人が聞けば、明らかに三橋事務所と分かるような内容だったそうな)、その辺りの話を聞いてみると、どうやら古谷が三橋さんの事務所から逃げ出して、上念やら倉山やらについて行った際には、直前に三橋さんが踏み絵を踏ませようとしていたらしいんですね。要は、「俺と取るか、上念倉山を取るか選べ!!」・・・と、それで結局、三橋さんの事務所から逃げ出して上念倉山について行った、と・・・。

 

 当時は、「バカな奴だな・・・」と思って批判していたんですが、今では少し考えが違っていて、古谷が三橋さんの事務所から逃げ出して、上念倉山について行った理由がなんとなく分かる気がするんですね。

 

 一言で言えば、サポートの有無で、確かに三橋さんと上念倉山の経済理論やら論戦では明らかに三橋さんの方が勝っていた。なのですが、まず第一に、古谷には論争でどちらが勝っているか判断できるだけの知性がないので、もう少し直観的にどちらについて行くのか決めていく。で、じゃあなんで上念倉山について行ったのといえば、三橋さんは特に何もしてくれない一方で、上念倉山は、書籍の宣伝はしてくれるし、イベントなどに呼んで仕事も持ってきてくれる。要は、上念倉山の方が面倒見が良かったワケです。古谷の場合は言論を商売にしているワケですから、当然仕事を持ってきてくれる人間の方についていく。それで、結果としてどうなったのというと、自分がスッ転んだ後に、逃げ出した飼い犬に噛み付かれまくっているのです。

 

 これは、今後詳しく書いていこうと思っているのですが、今回の事件があった後に、随分と考えたのが、「何故、国土強靭化チームはリフレ派に敗北したのか?」ということです。Twitterや、藤井聡さんの原田や飯田泰之との雑誌上での論争では完全に勝っていた。では、論戦で勝利した結果、国土強靭化チームの言論が世に広まったのかというと全然そんなことはない。むしろ、論戦で勝利しながらも、世論形成では完全にリフレ派に対して劣勢となって、勝負に勝って試合に負けるような状態になっているのが現実です。

 

 これも理由は色々あると思うのですが、一つは、やはり論戦に勝利してもそれを世に広く知らせようとする活動やら情熱やらがリフレ派に劣っていた。倉山兵団やら、上念塾みたいなものと国土強靭化グループなどの違いを見てもらえば明らかですが、倉山やら上念やらは、とにかく誰でもいいから雑多に人材を取り込んで、その上で、見込みのありそうなやつはKAZUYAだろうが、古谷だろうが、有象無象のリフレブロガーだろうがとにかく積極的にプロデュースしていく。結果として、その中から一定の影響力を持つインフルエンサーなどが出てきて、スピーカーのように声を拡大して世に訴えていく。

 

 それに対して、国土強靭化グループというのは、大学教授などを中心とした少数の知的エリートの集団なのです。施さんも中野さんも藤井聡さんもヨーロッパに留学してますからね。

 

 国土強靭化やら公共事業の拡大というと、なんとなく土方とかガテン系っぽい脳筋的なイメージになりますが、実際には知的エリートの作りだした緻密なロジック基づいており、論理の精度や緻密さでは、「中央銀行の金融政策で必ず物価をコントロールできる!!」などといった、極めて稚拙でなおかつ絶望的に間違っているロジックは全く別物なのです。

 

 まあ、何が言いたいのかと言うと、国土強靭化グループといのは結構排他的な知的エリートの集団なんですね。それに対して、倉山グループなんかは、対照的で、とにかく誰でもウェルカムで歓迎して、「お前も、今日から倉山兵団の一員だ!!共に戦おう!!さあ俺についてこい!!」とやる。

 

 倉山なんかしょっちゅうキレてる印象ありますけど、意外と身内には優しいらしいですからね。以前、某若手評論家が倉山兵団の女性が涙ながらに「私は倉山先生に救われました!!」なんて叫ぶ姿を見たそうで、「バカ」だの、「キチガイ」だのと言ってバカにして笑っていましたが、では、果たして、三橋さんなどに対して、「私は三橋さんに救われました!!」なんて言って感極まって涙を流すような人がいるかといえば、「・・・」って感じだと思うんですね。

 

 もちろん、それをバカにしながら、得意になって「彼らのロジックは間違っている!!我々は、彼らの論理を徹底的に論破し尽くした!!」とか、まあ別に言ってもいいんですけど、結局人は「正しさ」やら「論理」やら「理性」だけで動いているワケではない。もしかするなら下手をすれば、「倉山先生の方が間違っているかもしれないけど、それでも俺は倉山先生について行きたい」と思うような人間もいるかもしれない。

 

 積極財政やら、国土強靭化の思想が広まらない、理解されないことに関して、文句を言いたくなる気持ちも分かるし、「なんで、こんな簡単なことすら理解できないバカばかりなんだ!!」と嘆くのは構わないのですが、しかし、一方で、そもそも論理ばかりに気を取られて、もっと重要かつ根本的な問題。知性と理性ばかりでなく、より素朴で人間的な何かについて見落としていたのではないか?と問うてみることも必要なのでないでしょうか。

 

 『国家戦略特区ブログ』のみぬささんが、『今回の事件の損失は大き過ぎる』と指摘しているのですが・・・

 

 どれだけ損失が大きかろうが、起こってしまったことは仕方なく、禍を転じて福と為すべく(もっとも、DVを実際に受けた被害者が存在する以上、このような表現が不適切であることは承知していますが)、これからどうするべきかを考えるしかない。

 

 確かに、今回痛手ではありましが、同時に今回の事件は非常に様々な問題を極めて切実な問題として考えさせられるきっかけとなったのも事実です。色んな意味で、戦略が間違っていたこと(少なくともその可能性があること)、これを認めるのは相当にキツイですが、それでも、「自分は間違ってない!!間違っているのは自分の主張を理解できない世間の方だ!!」と言って片意地張るのではなく、「何が足りなかったのか?」ということを真摯に反省して振り返り、必要であれば、戦略を考え直すとともに、イチから、いやマイナスの状態から如何に現在の状況を立て直しに取り組むしかないように思います。

 

 

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