浪花のコーチング税理士☆食べ歩き編
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ちょっといい話の回覧板

 

 

【塙保己一の生き方】

致知出版社「偉人メルマガ」より

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七歳で失明、十二歳で母と死別
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塙保己一という人は、ヘレン・ケラーの両親が
「あなたが目標とすべき人物がいる。塙保己一という日本人で、
目が見えなくても偉業を成し遂げた人なんだよ」
と彼女に伝えていたほどで、
実際に彼女が人生の手本にしていた人物でもあるのです。

では、保己一とは一体どのような人物だったのでしょうか。彼は
七歳にして失明し、十二歳で母親を失うと、十五歳にして
江戸にある盲人一座に入りました。
当時、目が見えない人たちは、盲人一座に入ることが一般的なコースで、
そこで三味線や琴、按摩、鍼を習い始めたのです。

ところが保己一は、いくら修業をしてもちっとも上達しません。
不器用だったのでしょう。
一時は絶望して命を絶とうと考えたこともあったそうです。

そんな姿を見かねた一座の師匠は、学問好きだった保己一に
「三年間はお金を出してあげるから、学問をとことんやってみろ」
と言うのです。
ただし、学問の芽が出なければ実家に帰す、という条件つきでした

落ちこぼれだった保己一が耳を頼りに猛勉強を始めたのがこの時で
後に「日本に古くから伝えられている貴重な書物を集めて、
次世代に伝えていきたい」と志を立て、
四十一年かけて編纂・刊行したのが、保己一畢生の大事業となった
『群書類従』でした。


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大きな屈辱を糧にして
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その労たるや古代から江戸時代初期までの約千年間に書かれた文献
17,244枚の版木にまとめあげるというものでした。

彼の伝記をとおして伝えたいことは人間の可能性の大きさです。
小さい頃から目が見えず、落ちこぼれるようなことがあっても、
努力をすれば自分の志を追究できる。
そのことを彼の生き方が教えてくれているのです。

保己一にはこのような逸話も残されています。
ある時、保己一が道を歩いていると、
突然下駄の鼻緒が切れてしまいました。

ちょうど目の前には版木屋があったので、
鼻緒の代わりにする布切れを分けてほしいと店主にお願いすると、
「何だ、目が見えないくせに!」
と投げつけるようにして渡されたのです。

思わぬ屈辱を味わった保己一でしたが、
彼はこの布切れをずっと持ち続けます。
そして後に『群書類従』の編纂・刊行に際して、
彼はわざわざその版木屋を選んで仕事を依頼しているのです。

店主にはこう告げました。

「実はあの時、あなたに大変な仕打ちを受けた。
これがその時の布切れです。これは決して皮肉ではなく、
むしろあなたに感謝しているんです。
私はあの時、励ましをいただいたと思っています。
ですからその悔しさを忘れることなく、
人様から後ろ指を指されないような人間になろうと、強く決意したのです」

と。


【今日の名言】

その悔しさを忘れることなく、
人様から後ろ指を指されないような人間になろうと、強く決意したのです

塙保己一(言語学者)

 

 


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【神さんは偉いことをやったもんや】

致知出版社「BOOKメルマガ」より

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「人間が世界じゅうに三十億いるんですよ。
 そしてだいたい顔の大きさというものは八寸、
 まあ八寸角といいますか八寸丸といいますか、
 そのまん中に鼻がぽんとあるんですよ。

 鼻の下に口があるんですよ、
 ほとんど全部そうですよ、(笑)
 鼻の上に口があったりするんであれば、
 あいつ変わっとるなというのが分かりますけれども、
 だいたい一緒ですわね。

 それが三十億、全部顔が違う
 ということが分かるんですよ。
 これは私、偉大なことやと思うんです。

(『松下幸之助発言集』第11巻)

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松下幸之助は、尋常小学校四年の中退だから、
ほとんど学問らしい学問をしていない。

その分、すべて自分の頭で考える癖がついたのだ。

同じく小学校しか出ていない本田宗一郎さんは、

「小学校出はよろしいわ。
何も勉強してこなかったに等しいから、
 自分の頭でとことん考える癖がついた」

と言った。松下幸之助の言葉を吟味していると、
改めて、その独自な発想に驚くと共に、
真理を突いていることに驚かされる。
この文章も、その典型だ。

松下幸之助が経営の第一線にいた頃、
新製品を発売する時には、
発売前に必ずその決済をしていた。

ある時、テレビをシリーズとして新発売することになった。

トップの決裁を得るために、真っ黒いテレビが、
大きさの順番にずらりと並べられた。

まず営業担当の専務が、

「こうして黒いテレビが並ぶと墓石みたいに見えるな」

と言った。

説明していた技術の責任者が、

「テレビに取り付ける部品の数は決まっています。
 それをこの狭い空間に配置すると、
 どうしても同じようなデザインになることは致し方ありません」

と弁明した。

そこで松下幸之助が、

「君、地球上の人口はいくらや?」

と聞いた。テレビの話からいきなり人口の話になり、
技術の責任者は、それなりに答えた。

「そうか、たくさんいるな」

とうなずきながら、

「人間の顔は、概して、テレビより面積が狭いわな。
 そこについている部品の数も、みんな一緒や」

と答えが返ってきた。

次の瞬間、松下幸之助は、

「神さんは偉いデザイナーやな。
 こんな狭い面積の中に、同じ点数の部品を並べながら、
 全部デザインが異なる。大したもんや」

と言った。

デザイナーは、言葉を失ったのである。

理屈で考えれば、テレビのような狭い面積に
同じ数の部品を並べれば、
同じようなデザインになるのは致し方ない。

確かにそのとおりである。

しかし、わずか八寸の丸の面積しかない人間の顔は、
当時であれば三十億人、今なら七十億人、
全部異なるのだ。

また、過去の歴史の中にも、
まったく同じデザインの顔はなかったはずだ。

これから先も、全部デザインが異なることは間違いない。

理屈で考えれば、あり得ないことではあるが、
神さんはそれをやってのけている。

凄いことではないかと、気づくことが凄い。

顔が全部違う、心も違う、何もかもが違う。

即ち、人間の一人一人は、他に代わりのいない
〝かけがえのない存在〟なのである。

もしも同じものが他にいくつもあれば、
一人、二人がいなくなっても、
いくらでも代わりがいる。

しかし、代わりがいないことは、

「あなたは、地球上のどこにも、
 また過去にも将来にも同じものが他にない、
 まことに大切な存在である。

 もし失われたら、二度とこの世に存在しない
 貴重な存在でもあるのだ」。

だから、お互いを尊重し、
大切にしなければならないのである。

もし、みんながそのことに気づいたら、
自らの存在の不思議さとありがたさが、
そして何よりも貴重な価値が分かるはずである。

後にも先にも、私と同じ人間はこの世に存在しないし、
今までも、これからも存在しない。

まさに、人間はすべて、いや人間どころか、
すべての命は、他に代わりのいない、
かけがえない存在である。

その価値に気がつけば、
生き方がおのずと変わってくるはずだ。

 

 

 


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【常識を疑う勇気】

メルマガ「人の心に灯をともす」より

堀江貴文氏の心に響く言葉より…


「常識」を疑え。

本書で僕が伝えたいことは、この一言に尽きる。

そもそも常識なんていうのは、とても曖昧で、バカバカしいものだ

いちいち辞書なんか引くことない。

コミュニティのみんなが何となくもっている共通認識、くらいに考えておけばいい。

テレビのワイドショーを思い浮かべてみてほしい。

番組のトップニュースで、たとえば、不倫を起こした芸能人や不祥事を起こした有名
人の映像や自宅の様子をすみからすみまで、延々と放送していたりするわけだが、そ
んなものを延々と放送することに報道価値はあるんだろうか。

当然ながらそんなものはない。

でも、視聴率が取れる。

テレビを見る人の野次馬根性を刺激する内容だからだ。

新聞社やテレビ局は営利企業だから、その行動原理は、「お金になるかどうか」によ
って左右される。

また、マスコミに、ニュースになりそうな情報をリークする者(情報源)にも、特定の
思惑があったりする。

報道の根っこにあるのは正義や倫理だ、なんていうナイーブな認識をもっている人が
いたら、今すぐ考えを改めたほうがいい。

ゴシップやデマ、フェイクニュースが氾濫する一方で、クローズドになっている重要
な情報はとても多い。

金もちと貧乏人、権力をもつ者ともたざる者の間には、ゲットできる情報の格差もあ
る。


しかし、本当に問題なのは、常識を常識だと信じて疑わない、人々のマインドそのも
のだ。

「ファクト」と呼ばれる物事だって、 光を当てる方向を変えれば、まったく違った
様相を見せることがある。

「オモテ」 があるのなら、「ウラ」も必ずある。

ちょんまげを結ったり、お歯黒をつけたりすることを常識だと思っている人は、もう
いないだろう。

だから、今の日本の常識だって、10年後、20年後には、非常識になって いるかもし
れない。

そんなものに振り回されていては、一生バカを見る。

常識を疑う勇気をもとう。

ウソをウソと見破る力を養おう。

人と同じことをやっていたら損するだけだ。

ファクトに行き着くためには、自分自身の頭をつかって「なぜ」「どうして」と思考
を続けるより他ない。

『疑う力「常識」の99%はウソである』宝島SUGOI文庫




「ポジショントーク」という言葉がある。

自分の所属する組織や団体に有利な情報を、恣意的(しいてき)に選んで話すことを
いう。

自分に都合がいい発言をすることだ。

たとえば、「起業」についてのポジショントークでいうと…

『税理士は「会計の知識が大事」。

行政書士や社労士なら「補助金を使おう」。

そうして、自分たちのビジネスに集客している。』(二番煎じを究める/白夜書房)

ポジショントークはウソではないが、どうしても一面的な見方になってしまうという
点で、疑ってかかる必要がある。

もっと他のオプションがあるのではないか、と多面的に考えるのだ


「思考の三原則」という、安岡正篤師の言葉がある。

1.物事を、目先で見るのと、長い目で見るのとでは結論は変わってしまう。

2.物事を、一面的に見るのと、多面的に見るのとでは違う。

3.、物事を、枝葉末節で見るのと、根本的(本質的)に見るのとでは違う。

この、長い目で見る、多面的に見る、根本的に見る、という考え方は大事だ。

そのことが、「疑う力」「ウソと見破る力」を育てる。

常識を疑う勇気を身につけましょう。

 

 

 


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