ちょっといい話の回覧板 | 浪花のコーチング税理士☆食べ歩き編

ちょっといい話の回覧板

 

【必ず用あり】

メルマガ「人の心に灯をともす」より

藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…


《天我が材(ざい)を生ずる 必ず用(よう)あり》


唐代の詩人・李白の言葉である。

材には才能の意味もあるが、身体の意味もある。

後者の意を採れば、天は自分という人間をこの世に生んだ、天が生んだ自分には必ず用、即ち役割、使命がある、と解釈できる。


せっかく人間としてこの世に生まれてきたのである。

自らの使命に気づき、それを果たさないでは生まれてきた甲斐がない。

李白は己の覚醒をこの詩に託したのだろう。


次に大事なのは、自分の仕事に精いっぱい打ち込むことだ、と多くの先達が教えるところである。

趣味では人間は磨かれない。

人は仕事を通してしか自分を磨くことはできない。


そしてもう一つ大事なことは、「休まず、続ける」ことだろう。

「学問の大禁忌(だいきんき)は作輟(さくてつ)にあり」と吉田松陰はいっている。

学問を修めていく上でもっともよくないのは、やったりやらなかったりすることだ、というのである。

自明の理であろう。

「復(ふく)はそれ天地の心を見るか」と『易経』はいう。

復は繰り返すこと。

繰り返すことは天地の心と同じだ、というのである。

天地は悠久の昔から同じことを繰り返して地球を生み、その地球に単細胞生命を生み、そして人間を生んだ。

この事実が語るように、一つのことを黙々と繰り返していくと、そこに大変な徳力が表れてくる、という教えである。

一道に一生を懸けた人のみが味わえる世界であろう。

将棋の羽生善治氏の言葉は、このことを具現したものとして忘れ難い。

「十年、二十年、三十年、同じ姿勢、同じ情熱を傾けられることが才能だと思う」

自らの用に目覚めた人ならではの言葉である。

心に夢、理想を持ち、それを実現すべく、倦(う)まず弛(たゆ)まず、焦らず 驕(おご)らず、精神を仕事に打ち込んでいく人に、天はその用を知らしめてくれるのではないか、と思うのである。

『小さな修養論4』致知出版




「自分は何のために生まれてきたのか」とか「自分の使命は何なんだろう」と思うことがある。

天は我々をこの世に生ぜしめた。

だから、その人なりの役割や使命が必ずあるというのだ。

「本当の自分が分からない」「ずっと自分探しをしている」という人がいる。

「本当はもっとすごい自分がいるんじゃないか」、「今の自分は本当の自分ではない」といつまでも自分探しをする。

いつまで探し続けても、本当の自分は見つからない。

なぜなら、本当の自分は、今ここにいる自分だからだ。

そんなことを探すより、目の前のことを淡々とひたむきにやること

そして、今、与えられた自分の役割を全うすること。

役割は、「人から必要とされる生き方」、「人から喜ばれる生き方」、「目の前の人を大事にする生き方」をすると見えてくる。

また、その役割を見つけたら「休まず、続けること」。

倦(う)まず弛(たゆ)まず、焦らず 驕(おご)らず、まい進すること。

「天我が材(ざい)を生ずる 必ず用(よう)あり」という言葉を胸に刻みましょう。

 

 

 

 


■朝早く送られてくる、友人のにしやんからのちょっといい話を回覧板にしてしまいました。次の人に回覧してあげてくださいね。

 

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