イスラム過激派ISとの戦争により壊滅した南部ミンダナオ島のマラウィ市を昨日視察しました。視察前日が「マラウィ解放」からちょうど一周年の記念日でした。最寄りのカガヤン・デ・オロ空港からイリガン市を経由し、陸路で片道およそ3時間かけて到着しました。


今回の視察は、今年1月にドゥテルテ大統領から直々に要請を受けて実現したもので、フィリピン政府マラウィ復興庁によると、『壊滅地区』(Most Affected Area )に入ったのはフィリピン以外の政治家として初めてとのことです。フィリピンの国軍や情報機関による厳重な警護が提供されたため、現地では治安の不安は感じませんでした。ただ、グラウンドゼロと呼ばれる、最も甚大な被害を受けた市の中心地区約3キロメートル四方の建物には無数の銃痕が残り、モスクや教会の屋根を貫いたロケット弾の跡が生々しく、まさに死闘の現場だったことがよくわかります。


中心地区を見下ろせる「カパンタランの丘」から望むマラウィは、ここがかつて、美しいラナオ湖に面した緑あふれる南の楽園であったことを偲ばせ、涙が出てきました。イスラムのモスクが多くあるだけでなく、カトリックの大聖堂もありました。宗教を異にする人たちがきっと平和に共存していたことでしょう。それらすべてを破壊し尽くし、多数の無辜の命を奪った残虐極まりないイスラム過激派集団に対して強い憤りを覚えました。わずか100メートルの川を挟んで、手前はフィリピンの田舎町にどこにでもある賑やかな声が飛び交う商店街。でも、いったん橋を渡るやいなや、無人の「死の街」が広がっていました。50個以上の地雷がどこかに埋められたまま。多くの市民がいまなお行方不明のままです。空港で出会った国連機関の職員らは、「『壊滅地区』の惨状は、前に行ったことがあるリビアやキンシャサの戦闘地域よりも酷い」と呟いていました。


日本はフィリピンの「真の友人」として、既にマラウィ復興支援を開始しています。現地責任者らから繰り返し謝意が述べられました。今年3月に供与したブルドーザーやダンプなど大型の日本製重機27台(5億円相当)のうちの一台と『壊滅地区』ですれ違いました。さらに、道路・下水の復旧のために20億円、家を失った約1500世帯8000人への住居建設と生活支援に11億円の無償資金協力を行うことを決め、12月から道路改修工事が着手されます。


マラウィ市にあった数多くの学校は、全壊など大きな被害を受けました。未来を担う子どもたちのため、学校の再建に日本が協力することはとても大切です。マラウィ復興のため、私はこれから全力で取り組みます。


下にご紹介するのは、これまで日本のメディアが入ったことがない『壊滅地区』の貴重な映像です。


『壊滅地区』中心部の街並み


イスラム教グランドモスクの内部


天井に無数のロケット弾痕と銃痕が残る聖マリア大聖堂


『壊滅地区』中心部に立ち並ぶ商店の跡


徹底的に破壊された『壊滅地区』中心部


キリスト像などが毀損された聖マリア大聖堂の内部


「カパンタランの丘」から『壊滅地区』を望む