前回記事(『『「衝動」に支配される世界』(著 ポール・ロバーツ)レビュー③~中道右派の政治的ポテンシャル前編』)の続きです。

 前回は、ネット社会や過激な報道や情報発信を追及するメディアによって、政治的な言説の多くが極端な右派や左派に分断される現状について解説しました。このような状況においては、右派と左派の現実的な妥協点を見出すことが難しく、政治が機能不全に陥りやすいという問題があります。

 このような問題を改善するための方法として、著者は現実世界における多数派である穏健な中道派に政治参加を訴えかける重要性を主張しています。

「政治勢力としてのアメリカの若者」

 しかし、アメリカ政治というひねくれた分野でも、希望の火はなかなか消えないものだ。たとえば、政治と関わらないとされるアメリカの若者が政治勢力としてよみがえる兆しが表れている。
 アンケート調査では、新世紀世代(二〇〇〇年以降に成人する人たち)はその上の世代より投票に行く頻度は低いが、別の方法で積極的に政治に関わろうとしている。彼らはボランティアとして関わることが多く、自身の政治的な価値観を生活のさまざまな側面に組み込もうとすることも多い。そして、政治との関わりを選挙のときだけのものとは考えない。
 さらには、旧世代ほどブランド化された政治を受け入れない。たとえば、保守派の新世紀世代は、年配の保守派よりもはるかに人種的多様性に寛容だ。また、同性婚に関してもさほど問題を感じない。さらに特徴的なのは、保守派の新世紀世代は大企業を疑い、また、経済的不均衡を修正するうえで、政府が役に立つ可能性があると考える。


 必ずしも、日本の若い世代がアメリカのこのようなリベラルな寛容性と現実主義的なバランス感覚を備えた人々で構成されているワケではありません。特に、格差是正などに関する問題では、アメリカにはクルーグマンやスティグリッツといった非常に強い影響力とカリスマ性を持った論者が声高に政府の果たす役割を強調している状況と比較すると、現在の日本では知識人の間で、あまりにも市場原理を信頼し政府の機能を疑う論調が強いように思います。「良き市民と悪い政府」もしくは、「無能な政府とまだしもマシな市場原理」といったところでしょうか。このような傾向はありつつも、たとえば、シールズなどは経済問題に関してはリベラルな立場を保持しながら、安全保障に関して「自衛隊および自主防衛の容認と、急進的な安保法制と集団的自衛権の行使容認反対」といった比較的現実志向の政策を訴えている点では、ネット上では「クソ左翼」といったような罵倒がされているものの、日本版の新たな中道左派的もしくは穏健左派的な勢力の出現と捉えることも可能かもしれません。

 こうした姿勢が生じたのは、多くの新世紀世代が成人を迎えた時期に、企業の腐敗が目立っていたからかもしれない。ピーター・ベイナードら政治評論家によると、新世紀世代の心に届く政治的・経済的メッセージを見つけられたら、強力な票田を獲得でき、政治や金融の改革に向けた強い力となるだろうという。(中略)
 保守派のブログサイト「レッドステート」に寄稿する、ブロガーのクリス・マイヤーズはこう指摘する「多くの人々が、自分たちの意見は聞き入れられていないと感じており、また、大企業や大規模な労働組合の利益が優先されるため、自分たちの利害は見過ごされていると感じている。しかしここには、本当に大切に思うもののために、保守派の私たちが立ち上がるとはっきり示せるチャンスがある。いずれにしろ、私たちはずっとそうしようとし続けてきたのではないだろうか」。
 興味深いのは、茶会党が崩壊し始めるとともに、保守派の思想的指導者たちが中道寄りにシフトし、インパルス・ポリティクスのブランド的保守主義から離れ始めていることだ。ニューヨーク・タイムズ紙の保守派コラムニスト、ロス・ダウザットが指摘するように、現実主義で解決志向の「改革保守主義(reform conservatism)」が、中道右派のシンクタンクや、茶会党の自滅的な展開を心配する現実的な保守派のなかから現れている。
 改革保守主義が掲げるアイディアには、幼児教育の促進や、州が独自の燃料税を課して、独自の交通プロジェクトを実施するといったものがある。彼らのこうしたアイディアは、伝統的な保守主義の特徴である鉄壁の現実主義に重点を置いたもので、それは中間層のアメリカ人にアピールしてきた。ここで重要な点は、こうした保守主義はかつて、超党派的な妥協と立法の基盤となったということだ。租税改革などの大きな問題で協働する方法を見出したのは、常に右派と左派の現実主義者たちだった。


 先ほどは、中道左派のスタンスとしてシールズを挙げましたが、中道右派としてはちょうど表現者や、三橋貴明さんのスタンスなどが代表的なものとなるでしょう。つまり、保守的な価値観と左派的な経済政策とのミックスです。また、共同体や地域コミュニティーを重視する中道右派のスタンスは必ずしも、左派的な価値観と相反するものではありません。左派もまたその細部の思想は違っていても共同体を重視する姿勢は持っています。

 そもそも、ネットを通じて呼びかけを行い、現実の社会問題に対してデモ行進などで抗議運動を行うという行動はむしろ保守派から出てきた戦略でした。フジデモや尖閣デモなどがその典型です。その後、ネットで呼びかけるデモ運動などは反原発運動や、シールズデモなどにお株を奪われたカタチになり、現在ではネットで参加を呼びかけるデモ活動を保守派が批判するというよくわからない状況になっています。

 ともあれ、このような中道右派と穏健左派の現実主義的な政策こそが現在の狂った政治状況を少しでもまともにしていくための重要なポイントになってくるように思います。

 残念なことに、現在ではこのような中道右派的なスタンスというのは極めて少数派です。しかし、現実社会における中間層の大きさや、現在の様々な政治状況、経済状況に対して、現実主義的かつ適切な解決策を提示できる唯一の政治勢力として中道右派、中道保守の勢力というのは、私たちが現在思っている以上に大きなポテンシャルを現在の社会状況の中で備えているのではないかとも私は考えています。

 リベラル派はこれを、「内輪もめによる崩壊の淵にある共和党が、自己防衛のために必死にあがいているのだ」と却下したくなるかもしれない。しかし、改革保守主義は新たな中道政治への第一歩であるかもしれない。つまり、多くの人々にとって、どちらの党のブランド政治も人々の本当の懸念や希望に沿うものではなかったと認めるのである。こうした認識により、あらゆる政治的グループの現実主義者が、共通の利害や潜在的解決策について議論を始めるかもしれない。そして、この現実主義が、皮肉なブランド政治からの分離と現実と可能性の政治への回帰を引き起こす可能性がある。

 現在、このような中道右派、中道保守のスタンスは圧倒的な少数派であり、ほとんど取るに足らない勢力であると同時に、選挙においては、それらの政策の受け皿となる政党が一つも存在せず、選挙のたびにほとんど絶望的な気分を味わわされることになるのですが、しかし、それでも結局は根気よく粘り強く活動を継続するしかないのではないでしょうか。

 また、第二次安倍政権の初期においてはアベノミクス三本の矢が有権者や知識人から一定の支持を得たという事実から、必ずしも、これらの政策が無条件に有権者や知識人から拒絶される性質のものではないということも明らかとなっています。

 ですので、やはりこのような中道右派の人々は絶望的な気分を抑えながら、粘り強く自分たちの政策の正当性を訴え、同時に自分たちの勢力を広くアピールし続けていくことが重要であるように思います。



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