藤井聡さんがFBで橋下維新ブームは結局新興宗教の教祖と信者の異常な関係だったとする以下記事を紹介していました。
新興宗教「橋下維新」の終焉 - ネオリベ(改革)の夢を追い続ける病理
大阪での住民投票の翌日、5/18に放送されたクローズアップ現代を見ていると、淀川べりに工場のある中小企業の社長が、若い従業員を集めて都構想への賛成票を投じるよう熱心に説教する場面があった。会社の就業時間中に、社長が業務上の重要な指示でも与えるように、会議室で賛成派のパンフレットを配り、全社員が都構想賛成で一丸になるよう促していた。(中略)
大阪は、10年前の「小泉改革」のネオリベ教の夢を未だ追っているのであり、夢から覚めていないのだ。クロ現に登場した中小企業の経営者は、「これが最後のチャンスと思うんや」と従業員を前に熱弁していた。「これが最後のチャンス」というフレーズは聞き覚えがある。2001年の参院選のとき、小泉純一郎の最初の選挙で、自民党が大勝利して「改革」路線を固めた選挙だったが、NHKが選挙を追いかけた報道で、やはり真面目そうな中小企業の経営者を出し、「これが最後のチャンス」と言わせて、「小泉改革」に賭ける熱意と情念をテレビに映していた。山一が破綻した1997年の金融危機から4年後の出来事で、今から14年前も昔のことである。淀川べりの金型研磨工場の社長の主観では、「これが最後のチャンス」であり、ここで何とか橋下徹の勢いを復活させ、維新の政策をパーフェクトに貫徹させないと、大阪の経済も自分の経営も全てが破滅してしまうというリアルな危機感で焦っているのだろう。客観的に見れば、それはペテンに引っ掛かっているだけであり、騙されているだけなのだが、信者となった本人には真実は何も見えない。
かつて、中野剛志さんが橋下や維新の会に騙される連中を称して「アレコレ説明して「この壺を買ったら騙されますよ」って言ってあげても、「それでも俺は買いたいんだ!!」と言ってくる相手には、もうどうしようもない」といっていたことを思い出します。まあ、橋下が売っていたのはただの壺ではなく、大阪市を消滅させる改革の壺だったワケですが・・・。
(参考⇒『橋下徹の紙芝居:「改革の壺」でお父さんを抹殺』)
こちらの記事では
>信者たちにとっての今回の住民投票の政治は、その政策の合理性を説得したり論争する機会ではなく、反対派を撃退して白黒決着をつける機会だった。
>「結果で見せたるわ」とか「理屈やないで」という態度に凝り固まったのに違いない。賛成派から見て反対派は、拒絶と憎悪をもよおす対象でしかなく、議論を通して説得と合意に導く相手ではないのだ。話の通じない敵だ。
とありますが、実際にニコニコ生放送でスカイプを使って賛成派の人間と少し議論をしてみたのですが無駄でしたね。都構想の具体的な問題点を指摘したところ「お前ら反対派は分からないだろうが、大阪都構想を実現すれば大阪は30年後に良くなる!!」「結局、今回の都構想は橋下の改革プランに乗れるのか、乗れないのか?という話だ」ということを言いだして、これは話を続けても無駄だと思って議論は打ち切りました。
藤井聡さんは、結局橋下との討論は行いませんでしたが正解だったと思いますね。強固な橋下支持者、維新支持者を説得して都構想に反対票を投じさせるのは、カルト宗教の熱狂的な信者に「教祖を裏切れ!!」と命じるようなものですから、ほとんど無駄な努力です(実際に維新の支持者の9割が賛成票を投じたとか)。そうなれば、狙うべきは、この7年半の間に橋下に対して疑いの気持ちを持った人物や、あるいは大阪に強い愛着心を持ち、都構想の危険性を周囲の人間に伝えてくれる人間になりますから、わざわざ敵陣に乗り込んでいって一対一で公開討論をするなどというのはその労力やリスクと比較してあまりにも得られるものは少ないワケです。なおかつ、選挙運動の終盤においてはその橋下自身が公開討論から逃げまくっていたワケで、仮に、最後のラストチャンスとばかりに公開討論をやろうとしても橋下の側から何らかの理由を付けて断られた可能性が高いでしょう。
>大阪都構想についても、信者たちにとっては、もう5年も前から説かれていた「約束の大地」の教義であり、協定書の中身などどうでもよく、今さらあらためて検証・検討するようなマニフェストではなくて、実践と勝利あるのみの神聖な目標だったのだ。
↑最後にこちらの記述についてですが、最近読んだ『ふしぎなキリスト教』という本(この本も面白かったのでレビューを書きたかったのですが、図書館の返却期限が過ぎて返却してしまいました(^^; )の中で、社会学者の橋爪大三郎は宗教という言葉の定義を非常に広くとらえ、神様がいて、信者がいて・・・という集団として定義するのではなく、「それ以上検討することの出来ない前提を置いた思考、信条」と定義していました(手元に本がないので正確ではないのですがこんな感じでした)。
このような基準から考えてみても、橋下の改革を無条件に是とし、大阪都構想についても、内容の検証を経ることなく必ず良き結果をもたらす教義として捉えていた点において、やはり橋下と橋下シンパはカルト教団ハシシタ教としか言いようのない異常性を備えていたように思います。
↓応援よろしくお願いします(σ≧∀≦)σイェァ・・・・・----☆★

↓踊ってみた動画投稿しました!!コメントやイイネボタン押してもらえると嬉しいです╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !
ニコニコ版⇒【皆で】オーディエンスを沸かす程度の能力【踊ってみた】
YouTube版(高画質)⇒【皆で】オーディエンスを沸かす程度の能力【踊ってみた】
ASREADに寄稿しました⇒大阪都構想の政治プロセスの観点から考える問題点
新興宗教「橋下維新」の終焉 - ネオリベ(改革)の夢を追い続ける病理
大阪での住民投票の翌日、5/18に放送されたクローズアップ現代を見ていると、淀川べりに工場のある中小企業の社長が、若い従業員を集めて都構想への賛成票を投じるよう熱心に説教する場面があった。会社の就業時間中に、社長が業務上の重要な指示でも与えるように、会議室で賛成派のパンフレットを配り、全社員が都構想賛成で一丸になるよう促していた。(中略)
大阪は、10年前の「小泉改革」のネオリベ教の夢を未だ追っているのであり、夢から覚めていないのだ。クロ現に登場した中小企業の経営者は、「これが最後のチャンスと思うんや」と従業員を前に熱弁していた。「これが最後のチャンス」というフレーズは聞き覚えがある。2001年の参院選のとき、小泉純一郎の最初の選挙で、自民党が大勝利して「改革」路線を固めた選挙だったが、NHKが選挙を追いかけた報道で、やはり真面目そうな中小企業の経営者を出し、「これが最後のチャンス」と言わせて、「小泉改革」に賭ける熱意と情念をテレビに映していた。山一が破綻した1997年の金融危機から4年後の出来事で、今から14年前も昔のことである。淀川べりの金型研磨工場の社長の主観では、「これが最後のチャンス」であり、ここで何とか橋下徹の勢いを復活させ、維新の政策をパーフェクトに貫徹させないと、大阪の経済も自分の経営も全てが破滅してしまうというリアルな危機感で焦っているのだろう。客観的に見れば、それはペテンに引っ掛かっているだけであり、騙されているだけなのだが、信者となった本人には真実は何も見えない。
かつて、中野剛志さんが橋下や維新の会に騙される連中を称して「アレコレ説明して「この壺を買ったら騙されますよ」って言ってあげても、「それでも俺は買いたいんだ!!」と言ってくる相手には、もうどうしようもない」といっていたことを思い出します。まあ、橋下が売っていたのはただの壺ではなく、大阪市を消滅させる改革の壺だったワケですが・・・。
(参考⇒『橋下徹の紙芝居:「改革の壺」でお父さんを抹殺』)
こちらの記事では
>信者たちにとっての今回の住民投票の政治は、その政策の合理性を説得したり論争する機会ではなく、反対派を撃退して白黒決着をつける機会だった。
>「結果で見せたるわ」とか「理屈やないで」という態度に凝り固まったのに違いない。賛成派から見て反対派は、拒絶と憎悪をもよおす対象でしかなく、議論を通して説得と合意に導く相手ではないのだ。話の通じない敵だ。
とありますが、実際にニコニコ生放送でスカイプを使って賛成派の人間と少し議論をしてみたのですが無駄でしたね。都構想の具体的な問題点を指摘したところ「お前ら反対派は分からないだろうが、大阪都構想を実現すれば大阪は30年後に良くなる!!」「結局、今回の都構想は橋下の改革プランに乗れるのか、乗れないのか?という話だ」ということを言いだして、これは話を続けても無駄だと思って議論は打ち切りました。
藤井聡さんは、結局橋下との討論は行いませんでしたが正解だったと思いますね。強固な橋下支持者、維新支持者を説得して都構想に反対票を投じさせるのは、カルト宗教の熱狂的な信者に「教祖を裏切れ!!」と命じるようなものですから、ほとんど無駄な努力です(実際に維新の支持者の9割が賛成票を投じたとか)。そうなれば、狙うべきは、この7年半の間に橋下に対して疑いの気持ちを持った人物や、あるいは大阪に強い愛着心を持ち、都構想の危険性を周囲の人間に伝えてくれる人間になりますから、わざわざ敵陣に乗り込んでいって一対一で公開討論をするなどというのはその労力やリスクと比較してあまりにも得られるものは少ないワケです。なおかつ、選挙運動の終盤においてはその橋下自身が公開討論から逃げまくっていたワケで、仮に、最後のラストチャンスとばかりに公開討論をやろうとしても橋下の側から何らかの理由を付けて断られた可能性が高いでしょう。
>大阪都構想についても、信者たちにとっては、もう5年も前から説かれていた「約束の大地」の教義であり、協定書の中身などどうでもよく、今さらあらためて検証・検討するようなマニフェストではなくて、実践と勝利あるのみの神聖な目標だったのだ。
↑最後にこちらの記述についてですが、最近読んだ『ふしぎなキリスト教』という本(この本も面白かったのでレビューを書きたかったのですが、図書館の返却期限が過ぎて返却してしまいました(^^; )の中で、社会学者の橋爪大三郎は宗教という言葉の定義を非常に広くとらえ、神様がいて、信者がいて・・・という集団として定義するのではなく、「それ以上検討することの出来ない前提を置いた思考、信条」と定義していました(手元に本がないので正確ではないのですがこんな感じでした)。
このような基準から考えてみても、橋下の改革を無条件に是とし、大阪都構想についても、内容の検証を経ることなく必ず良き結果をもたらす教義として捉えていた点において、やはり橋下と橋下シンパはカルト教団ハシシタ教としか言いようのない異常性を備えていたように思います。
↓応援よろしくお願いします(σ≧∀≦)σイェァ・・・・・----☆★

↓踊ってみた動画投稿しました!!コメントやイイネボタン押してもらえると嬉しいです╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !
ニコニコ版⇒【皆で】オーディエンスを沸かす程度の能力【踊ってみた】
YouTube版(高画質)⇒【皆で】オーディエンスを沸かす程度の能力【踊ってみた】
ASREADに寄稿しました⇒大阪都構想の政治プロセスの観点から考える問題点