ちょっといい話の回覧板
【精進をもって自分の人生を全うする】
メルマガ「人の心に灯をともす」より
藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
生きるとは息をすることである。
息をするのをやめた時、人は死ぬ。
しかし、息は人間が意思し努力してするわけではない。
人間を超えた大きな力が働いて私たちは息をしている。
心臓が休みなく鼓動しているのも同じである。
人知人力の及ぶべくもない大きな力の間断のない働き、精進によっ
即ち生命 と精進は一体なのである。
絶えざる精進のないところに生命はない。
「釈迦の人生観は精進の二字に尽きる」と言ったのは松原泰道師で
百一歳まで求道精進に生きた人の言葉だけに心に残っている。
事実、釈迦は八十歳で亡くなるまで、熱砂の中を布教に歩いた。
『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』にこう記されている。
「阿難(あなん)よ、私は老い衰えた。齢すでに八十に及ぶ。阿難
そういう状態の自分を廃車寸前になぞらえながら、「心ある人の法
・・・心に真理を具えている人は身体は老いても、心が老いること
「この釈尊の言葉を受け、私も一所懸命勉強している」と言ってい
『遺教経(ゆいきょうぎょう)』のこの言葉も味わい深い。
「汝等比丘(なんじらびく)、もし勤めて精進すれば、則(すなわ
精進すれば必ず道を成就できる。
少ない水でも常に流れていれば石に穴を開けることができるような
何度も読み返し、自分のものにしたい言葉である。
そして、臨終に際し弟子たちに語った言葉。
「では比丘たちよ、私はお前たちに告げよう。すべてのものは移り
釈迦の人生はこの言葉に凝縮している。
私たちもまた、精進をもって自分の人生を全うしたい。
『小さな修養論5』致知出版社
産婦人科医・医学博士、池川明氏は著書『ぼくが生まれてきたわけ
『人はなぜ、生まれてくるのでしょうか?
これを子どもたちに聞くと、「人の役に立つため」、とりわけ「家
臨死体験をされた方々の複数の証言によると、死後、閻魔様(えん
1. 陰徳(いんとく)を積んだか?(人知れず、他人の役に立ったか?
2. 自分の人生を楽しんだか?』
精進をするとは、まさに陰徳を積むということ。
人知れず、ひそかに行う徳を積む行為。
それは、「人に親切にする」「ゴミを拾う」「人知れず掃除をする
つまり、人の役にたつ生き方をすること。
まさに、それこそが精進。
そして、「自分の人生を楽しんだか」ということは、どんな困難な
つまり、どんなことが起ころうと、いつも機嫌よくしているか、と
これもまた、精進。
精進をもって自分の人生を全うする…
生きている限り精進する人で。
■朝早く送られてくる、友人のにしやんからのちょっといい話を回覧板にしてしまいました。次の人に回覧してあげてくださいね。
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