前回のブログで、「別の問題」と書きましたが、
それは「争い」。
日中、また世界中をみても、
国、地域によって文化、習慣、価値観がちがい、
それにより、考えかた、常識がことなります。
「違いがある」と「争いがおこる」はイコールでしょうか??
日本人には本質的にピンッとこない例かもしれませんが、
「宗教の争い」
「民族の争い」
世界中でおこっています。
たしかに、「宗教がちがうから」「民族がちがうから」ともいえますが、
「本質的な問題」は、
「ちがう宗教の教えを批判したり」
「ちがう民族のナワバリを侵略したり」
つまり、
「あいての大切な価値観や、アイデンティティー」を
「お前らまちがってる!こっちに従え!そっちが変われよ」
というその押しつけ、見下した態度、身勝手な行動が争いを生むのだとわたしは思います。
世界中、そして人間どうし
「ちがい」がそこにあってもいいはず。
そして、そのちがいを変えなくてもいいはず。
もし、変えたかったら、
あいてを変えるのではなく、
じぶんを変えればすむことで、
そこに争いなどないはずです。
世界を変えなくても、
じぶんが変われば、世界が変わって見えるようになるハズです