浪花のコーチング税理士☆食べ歩き編
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ちょっといい話の回覧板

【因果の法則】

致知出版社「BOOKメルマガ」より

稲盛和夫氏『立命の書「陰しつ録」を読む』の
特別講和より

………………………………………………………

当時、京セラという会社は
まだ中小企業でございました。

不況の嵐に見舞われて、
いつ潰れてしまうかわからない。

しかし、なんとか潰れないようによい経営を続け、
従業員を守っていかなければならない。

お金を出していただいた株主の方々のためにも、
必死で頑張らなければならない。

若くして経営に携わるようになり、
一寸先すらも見えない人生を、
どうして渡っていけばよいのかと悩んでおりました時に、
私はこの本に出合ったわけです。

「なるほど、人生はこういうふうになっているのか。
もしそうであるならば、
 『陰しつ録』が教えてくれているような
 生き方をしていかなければならない」、

私はそのように思い、

「どのような運命に遭遇しても、
 善いことを思い、善いことを
 実行するような人生を送っていこう」、

この『陰しつ録』に出合った私は、
そのように強く思うようになっていきました。

しかし、そうは思ってはみたものの、
当時の私はまだ二十七歳という若さです。

また、理工系の大学を出て、
ファインセラミックスの研究開発を
行ってきた技術者です。

合理的で理屈っぽい私は、簡単に、
「善いことを思い、善いことを実行すれば、
 人生の結果はよい方向へと変わっていく」
という、そういう単純なことを信じようと思っても、
なかなか心の底から信ずることはできませんでした。


そのように私が、『陰しつ録』が説いている
「因果の法則」を信じようと
必死に悩みながら考えていた頃、
天文物理学の先生から大宇宙の始まりの話を
聞く機会がありました。

我々は宇宙の中にある地球に住んでいますが、
この地球を含む膨大な宇宙は、
今から約百三十七億年前に、
ごく小さなひと握りの高温高圧の
素粒子のかたまりであったそうです。

この小さなかたまりが爆発し、
現在の大宇宙をつくり、
今なお宇宙は膨張を続けていると言われています。

これはビッグバンセオリーと呼ばれるものですが、
私はこの宇宙生成の話を聞いて、
因果の法則の存在を信じられるようになりました。

そのことについて、話をしてみます。

つまり、元々は素粒子のかたまりでしかなかった宇宙は、
一瞬たりともとどまることなく生成発展を続け、
百三十七億年をかけて、
ついには我々人類のような高等生物までを
生み出してくれました。

この宇宙には、森羅万象あらゆるものを
生成発展させていく法則があるのだと言っても
よいのかもしれません。

あるいは、元素、原子のような無機物、
無生物であっても、また我々のような
動物や植物であっても、
常にすべてのものを生成発展させていく「気」が、
この宇宙には流れているのだと言っても
よいのかもしれません。

この宇宙には、すべてのものを慈しみ、
優しく育てていく愛が充満している。

また言葉を換えて言いますと、
この宇宙にはすべてのものを慈しみ、
よい方向へと育てていこうという
「宇宙の意志」があると言っても
よいのかもしれません。

私は天文物理学の最先端の理論である
ビッグバンセオリーを聞いた時、
「宇宙には素晴らしい愛が充満し、
すべてのものを慈しみ育てていくような意志がある」
ということを強く思いました。

同時に、そのような素晴らしい宇宙に
住んでいるからこそ、
我々がどのようなことを思い、
どのような想念を抱き、
どのようなことを実行しているのか、
ということが大切になってくるのでは
なかろうかと思い始めました。

この宇宙には、すべてのものをよい方向へと
進めていこうという宇宙の意志が充満しています。

よい方向へ物事を進めていこうという想念が
充満しています。

すべてのものを愛し、すべてのものを慈しみ、
すべてのものに善かれかしと願うような、
そのような想念が流れている。

その宇宙の中に我々は住んでいるのです。

森羅万象あらゆるものをよい方向へよい方向へと、
幸せに生きていけるようにと推し進めている
宇宙の中に住んでいるのが我々人間です。

ですから、この宇宙と同じような善き思いを抱き、
実行した時には、必ずその人の運命は
よい方向へと変化していくはずです。

『陰しつ録』で説かれている因果の法則は
迷信ではないのです。

天文物理学の最先端理論である
ビッグバンセオリーから考えてみても、
それは辻褄が合うのです。

私はそのように思い、それを深く理解することによって、
因果の法則を心の底から信じられるようになってまいりました。

「科学的に考えても因果の法則が
 厳然として存在するのだから、
 私はそれに従って生きていこう。
 それが人生を素晴らしいものにしていくからだ」、

そういうふうに、私は信ずることが
できるようになってまいりました。

 

 

 

 


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【「ソニー創業者・井深大のリーダーシップ論」】

致知出版社「人間力メルマガ」より

宮端清次(はとバス元社長)より

……………………………

リーダーシップの勉強を始めようと私が思ったのは、
三十年以上前のことです。

都庁で管理職になった頃、現役を退いた
ソニーの井深大さんの講演を聴きに行ったんです。

そこで井深さんは一時間ほどリーダーシップの話を
されましたが、私にはよく分からなかった。

すると終了後に、ある女性が手を挙げて
「失礼ですが、いまのお話はよく分かりませんでした。
私のような主婦にでも分かるように話をしてくれませんか」
と言ったんです。

司会者は大慌てでしたが、さすがは井深さんですね。
ニコッと笑って、こんなお話をされました。

「ソニーの社長時代、最新鋭の設備を備えた
 厚木工場ができ、世界中から大勢の見学者が来られました。
 しかし一番の問題だったのが便所の落書きです。

 会社の恥だからと工場長にやめさせるよう指示を出し、
 工場長も徹底して通知を出した。

 それでも一向になくならない。
 そのうちに『落書きをするな』という落書きまで出て、
 私もしょうがないかなと諦めていた。

するとしばらくして工場長から電話があり
『落書きがなくなりました』と言うんです。

『どうしたんだ?』と尋ねると、

『実はパートで来てもらっている便所掃除のおばさんが、
 蒲鉾の板二、三枚に、


 “落書きをしないでください
  ここは私の神聖な職場です”


と書いて便所に張ったんです。
それでピタッとなくなりました』と言いました」

井深さんは続けて、

「この落書きの件について、
 私も工場長もリーダーシップをとれなかった。
 パートのおばさんに負けました。

 その時に、リーダーシップとは上から下への指導力、
 統率力だと考えていましたが、誤りだと分かったんです。

 以来私はリーダーシップを
 “影響力”と言うようにしました」

と言われたんです。

リーダーシップとは上から下への指導力、
統率力が基本にある、それは否定しません。

けれども自分を中心として、
上司、部下、同僚、関係団体……
その矢印の向きは常に上下左右なんです。

だから上司を動かせない人に
部下を動かすことはできません。

上司を動かせる人であって、
初めて部下を動かすことができ、
同僚や関係団体を動かせる人であって、
初めて物事を動かすことができるんです。

よきリーダーとはよきコミュニケーターであり、
人を動かす影響力を持った人を言うのではないでしょうか。

リーダーシップとは時と場合によって様々に変化していく。
固定的なものではありません。

戦場においては時に中隊長よりも、
下士官のほうが力を持つことがある。

ヘッドシップとリーダーシップは別ものです。

あの便所においては
パートのおばさんこそがリーダーだった。

そうやって自分が望む方向へ、
相手の態度なり行動なりが変容することによって
初めてリーダーシップが成り立つのです。

 

 

 


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【喜び楽しむ心を持つ】

メルマガ「人の心に灯をともす」より

境野勝悟(かつのり)氏の心に響く言葉より…


《喜神(きしん)を養いて以って福を召(まね)く》

(「楽しいこと」は自分から引き寄せにいく)


人生前半は、幸福というものを、なんとか手に入れようとして努力すれば、それなり
に求めることができる。

が、人生後半になると、幸福を求めようとあがくと、かえって、得られない。

人は、 年をとるにつれて、欲が深く、こだわりがつよくなってしまう。

体力も減少する。

だから、物質的には、けっこう恵まれ、他人から見ると、いかにも幸福そうに見えて
も、 精神的に疲れ果ててしまうから、疲労感で、幸福感が味わえなくなるのだ。


【喜神を養いて以って福を召く】

「喜神」とは、喜び楽しむ心である。

いくら若くても、「喜び楽しむ心」がなければ、たとえ、いい大学に入ったり、名門
の会社に就職しても、充実した幸福感は、保てない。

といって、「喜び楽しむ心」は、なかなか、自然に発生しない。

日常生活の中で、いつも、喜び楽しみ、なるべく愉快な心を養うように、工夫するこ
とだ。

「喜び楽しむ心」が「幸福をまねく」。

いつも、次々と楽しい体験を、引き寄せるように、する。

《疲労感は、幸福感を減少させる》

『超訳 菜根譚 人生はけっして難しくない』三笠書房




小林正観さんは、人生の前半生は「追い風」だという。

だから、頑張ることや、努力が追い風となる。

しかし、後半生は「向い風」。

頑張ることや、努力が向い風という逆風になってしまう。

だから、後半生は、前半に頑張って手に入れたものを「手放す」「捨てていく」作業
になる、と。


安岡正篤師は「喜神を含む」についてこう語っている。(下坐に生きる /神渡良平
著・致知出版社)

『喜神の神とは神社仏閣に祀ってある神ではなく、精神の神(しん)、つまり心の最
も奥深い部分を指す言葉です。

喜神を含むとは、どういう立場に立たされようと、それに心を乱されることなく、心
の奥深い部分にいつも喜びの気持ちを抱いてことに当たれば、どんな運勢でも開けな
いものはなく、上昇気流に乗ったように開けていくという意味です

これこそは人生の極意であり、特に人の上に立つ者が身につけておかなければならな
い姿勢だと思います』

長い人生においては、病気や事故、トラブルや、事業がうまくいかなくなることもあ
る。

しかし、どんな状況になろうと、心の奥深くで「喜び楽しむ心」を持つことであり、
置かれた状況の中に、喜びや楽しみを見つけ出すこと。

そして、自分を客観視することにより、ゲームのように、人生をおもしろがること。

それは、「感謝する心」と、「おかげさまの心」を持つことによって生まれる。

どんなときも、心の奥底に…

「喜神」という、「喜び楽しむ心」を持つことができる人で。

 

 

 


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