ちょっといい話の回覧板
【 自分だけのプラス1】
致知出版社「人間力メルマガ」より
年間3億本を販売する「あずきバー」をはじめ、数多くのロングセ
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<中島>
私自身、一酸化炭素中毒で声帯が麻痺して声が出なくなり、3か月
最初に喉のどから煤の塊かたまりが出てきた時は驚きでしたよ。
声を使う仕事は諦めたほうがいいと医者に言われ、教師の道を断念
自分の行き先がある日突然プチッと切れてしまった。
少しずつかすれ声は出るようになりましたが、退院して3~4か月
──その後どうされたのですか?
<中島>
ある時、父が手紙をくれましてね。こう書かれていました。
「君は自分の人生をどうするんだ。声が出なくても立派に生きてい
──胸に沁しみる言葉です。
<中島>
この手紙は非常に心に残っていて、アルバムに貼はっていまでも大
当時の私は、あのお母さんから託された子供の命を救えなかった後
父の言葉が何にも代えがたい心の支えになり、それをきっかけに立
短大を卒業後、高校時代の同級生と結婚し、声をあまり使わなくて
──最初はアルバイトとして入社された。
<中島>
23歳の時です。
経理は未経験だったので、夜間学校に通って勉強しましたし、電話
その時に、「ああ、そうか。仕事に貴賤はない。必要だからその仕
そこに、父から言われた「プラス1」を足せばきっと私らしい仕事
そういう中で、カップアイスの蓋を開けやすくする改善提案をした
バイトでも分け隔てなく表彰してくれる社風に感動しましてね。
学校の先生になりたいという未練を捨て、社員登用試験を受けて正
■朝早く送られてくる、友人のにしやんからのちょっといい話を回覧板にしてしまいました。次の人に回覧してあげてくださいね。
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