「違い」があるから「争う」??? | 多国籍の部下を一瞬でじぶんの「ファン」にさせる「ノンバコ術」

多国籍の部下を一瞬でじぶんの「ファン」にさせる「ノンバコ術」

「外国人を雇いたい経営者」なら知らないと損する!
多国籍チーム、部下のパフォーマンスを最大化させ「多様性を活かす職場文化」をつくる「ノンバコ術」とは??

前回のブログで、「別の問題」と書きましたが、

それは「争い」。


日中、また世界中をみても、


国、地域によって文化、習慣、価値観がちがい、

それにより、考えかた、常識がことなります。



「違いがある」と「争いがおこる」はイコールでしょうか??


日本人には本質的にピンッとこない例かもしれませんが、


「宗教の争い」

「民族の争い」


世界中でおこっています。



たしかに、「宗教がちがうから」「民族がちがうから」ともいえますが、


「本質的な問題」は、


「ちがう宗教の教えを批判したり」

「ちがう民族のナワバリを侵略したり」


つまり、


「あいての大切な価値観や、アイデンティティー」を


「お前らまちがってる!こっちに従え!そっちが変われよパンチ!


というその押しつけ、見下した態度、身勝手な行動が争いを生むのだとわたしは思います。



世界中、そして人間どうし


「ちがい」がそこにあってもいいはず。

そして、そのちがいを変えなくてもいいはず。


もし、変えたかったら、

あいてを変えるのではなく、


じぶんを変えればすむことで、

そこに争いなどないはずです。


世界を変えなくても、


じぶんが変われば、世界が変わって見えるようになるハズですグッド!