なんか、このやりとりが面白くて、少し調べてみると、tn〇がホニャララな状態であることを「仮性包茎」と称して「それヤバいッスよ!!手術が必要ですよ!!」と世に宣伝してたのが高須医院長であったそうな。

 

でもって、コレに対する反論が「ユダヤ人教授が教えてくれた正しい割礼を広めただけ」らしい・・・開き直りもここまで来ると( ̄▽ ̄;)

 

ちなみに、Wikipediaで『割礼』を調べると・・・

 

『旧約聖書』に記述があることからユダヤ教、イスラム教では信仰の一環として行われている。キリスト教圏でも衛生上の理由などで行われている場合がある。また、アフリカ・オセアニアの諸民族などでは風習として割礼が行われている。

 

日本では、高須克弥なる美容整形医院の院長が「仮性包茎では女にモテない!!」と喧伝し騙されて手術を受けた人間が多数(?)存在する、とでも書いておいてほしいですね。

 

えー、まあコレだけ書くと、なんか「高須院長はデマ情報を広めまくって金儲けした悪人だ―!!」みたいなことを書きたいかのように思われそうなのですが(で、実際そういうふうにも思っているワケなのですが・・・)、実のところ結局、このような根拠薄弱情報を煽ってカネを巻き上げていくようなやり方というのが、現代社会におけるノーマルな経済状況社会状況なのではないかな?と。

 

先日、有名ユーチューバーのヒカルという人物が、Valuを使った詐欺に近いような事件を起こして炎上した際には、こんなツイートをしたのですが・・・

 

 

この、Valuというビジネスモデルに関しては、ホリエモンやらイケハヤやら、いわゆるそっち系の連中が「これからは、このビジネスがイケてる!!」と散々煽ってたワケなんですね。しかし、現実にはこのザマで、一時的に利益を出しているような連中であっても、税制上の扱いが未だ不明瞭なために、その後に税金の取り立て地獄に陥るのではないかとも指摘されています(Valuのシステムについてはややこしいのでここでは説明しません、新手の価格変動制のネズミ講みたいなものだと思ってくださいw)。

 

ただ、こういうのって、「仮性包茎手術」とか各種ネットサービスに限らず、現在の世の中のほとんどありとあらゆる消費がそうだと思うんですね。つまり、生命維持とか生活の必要上の範囲を超えたラグジュアリー消費がメインになっている。それも大体は、「自分にとって快適だから」それを消費するのではなくて、大抵は他者に認められたり褒められたりするための消費だったり。

 

なんつーか、現代人っていうのは、常にメディアとか周りの人間から煽り立てられてると思うんですね。しかし、よくよく考えていけば、自分にとって本当に必要なものなんてそう多くもない。

 

コレは、大いに自分に言い聞かせるという面もあるのですが、ともかく、「周りをキョロキョロ見回すな」とw

 

SNSのTLを飾り立ててるキラキラ女子も、なんか「俺は今凄いことをしているぜー!!」という意識高い系も俺様男子も別に大して楽しくもなんともねーぞwと思うんですね。

 

某イベントでは、打ち上げ終了後に「凄く楽しかったですー!!」なんてコメント載せてTwitterにベタベタ楽しそうな写真貼ってる女子が、後日「あー、本当にあの日の打ち上げ最悪だった・・・1分でも早く帰りたいと思いながら飲んでた・・・」なんて、こぼすのを聞いたこともあるし、「○○さんって知名度はあるかもしれないけど、中身は空っぽで何の実力もないよね」なんて言ってた人が、その翌日にその実力のない中身が空っぽの○○さんとのツーショット写真を嬉しそうにSNSにアップしてるのも見たことがあります。

 

「秒速1億男」の与沢翼なんかは、SNSで派手な生活と成金振りをアピールして、情弱を騙してカネを巻き上げるツールとして活用するなんて悪しき慣例を作ってしまったワケなのですが、別に、パーティーだってたまにするから楽しいのであって毎日、毎日パーティーパーティーの宴会騒ぎやってたところで楽しいワケがない。良い人生だろうが、楽しい人生だろうが重要なのはバランスであって、どんなに素晴らしい高級料理だろうが、毎日フランス料理のフルーコースを食べてれば、たまにはお茶漬けとかカレーライスを食べたくなったりもする。

 

カレーライスと高級フランス料理だと例えが悪いかもしれませんが、そうでなくともなんなら、トルストイやドストエフスキーの古典的名作を読む時間と、可愛い女の子とワインとシャンパン飲んで写真を撮ってSNSに「メッチャ楽しいッス!!w」なんてアップする時間とどちらが価値があるかなんて分からない。もちろん、SNSにアップするなら、可愛い女の子とのパーリ―なんだろうけれど、自分で思索を深めたいと思うなら、あるいは、より深い思索や洞察を得たいと希求する質の高い同志と議論し感想や考察を述べ合う時間を持つためであれば、おそらく僅かばかり古典的名作を読む方の時間の価値の方に軍配が上がるでしょう。

 

なんというか、少し世間との間に、あるいは世間の中に埋もれる直接的、反射的かつ経験的な自分自身との間に少しばかり隙間を作っておくというか、どこかSNSのパーリーピーポーや、世間との流行との間に冷静な距離感を保っておくことが必要なのではないかと思うのです。

 

もちろん、あまりにも世間の反応に無頓着になり、常に醒めた目で世間の人びとを見下して自分の世界に閉じこもり「やれやれ」なんて言い続けていては、村上春樹作品の主人公のようになってしまい、それはそれで気持ち悪いのですが、一方で、世間にノリや流行に煽り立てられて常に急かされて生きるような状況は、ほとんど自分自身の外部からの刺激に反応するだけのゾンビに変えてしまうようなものであって、「いや、まあ一応人間に生まれついたのだし、そこまで低能になりたくもないよ」という気分だけは持っていたいなと思います( ̄▽ ̄;)

 

 

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