今回も最近読んでいる本のレビューです。
今回、紹介するのは『物質と意識(原書第3版) 脳科学・人工知能と心の哲学』(著 ポール・チャーチランド)という本。現在、同時並行で『身体化された心―仏教思想からのエナクティブ・アプローチ』(フランシスコ ヴァレラ (著), エレノア ロッシュ (著), エヴァン トンプソン (著))という本も読みながらレビューを書いていて、同時並行で大丈夫なのか?という感じもしますが、一方で扱っている問題は
、精神と物質、心と身体の関係性の問題、いわゆる心身問題という心理学や哲学上(そして現在では脳科学、認識論的な課題)のテーマであって、まあ上手くいけば相互に関連する理論を紹介しながら解説していけるかなぁ、なんて思っています(とは言っても、まだどちらの本もかなり最初の方しか読んでいないのですが)。
この本の第一章では、過去500年間の人類の科学の進歩による膨大な発見を称えつつも、しかし、未だ核心的な問題がほとんど謎のまま残されていると説明し、その謎とはズバリ「意識的知性」の本性であるといいます。
この本が最初に出版されたのは1984年で、当時もこのような心の哲学の問題に関するテキストや専門書はあったものの、この分野における当時の発展は目覚ましく、長年使われていた定番のテキストはひどく時代遅れであり、また最新の研究に関する優れた論集はあったもののそれは、多くの学生が利用するにはあまりにも高度で高価で気軽に利用できるものではなかったことから、著者は学部生や一般人にも手軽に利用できるようなテキストとして本書を書いたそうです。
前半部分で、主に問題にしているのは、デカルト的な心身二元論と(まあ、実際には通俗的に考えられているほどにデカルトは素朴な心身二元論者ではなかったそうですが・・・)、唯物論(物質的一元論)の問題です。
一応、解説しておくと、心身二元論とは、脳や身体といった物質的な次元とは別次元の独立した存在としての心や精神(あるいは魂等)の存在を認める立場で、心や精神の働きは脳や神経やニューロンの働きのみに還元させることは出来ず、脳や脳内の化学物質の働きから完全に独立した心や精神の働きを認める考え方です。
一方で、唯物論、あるいは物質一元論というものは、(もちろん実際には様々なバリエーションが存在するのですが)心や精神とは脳や脳内の神経や化学物質の働きによって生まれるものであり、その性質やあり方は全て脳や脳内の神経細胞や化学物質の働きに還元され、またそれによって解明することも出来るという立場です。
まあ、こういうとそれこそ非常に単純化された二元論・・・ということになってしまうのですが、著者はこの二元論と唯物論に関してどちらの論に関してもおおよそそれぞれ5パターン程度、合計で10パターン程度のバリエーションが存在すると説明しています。
ちなみに、現在ではどんどん脳と心の仕組みが解明され、さらにそういった脳と心に関する意識が一般に広く認識されることによって、唯物論、物質一元論(心とは脳の神経と化学物質の反応の結果である)という考えが優勢を占めているように思われますが、当時は二元論の方が一般に広く信じられていたそうです。
このような議論に関して、私がどのような考えを持っているかについてはまた別の機会に説明するとして、ここで、多くの人がどうして二元論というものを信じたくなるのかという問題について少し考えたいのですが、まず、一つはやはり心というものが非物質的な現象であることでしょう。確かに、心の働きは脳が生み出しているという可能性は大いにあるのですが、一方で、脳の観察を通して間接的に心の働きを推測することは可能であっても(古典的なツールとしてはウソ発見器などが挙げられます)、心の働きそのものを直接的に観察した測定したりする手段はありません。
仮に唯物論者の主張がおおむね正しく、あらゆる心の働きや精神の在り方が、脳の神経細胞や脳内の化学物質の作用によって生み出されるのだとして、やはり心の働きそのものは非物質的な性質を持っており、脳の働きが直接心の働きとイコールで結びつけることは出来ず、そこにどうしても脳や身体などの物質的な現象から独立した心の働き、精神の在り方という存在(唯物論者に言わせるならば幻想)を信じる余地が生まれるワケです。
また、もう一つは、心の物質的な次元における非実在性です。つまり、心は基本的には質量をもたず、位置も存在しないため、例えば、「心はどこにあるのですか?」と聞かれても、その位置を正確に指し示すことは出来ません。このような物質的な次元における心の非実在性は、心というものが物質的な次元において存在し得ず、それは物質的な次元を超越した日物質的な次元における実在であり、脳などの物質とは切り離された存在として考えられうるということです。
このような、物質である脳や身体と心の関係性について、あるいは如何にして物質である脳から非物質的な存在である心が生み出されるのか?といった問いに関しては、様々な研究が現在におていも行われ、しかし、また様々な発見を積み重ねながらもハッキリとした結論は出ていないのですが、この本では、そのような様々な議論が一般の読者にも(比較的)分かりやすく平易な言葉で解説されています。もちろん、1984年に最初に出版された本ですので様々な論や研究に関して全て最新のデータや実験記録を用いた考察がなされているワケではないのですが、当時から概ね議論の骨子は変わっていません。もっとも、大きな対立として二元論と唯物論の対立があり、その二つの最も代表的な論に関して様々な細かいバリエーションが存在している、というのは今日における心の哲学の問題においても同様でしょう。
えー、それから最後に、空間的な位置を持った心という点に戻ると、運動科学の研究者の高岡英夫氏の提唱する身体意識というものがコレに相当します。スポーツなどでは軸やセンターと呼ばれたり、武術であれば正中線とか丹田とか呼ばれるモノなのですが、これらは物質的、解剖学的には何も存在しないのですが、心の働きとして身体運動を強烈にサポートします。つまり、本来非物質的であるハズの心が空間的な位置や座標を持っているワケです。さらに、これらには「真っすぐと伸びたセンター」といった性質や、「どっしりとした重みをもった丹田」といった疑似的な質量や性質をも持っている。
このように、空間的に展開する心の働きを、心と身体の中間領域の存在として身体意識と高岡英夫氏は名付けたワケですが、もしかしたらこれらの著作の解説を進めるうえで高岡英夫氏の身体意識の理論について解説していくかもしれません。
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