浪花のコーチング税理士☆食べ歩き編 -3ページ目

ちょっといい話の回覧板


【欠点は宝物になる】

メルマガ「人の心に灯をともす」より

斎藤一人さんの心に響く言葉より…


個性の話を、少しするよ。

あなたが「自分の欠点だと思うところ」は、じつは「単なる個性」なんだってことを
知っておこうって話。

男・女、平凡 ・非凡、勉強ができない・勉強が得意、運動音痴・スポーツ万能、
乏・お金持ち、背が高い・背が低い。

みんな、生まれ持ったもので自分を値踏みするけど、神様は期待をこめて、個性とい
う名のカードを、1枚1枚、私たちに配っているの。

「このチャンスカードで、自分の成功の花を咲かせられるね」って、太鼓判を押し
て、この世に送り出してくれているんだよ。

「えーっ? 貧乏や勉強ができないこともチャンスカードなの?」って、意外に思うか
い?

でも、そうなんだよ。

魂の話をすると、あなたが持っているカードは、「あなたが今世で、いちばんよく学
べる最高の布陣」なんだ。

みんなすでに、「自分にとっていちばん素晴らしい個性」を持っているってこと。

だって、もしもだよ、「大金持ちで、絶世の美形で、脚が長くて、天才で、性格がす
こぶるよくて、男女関係なく誰からもモテモテ」。

こんなふうに、「カードをよく見たら、ロイヤルストレートフラッシュでした」って
人がいたら、それは神様から、「もう学ぶことはないから、早くこちらに帰ってい
らっしゃい」って言われている人だよな。

人の世で、わざわざ学ぶ必要はないよ。

「あなたなら、この個性でがんばれるよ、大丈夫」 そう神様に言われてるんだか
ら、みんなが「強運の持ち主」なんだよ。

一人さんは、子どものときから病弱で、お医者さんから「20歳まで生きられないだろ
う」って言われていたの。

でも、体が弱かったからこそ、漢方の会社をつくって、納税額日本一にまでなれた
し、勉強ができなかったからこそ、「いち早く社会に出て、商売をするんだ」って、
15歳で腹をくくることもできたんだよね。

手の中のカード(個性)は、自分次第で「宝物」にも「お荷物」にもなるんだよ。

強運を、さらに強力にする方法の1つを教えるね。

あなたがあたりまえにできる目の前のことを、あたりまえにやるんだよ。

それから、「1つ上、また1つ上」を目指していこう。

欲張って、いきなり「2つ上」を目指しちゃダメだよ。

息切れして足が止まっちゃうからね。

毎日、ちょっとがんばればできることをやっていくと、「加速の法則」っていうもの
が働くようになって、うんとラクにいろんなことができるようになるの。

あなたが持っている個性のカードが、もっと力を発揮するようになるんだね。

あなたは、とっても強運の持ち主なんだって、心によーく刻んでね

いいかい。

この「加速の法則」を信じることが、成功の花を枯らさない第一歩だよ。

『成功の花を咲かせなさい』Gakken




萩本欽一氏は『ダメなときほど「言葉」を磨こう』という。

それはたとえば、『体が弱かったからこそ、漢方の会社をつくって、納税額日本一に
までなれた』。

『勉強ができなかったからこそ、「いち早く社会に出て、商売をするんだ」って、
15歳で腹をくくることもできた』。

自分の個性(欠点)を、粋な言い方で言葉をオシャレにしてしまう

そして、マイナスの波動をプラスの波動に変換していく。

人は本来誰でも、明るくて、ポジティブで、未来があって、優しくて、愛ある言葉が
大好きだ。

「欠点」を「個性」という言葉に言い換え、しかも、粋な言葉で「宝物」に変えてい
く。

同時に、自分の強みをさらに強くしていく。

強みとは、自分では普通にできるけど、まわりの人が「すごいね」と言ってくれると
ころ。

その強みを、少しずつ、少しずつ段階を上げていく。

「強みを強化することにより、欠点は自ずと消えていく」からだ。

「欠点は宝物になる」という言葉を胸に刻みましょう。

 

 

 

 


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【 学ぶとは】

致知出版社「BOOKメルマガ」より

【今日の言葉】
「 師に会うといえども学ばざれば、
徒に市人に向かうが如し。」

【現代語訳】
どんなに優れた先生と出会っても、
学ぶ気持ちがなければ、
普通の人と会っているのと変わりません。


【解説】

どんなに良い先生と出会っても、
自分に学ぶ気持ちがなければ、
そのへんの人と会っているのと同じだといっています。

本当に学びたいと思ったならば、
自分から学びに行くことが重要なのです。

現在の学校教育は、入学すれば
先生がそこにいるというシステムになっています。

しかし、江戸時代までは違いました。

たとえば、福沢諭吉は緒方洪庵の私塾である
適塾で学びたいと思って、
自分で選んで通いました。

洪庵先生の価値を理解して、
先生を尊敬して学んだのです。

そういう積極的な気持ちで学ぶと
得るものが大きいのです。

逆にいうと、そういう気持ちがなければ、
どんなに有名な学校に行っても
大したものは得られないということです。

学ぶ側の思いとかエネルギーに比して、
得られるものの大きさも変わってくると
いうことでしょう。

大学で毎年何百人もの生徒を教えていると、
同じことを話しても、あまり響かない人もいれば、
全部を吸収してしまう人もいます。

出版社に就職した教え子が
卒業から二十年後に取材に来て、
「先生は授業でこんな話をされていました」
といったことがあります。

その人は私が授業で話した言葉を
明確に覚えていました。

それは私の力というより学ぶ人の力です。

学ぶ側が狙った獲物を逃さないような感覚で
私の言葉をつかみ取ったのです。

そんな積極的な学びの態度があると、
師の価値が一層増すことになります。

教える側からすると教師冥利に尽きる
といった気持ちです。

大人になると学校には行かなくなりますが、
学ぼうと思えば自分で師を選ぶことができます。

「私淑する」という言葉があります。
これは学ぶ側が勝手に
「この人が自分の先生だ」
と決めて学ぶことをいいます。

直接面識がなくても、その先生の著作などを
通して学ぶのです。

これであれば、亡くなって会うことが
できない人からも学ぶことができます。

そこで何が得られるかは学ぶ側のエネルギー次第です。

『苦役列車』という作品で芥川賞を受賞した
作家の西村賢太さんは藤澤清造という作家を
リスペクトして、藤澤清造の「没後弟子」を
名乗っていました。

藤澤さんの個人全集を作ることを
目標に掲げて作品を集め、
月命日には必ず墓参りをしていました。

残念なことに西村さんは二〇二二年に急逝して、
全集は未完で終わってしまいますが、
藤澤さんの存在が創作の支えとなっていたことは明らかです。

 

 

 

 


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【演技の極意】

致知出版社「人間力メルマガ」より


時代劇から現代劇まで、俳優として幅広い作品に出演してきた榎木孝明氏。俳優業の傍ら、アジアへの旅や絵画、古武術、不食と、新しい世界に果敢に挑戦し、自らの可能性を追求し続けています。

そんな氏が演技の基礎を培ったのは、「劇団四季」でした。無我夢中で駆け抜けたという20代の下積み時代を振り返っていただき、劇団四季創立者・浅利慶太さんから学んだ演技の極意に迫ります。

───────────────

〈榎木〉
入団当初は朝7時からレッスンを受け、午後は大学に通う。夕方から深夜までバイトして、夜中に家に着く。そして早朝に再び出掛けるという生活が続きました。その反動でレッスン中にしょっちゅう居眠りをしては、先輩から笑い者にされたものです。

それでも何とか学業との両立を図ったものの、あまりの忙しさに限界を感じていきました。どちらか一方の道を選ばざるを得ない。自問自答の末、大学3年生の時に中退を決断しました。

母親にその旨を伝えると、「何のために大学に入れたんだ」と涙ながらに止められましたが、「二兎を追う者は一兎をも得ず」という諺があるように、どっちつかずになるのは嫌だと自ら選択した以上、私の意志が揺らぐことはありませんでした。

四季での最初の3年間は研究生として呼吸法や発声訓練、ダンスに至る様々なレッスンを受けます。また実践の学びに重きを置き、研究生時代から昼間は子供ミュージカル、夜は劇団の本公演にエキストラ出演することも日常茶飯事でした。

何より厳しかったのは、3か月に1度行われる進級試験です。試験ではレッスンで学んだ歌や演技の習得度を見られ、基準に満たなかった場合はロッカーの荷物をまとめ、翌日には退団を余儀なくされます。ですから中退後もレッスンと舞台にバイトと、文字通り寝る暇もない日々の連続でした。

いま振り返るとあんなに精力的な時代があったのかと懐かしく思いますが、芝居が好きだからこそ、一切苦痛に感じませんでした。むしろ忙しかったおかげで、考え込まなかったことがよかったのかもしれません。バイトの休憩中に駐車場で振り付けを覚えるなど、僅かな時間も自主稽古に充てました。

不器用なりに根気強く、地道な努力が実を結んだのでしょうか。55人の同期が6人に絞り込まれる中、3年間の研修生生活を終え、劇団員になることが叶ったのです。

この経験から置かれた環境に不平不満を零したり、将来への不安に苛まれるのではなく、目の前の一瞬に全力を注ぐことが最高の生き方であると学びました。

また、創立者の浅利慶太さんより、芝居の基礎を徹底的に叩きこまれたことは感謝してもし切れません。一挙一動、ひと言発するごとに叱咤が飛んでくる。演技指導は厳しいものでしたが、この世界で生きていくためには欠かせないメンタルを鍛えていただきました。

「演技は〝そう思って、そう演ずること〟がすべての基本だ」

そこに嘘があったら、嘘の表現にしかならない。単純明快ながらも浅利さんが口癖のように繰り返していたこの言葉は、自分の中に刷り込まれています。

 

 

 

 


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