私が16日()の法務委員会で柳田稔法務大臣の大臣就任祝賀会(広島市中区)における問題発言を取り上げて以来、大臣としての資質を問う声が燎原の火のごとく広がっています。自民党や公明党をはじめとする野党だけでなく、与党の中からも大臣を辞めるべきとの意見が出されるありさまになりました。

 当日会場にいた人から記録を手に入れた私は、発言に一貫して流れる柳田大臣の非常識な脳天気さに怒りを通り越し、こんな人がわが国の閣僚でいることに情けない気持ちでいっぱいになりました。あまりに軽い、耐え難い軽率な物言いに対して、心の底から、閣僚としての適格性に疑問を持ちました。当日の数ある失言の中で私が特に問題だと考えたのは次の箇所です。

『・・・法務大臣とは、いいですね。二つ覚えておけばいいですから。「個別の事案についてはお答えを差し控えます」と。ね、これは、いい文句ですよ。これを使う。これがいいんです。わからなかったら、これを言う。で、だいぶ切り抜けてまいりましたけれども。これ、実際の話で、しゃべれないもん。で、あとは、「法と証拠に基づいて、適切にやっております」。この二つなんです。まあ、何回使ったことか。・・・』

この発言は国会軽視そのもので、野党だけでなく、与党の議員も含めた国会全体を侮辱するものです。国会を軽視するということは、国民を馬鹿にするということに他なりません。同時に、歴代の法務大臣を冒涜する発言でもあります。自分が法相の席を汚したことに彼は気が付かなかったのでしょうか。しかもこの挨拶は、尖閣諸島中国船衝突事件で法務・検察が下した判断の当否が問われている最中に飛び出したものです。検察がその歴史上初めて「法と証拠」に基づかない判断をした、すなわち日中関係への考慮という「外交」を理由にして、船長を処分保留で釈放したことに国民の多くが批判しているこの時期に、衆参両院の国会審議にあたって「法務大臣とは、二つの文句を覚えていれば国会を切り抜けられる」と公然と言ってのけた柳田大臣の頭の中には、国民に向かって丁寧に説明しようという発想が全くないことが明らかになったわけです。わからないことがあれば、ごまかして済まそう。答えるのに難しいことからは逃げよう。そんな逃げることばかり考えている人に閣僚はおろか一人の政治家としての責務を与えることはできません。

委員会質疑で私が発言への謝罪と撤回を求めたところ、「あの会は、仲間内の会だから・・・」云々と理由にもならない言い訳を延々と柳田大臣は繰り返しました。問題の所在と責任感、そして閣僚としての自覚に欠ける大臣のもとでの法案審議にはこれ以上応じられないと私がさんざん追及してようやく「済みませんでした」と言ったのです。ここで彼はまた一つウソをついています。ふつう、身内の会というと、10人から20人くらい、家族や親せき、あるいは同級生などの限定された集まりをさしますが、この日の会には会費5千円を支払ったおよそ600人が集まっていたのです。しかも、多くの警護官(SP)を従えていたということは、国務大臣・法務大臣として臨んでいたということになりますし、会場には新聞社やテレビ局の記者やカメラがたくさん入っていたのです。この会のいったいどこが「仲間内」なんでしょうか。柳田大臣の新たな言い逃れが始まりました。

そもそも私が柳田法務大臣の適格性に疑問を持ち始めたきっかけは、9月24日、那覇地検が中国人船長を処分保留で釈放したことを受けた大臣会見をテレビで見たときでした。役人から与えられた原稿をただ棒読みする彼は、法務大臣というより、検察庁の報道官のようでした。おそらくは、これまで一度も使わなかった「外交」を理由にして検察が判断したことの重大性を彼はまったく理解できなかったことでしょう。後世に禍根を残す誤った法務・検察の判断に唯々諾々と「わかりました」としか言わない大臣。まともな法務大臣でしたら、職を賭してでも検察の暴走を阻止するべきです。

ほかにも、検事の証拠物改竄という前代未聞の不祥事を受け、検察の再生を議論するために設けられた「検察の在り方検討会議」の座長に千葉景子・前法務大臣を選ぶという見識のなさも問われています。法務官僚の入れ知恵に違いないこの人事がもつ不当性を柳田大臣はまったくわかっていません。大臣在任中に検察を正しいありかたに導けなかった人に、正しいあり方を検討するリーダーをお願いするとはあまりに滑稽です。検討会に呼んで、「敗軍の将」としてなぜ正しいありかたに導けなかったのか反省の弁を聴取するのならいざ知らず、よりによって座長に据えるとは・・・。

以上述べてきたように、この国の法と正義を守る法務省を率いていく資質は柳田稔氏には完全に欠落しています。一刻も早い柳田法務大臣の辞任を強く求めます。 

また、柳田稔氏の国会議員歴は19年と3カ月間に及びます。彼が政治家としてどういう能力と資質を持っているのか、見極めるには十分すぎる年月でしょう。「こんな人とは知らなかった」とは言わせません。そういう人物だと承知しながら、法務大臣という重責を与えた菅直人総理大臣の任命権者としての責任は極めて重いと考えます。一人の閣僚の進退について適切な決断ができないような政権に、国家の安全保障や危機管理など到底任せることはできない、私は強くそう訴えます。