本日は京都市内のホテルで行われた「故野中廣務先生お別れの会」に参列しました。安倍晋三総裁をはじめとする自民党役員、野中先生とご縁が深かった綿貫民輔先生、鈴木宗男先生、亀井静香先生らが出席される中、92年間政治一筋に走り抜けた野中先生の御霊に哀悼の誠を捧げました。
平成八年に衆議院に初当選して以来、私は野中先生にひとかたならぬお世話になりました。再選をかけた選挙に落ちた後、私の国政復帰に向け、党内調整に強い指導力を発揮していただいたことは決して忘れることができません。落選中に地元で開催した集会に、白内障の手術直後にもかかわらずサングラスをかけて応援に駆けつけていただいたこと、いまでもよく覚えております。また、新年のご挨拶に京都府園部町のご自宅によくお邪魔をいたしたものでした。
同期の議員たちと連れ立って党幹事長室に申し入れに伺うと、「今日はお前たち、なんだ、何の用だ」と、眼をギョロッと一瞥されたときの迫力。それはそれは怖かったです。
自民党政権の安定のためならばと、小沢一郎さんにまで「ひれ伏した」あの覚悟と責任感。さらに、今日までつづく公明党との信頼関係は、そもそも野中先生が礎を築かれたものです。
平和を希求し、社会的に弱い立場の人たちを常に慮っていた野中広務先生。
そんな野中先生に私は若手議員のころ、いつもいつも叱られてばかりいたような気がします。会うたびに怒られていたような気がします。恐い怖い先生でした。でも今日、大きなご遺影の前に額ずいたとき、政治の道で生きてきた私に、これからもこの道を歩いていく勇気と喜びを感じさせていただきました。
野中先生、本当にありがとうございました。

{BA34D8E0-C656-4CEC-8CEE-4BD96372419D}