平成十五年に可部駅〜三段峡駅が廃止された可部線。その可部線の一部区間が昨日、装いを新たに「河戸帆待川駅」「あき亀山駅」として復活しました。一旦廃止されたJR路線の復活は全国初、まさに「奇跡」と言えます。

可部線可部駅以北区間の廃止が報じられたのは二十年ほど前、まだ私が新人代議士のころです。地域住民、旧加計町・旧筒賀村・旧戸河内町の役場・議会、各種団体の皆さまの熱意に打たれて存続運動に私も参画。三段峡駅から可部駅までの存続ウォーキングに加わったこともありました。総理官邸、党役員、運輸省(当時)に存続の働きかけを繰り返し繰り返し行いましたが、残念ながら時利あらず。地域一丸の「可部線に乗ろう」キャンペーンも期待された乗降客数増加の成果を出しつづけることはできませんでした。また私自身も、平成十二年六月の衆議院総選挙で再選を果たせず、可部線の存続か廃止かの重要局面で国政の現場から離れることになってしまいました。


平成十五年十一月、三年半ぶりに国政に復帰した私を待っていたのは、浪人中に廃止決定された可部線の最終運行でした。その日、満員の三段峡駅行最終列車に可部駅から乗り込んだ私が目にした光景は、涙を流しながら列車に向かって手を振りつづける沿線の大勢の人たちの姿でした。「可部線ありがとう」と手書きされたプラカードを揺らすご家族、山の斜面から白い手拭いを力いっぱい振るお年寄り、踏み切りで停まった車から降りて手を振る作業着姿の男性、列車と並走しようと全力で駆ける生徒の集団…、いまでも昨日のように蘇ってきます。


「かならずやいつの日か、鉄路復活を実現させたい」心に固く誓った私ですが、世間の受け止めは厳しかったです。なぜならば、国はそもそも、一度廃止になった鉄道を復活させることを想定しておらず、よって支援策も何もなかったからです。また、地元を歩いていると「可部線の復活なんて出来もしないことを言いふらしていると、次の選挙にマイナスだよ」というような諦めの声すら聞こえてきました。


転機が訪れたのは平成十八年。地域における公共交通が全国的に厳しさを増す中、地方自治体と鉄道事業者の連携による取り組みを国が総合的に支援する新たな枠組みを国土交通省が考え始めました。情報に接した私は「この新法に可部線復活の可能性を賭けよう」と考え、鉄道再生の支援策創設について担当者と繰り返し意見交換を行いました。そして翌平成十九年五月に国会で成立したのが『地域公共交通活性化再生法』です。これを受けて、平成二十年九月、「可部線活性化調査」が国の補助対象に選ばれるともに、法律に盛り込まれた連携計画を策定するための広島市・JR西日本などによる「JR可部線活性化協議会」が設立、国も参画しました。協議会で策定された電化延伸計画を支援するため、事業費のうち国は12億1600万円の負担をすることになりました。いわば、一本の法律が地域社会と人々の悲願を実現したわけです。


昨日の亀山地域は、春の陽気とともにお祝い一色。「あき亀山駅」で行われた開業記念式典のほか、荒下・長井・河戸・四日市の各町内会でもそれぞれ手作りの祝賀行事が開催。終点「あき亀山駅」と中間駅「河戸帆待川駅」間の1.6㎞を見たこともない大勢の人が歩いていました。JR可部線利用促進同盟会の大畠正彦会長をはじめとする歴代の会長・役員の皆さま、中にはこの世を去った方々もいらます、すべての地元関係者の熱意があって初めてこの日を迎えることができました。心からの敬意と感謝を申し上げます。

出発式・記念式典を皮切りに私も地域をゆっくりぶらぶら歩き回りました。地元で見かけたたくさんの笑顔、ぜひご覧ください。


本当におめでとうございました! 

諦めてはいけない、夢は叶うものです。





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