◇ ちょっといい話の回覧板
【一歩一歩の歩み】
――『致知』2017年2月号
連載「禅語に学ぶ」より
▼横田南嶺管長「新年を迎えるにあたって」
私ども臨済禅の修行では、修行僧に「公案」と呼ばれる問題を与え、座禅してその答えを求めさせる。
そして自らの答えを、指導僧である師家に示してその可否を問う。
この問答は、今でも行われている。私の道場でも毎朝毎晩、大勢の修行僧達と問答を繰り返している。
俗に訳の分らない問答を「禅問答のようだ」と言われるが、決して、落語の蒟蒻問答のような滑稽な話でも、とんちでもない。しかし、常識では考えられない問題ばかりで、新参の頃は特に苦労させられる。
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「四十九曲がり細山道を真っ直ぐに通れ」
という公案もある。
くねくねと幾重にも曲がりくねった山道を、真っ直ぐに通れというのだ。頭で考えれば考えるほどわからなくなる。
私は、ご縁があってこのような禅問答の修行を、中学生の頃から始めた。学校での勉強よりも、禅の修行の方が真実の道があると思ったからだ。
始めた頃には、全く手掛かりもつかめず悩んだ。
そんな頃に、当時師事していた老師が、
「公案を頭で考えてはダメだ、足の裏で考えろ」
と教えてくださった。
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尊いのは足の裏である。
頭で歩くのではない。
四十九曲がり細山道をどう進むか、頭で考えていても混乱するばかりだ。
まして、人生はもっと曲がりくねった道かもしれない。
バイパスをつけることもできないし、逃げることもできはしない。
新年にあたり高い目標を掲げることは当然大切だが、頭で頂上ばかりを見ていては、姿勢が崩れ足もとが疎かになる。
大事なのは、一歩一歩の歩みだ。
一歩前へ、一歩前へと着実に歩を進めていれば、たとえ四十九曲がりの山道であろうと、「真っ直ぐ」に進めよう。
足の裏でしっかりと大地を踏みしめていることを感じて、一歩一歩歩んでいこう。
その一歩一歩の歩みこそが、お互いを鍛えてくれる人生の道場なのだ。
■朝早く送られてくる、友人のにしやんからのちょっといい話を回覧板にしてしまいました。次の人に回覧してあげてくださいね。
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