じぶんで考える「チカラ」と、じぶんで考える「習慣」 その1 | 多国籍の部下を一瞬でじぶんの「ファン」にさせる「ノンバコ術」

多国籍の部下を一瞬でじぶんの「ファン」にさせる「ノンバコ術」

「外国人を雇いたい経営者」なら知らないと損する!
多国籍チーム、部下のパフォーマンスを最大化させ「多様性を活かす職場文化」をつくる「ノンバコ術」とは??

昨日、「4歳の甥っ子にコーチング」とブログで書きました。


「コーチング」というと、チョッと「ハード」な感じを受けるかもしれませんが、


根本は「本人が考えて、本人がその答え、方法をみつけ、本人がみずから行動する」です。


「じぶんで考える」。

「じぶんが考える」が肝。



例えば反対に、


部下 : あの~、この件よくわかんないんですけど~

上司 : なんだ、これは○○だから、××すればいいんだろ!

部下 : はい、わかりました。そうします。


職場でよくある会話です。


上司は親切心をもって、部下に丁寧にせっしているのですが、


その親切心が、部下の「考える習慣をうばってしまっている」ともとれます。



人間には「じぶんで考えるチカラ」が本質的にそなわっていますが、


「じぶんで考える習慣」は、環境などによってつくりあげられるもの


つまり、考えることが習慣づいていなければ、

「考えなくなる」のも、ある意味人間の本質といえます。



日本の学校は「答え」や「方法」などをポンポンあたえてしまい、

記憶力=成績、評価という構図になり、


「あたえられたことを覚える」に一生懸命。


生徒がみずから考えた、意見、答え、方法が、

文科省の決めたマニュアルにそってなければ、NGあつかいなんてことも。。。


「じぶんで考えるチカラ」はあるのに、

「じぶんで考える習慣」を、なかなか認めてもらえない環境が現状といえます。



1+1=2 と教えてしまうのか?

1+?=2 と考えさせるのか?


次回へつづく