ちょっといい話の回覧板 | 浪花のコーチング税理士☆食べ歩き編

ちょっといい話の回覧板

 

 

【喜び楽しむ心を持つ】

メルマガ「人の心に灯をともす」より

境野勝悟(かつのり)氏の心に響く言葉より…


《喜神(きしん)を養いて以って福を召(まね)く》

(「楽しいこと」は自分から引き寄せにいく)


人生前半は、幸福というものを、なんとか手に入れようとして努力すれば、それなり
に求めることができる。

が、人生後半になると、幸福を求めようとあがくと、かえって、得られない。

人は、 年をとるにつれて、欲が深く、こだわりがつよくなってしまう。

体力も減少する。

だから、物質的には、けっこう恵まれ、他人から見ると、いかにも幸福そうに見えて
も、 精神的に疲れ果ててしまうから、疲労感で、幸福感が味わえなくなるのだ。


【喜神を養いて以って福を召く】

「喜神」とは、喜び楽しむ心である。

いくら若くても、「喜び楽しむ心」がなければ、たとえ、いい大学に入ったり、名門
の会社に就職しても、充実した幸福感は、保てない。

といって、「喜び楽しむ心」は、なかなか、自然に発生しない。

日常生活の中で、いつも、喜び楽しみ、なるべく愉快な心を養うように、工夫するこ
とだ。

「喜び楽しむ心」が「幸福をまねく」。

いつも、次々と楽しい体験を、引き寄せるように、する。

《疲労感は、幸福感を減少させる》

『超訳 菜根譚 人生はけっして難しくない』三笠書房




小林正観さんは、人生の前半生は「追い風」だという。

だから、頑張ることや、努力が追い風となる。

しかし、後半生は「向い風」。

頑張ることや、努力が向い風という逆風になってしまう。

だから、後半生は、前半に頑張って手に入れたものを「手放す」「捨てていく」作業
になる、と。


安岡正篤師は「喜神を含む」についてこう語っている。(下坐に生きる /神渡良平
著・致知出版社)

『喜神の神とは神社仏閣に祀ってある神ではなく、精神の神(しん)、つまり心の最
も奥深い部分を指す言葉です。

喜神を含むとは、どういう立場に立たされようと、それに心を乱されることなく、心
の奥深い部分にいつも喜びの気持ちを抱いてことに当たれば、どんな運勢でも開けな
いものはなく、上昇気流に乗ったように開けていくという意味です

これこそは人生の極意であり、特に人の上に立つ者が身につけておかなければならな
い姿勢だと思います』

長い人生においては、病気や事故、トラブルや、事業がうまくいかなくなることもあ
る。

しかし、どんな状況になろうと、心の奥深くで「喜び楽しむ心」を持つことであり、
置かれた状況の中に、喜びや楽しみを見つけ出すこと。

そして、自分を客観視することにより、ゲームのように、人生をおもしろがること。

それは、「感謝する心」と、「おかげさまの心」を持つことによって生まれる。

どんなときも、心の奥底に…

「喜神」という、「喜び楽しむ心」を持つことができる人で。

 

 

 


■朝早く送られてくる、友人のにしやんからのちょっといい話を回覧板にしてしまいました。次の人に回覧してあげてくださいね。

 

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