紀元節 | アナタが幸せであれば何もいらない

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今日は建国記念の日、紀元節です。

【紀元節】
日本書紀で初代神武天皇が橿原の地で御即位したとされる日
即位したその年の元日を、維新後の明治6年に太陽暦に換算して2月11日に定めました。
(本来は1月29日との計算でしたが、孝明天皇崩御の日1月30日と近いこともあり再考)
かつての四大節のひとつ。
四方節(元旦)・紀元節(建国記念日)・天長節(天皇誕生日)・明治節(明治天皇誕日)

要約して説明します。

神武天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)は天下を統べるにふさわしい土地を求め、兄の五瀬命(いつせのみこと)と東征を行ないます。九州、高千穂の宮を出発し、海路、宇佐、筑紫、安芸、吉備、と滞在しながら、河内に上陸します。
神武天皇が浪速国青雲の白肩津に到着したのち、孔舎衛坂(くさえのさか)で長髄彦(ながすねひこ)が迎え撃ち、このときの戦いで兄の五瀬命は矢に当たって負傷し、海路南へ回る途中に息絶えてしまいます。
その後、神武天皇は三重の熊野に上陸し、荒ぶる神々と討伐し、吉野にたどり着きます。さらに宇陀、大室と進み、宿敵であった長髄彦を倒し、大和で天下を治めることになりました。
その即位の日とされる日が紀元節となります。

紀元節は、戦後GHQによって廃止され、宮中行事の紀元節祭も中止となりました。しかし、昭和天皇におかせられましては臨時御拝という形で御親拝を続けられておられました。
昭和27年にサンフランシスコ講和条約が発効したのち、国民の間では「紀元節」を復活させようという国民運動が起こりました。しかし共産主義者などの反対も根強く、建国記念日と名称を変えることで甦りました。

全国の神社で、2月11日には紀元節祭が執り行われるようになりました。しかし、復活を切望する声が途絶えませんが、宮中行事の紀元節祭は復活せず、今でも宮内庁は紀元節祭は執り行わず臨時御拝という形のままで昭和天皇から今上天皇へ引き継がれています。
明治神宮では、紀元祭が、靖國神社では建国記念祭が執り行われます。

日本という国家の繁栄を日本人全員でお祝いする日であると思います!