再掲『知覧からの手紙』穴澤利夫大尉 | アナタが幸せであれば何もいらない

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大切なひとを想う・・・


穴澤利夫 陸軍大尉


アナタが幸せであれば何もいらない-穴澤少尉





中央大学法学部を戦時特例法にて繰上げ卒業後、特操一期として熊谷陸軍飛行学校相模教育隊へ編入。


昭和二十年四月十二日、陸軍特別攻撃隊「第二十振武隊」隊員として一式戦闘機「隼」にて知覧を出撃、沖縄方面洋上にて散華。二階級特進、陸軍大尉。





「にっこり笑つて出撃した」


(当時、知覧高女学生、なでしこ隊として出撃を見送った永崎(旧姓・前田)笙子さんの日記より)


穴澤大尉は、白い飛行マフラーの下に婚約者の智恵子さんから贈られたマフラーを締めていた。


「神聖な帽手や剣にはなりたくないが、替われるものならあの白いマフラーのように、いつも離れない存在になりたい」

穴澤大尉は彼女のこの一途な思いに、贈られたマフラーを彼女の身替りとして肌身につけて
出撃した。







穴澤大尉から婚約者千恵子さんへの手紙(遺書)の中で


「今更何を言ふか、と自分でも考へるが、ちよつぴり慾を言つてみたい」と3つ、挙げている。

一、読みたい本 「万菓」「旬集」「道程」「一点鏡」「故郷」


二、観たい画 ラファエロ「聖母子像」 芳崖「悲母観音」




そして




三、智恵子 会ひ度い。.話し度い。無性に 


(会ひ度い=会いたい)




手紙(遺書)は最後に


「今後は明るく朗らかに。自分も負けずに朗らかに笑つて征く」


と締めくくられていた。


穴澤大尉は、桜を打ち振り見送る前田笙子さんらなでしこ隊に、最後の敬礼と笑みを返して飛び立って征った。写真の左側に、鳥濱トメさんの次女礼子さんがいる。




アナタが幸せであれば何もいらない-なでしこ隊





なでしこ隊に見送られ出撃する穴澤少尉の隼






戦後の長き年月、婚約者智恵子さんの生きる支えになったのは、穴澤大尉の日記に記された次の言葉である。



「智恵子よ、幸福であれ。真に他人を愛し得た人間ほど幸福なものはない」




アナタが幸せであれば何もいらない-悲母観音





狩野芳崖(1828 - 1888 )の描いた悲母観音







ラファエロ【Raffaello Sanzio】(1483-1520)の描いた聖母子像




アナタが幸せであれば何もいらない





第二十振武隊 一番手前が穴澤大尉








「ひとりとぶも ひとりにあらず ふところに きみをいだきて そらゆくわれは」




 穴澤利夫