中国、排他的水域で「勝手な解釈」中華帝国時代と同じ振る舞い | 勝又壽良の経済時評

中国、排他的水域で「勝手な解釈」中華帝国時代と同じ振る舞い

EEZで日本船に威嚇
矛盾した解放軍の行動
周恩来は謙虚だった!

中国は、国際法で「独自解釈」を下して紛争の種になっている。「大国の証明」とばかり、日本のみならず米国に対しても、中国はやたらと楯突いた行動を取っているのだ。国連海洋法において、沿岸から200海里(約370キロメートル)の排他的経済水域(EEZ)で、海洋法に背いた中国独自の解釈を加えて行動している。つまり、200海里内での水域、空域もすべて、中国の領海や領空のように扱っているのである。こうした中国の海洋法に従わない行動は、まかり間違えると軍事紛争に発展する危険な行為である。

この身勝手な法解釈をしている背景には、GDP2位になって何ごとも許されるという錯覚のほかに、「中華帝国」がもたらした国際法への「挑戦」なのだ。こうした勝手な解釈をしていると、中国が西太平洋に進出する際、どうしても通過しなければならない「沖縄・宮古」間は、日本のEEZ内にあるという現実にぶち当たることに気づくべきである。将来、日本から中国への外交的なしっぺ返しすら予想されるのである。その矛盾に気づかない中国とは、余りにも幼稚過ぎる振る舞いと言わざるを得ないのである。愚かな行動をしているのだ。

EEZで日本船に威嚇
事件は、2月19日に起きた。海上保安庁の測量船「昭洋」に中国の海洋調査船「海監66」が接近して、調査の中止を要求したもの。日本側は、EEZ内での正当な行為だとしてこれを拒否、双方は約20分間無線で交信し、船は一時550mまで接近して並走した。藤村官房長官は20日午前の記者会見で、沖縄県久米島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)で海洋調査をしていた海上保安庁測量船が中国国家海洋局所属船から調査中止を要求されたことについて、「我が方は正常な海洋調査活動を実施しており、中止の要求は当たらない」と強調し、不快感を示した。

先ず海洋法の内容を把握しておきたい。それによると、EEZ内の天然資源に関する主権的権利を沿岸国に認めている。その管轄権の一つとして、沿岸国の「海洋の科学的調査」権利を規定している。同時に、すべての国に対してEEZ内における航行及び上空飛行の自由を認めている。要約するとこうなるのだ。沿岸国には天然資源に関する主権(所有権)を認めるともに、管轄権の一つとして、沿岸国の「海洋の科学的調査」権を保障している。前記の2月19日の尖閣沖での海上保安庁測量船による作業は、「海洋の科学的調査」権に基づく正統な権利行使である。中国の海洋調査船「海監66」が接近して、日本側に調査の中止を要求する権利は全くないのである。

中国は、EEZ内での管轄権である沿岸国の「海洋の科学的調査」権を、拡大解釈している。外国の軍艦や航空機による情報収集活動は、「海洋の科学的調査」権に当たるというもの。従って、EEZ内における外国軍の情報収集活動は沿岸国の許可が必要であるとして、昨年、米海軍「インペッカブル」号の南シナ海での調査活動を妨害して問題になった。だが、こうした国連海洋法条約についての中国的な解釈は、世界的にみて珍しい存在である。中国は、海洋法の「こじつけ」解釈によって、米軍の調査を妨害している。だが後述のように、この火の粉はやがて中国自らに降りかかるであろう。そのことに、全く気づいていないのだ。

矛盾した解放軍の行動
防衛省防衛研究所編『中国安全保障レポート 2011』(2012年2月発行)は、前記の「矛盾」について、次のように分析している。

①「中国海軍が太平洋やインド洋へ進出する場合には、いわゆる第一列島線を通過しなければならないが、その際には他国のEEZを通航することが不可避である。中国の解釈に基づけば、仮に沿岸国が中国海軍のEEZにおける訓練や情報収集活動を損なうものであると主張した場合、論理的には、その行動に対する沿岸国の許可が必要になるため、何らかの法的制約を受ける可能性が生じてしまうことになる。中国が国連海洋法条約に関する現在の解釈を維持すれば、将来的には中国海軍の自由な行動に支障をきたす可能性も否定できない」。

①では、まさに「飛んで火に入る夏の虫」という感じである。自ら進んで禍に身を投じることになりかねないのである。このような愚かさに気づかず、大真面目になっている背景は何か。もともと中国という国は論理的でないのだ。歴史的に、そういう宿命的な負の遺産を背負い込んでいるのである。目先の利害得失だけで政策を立てる。一昨年9月の「尖閣諸島」事件で中国の見せた日本への恫喝的な姿勢は、一時の感情に任せた「感情激発型」そのものだった。中国の外交姿勢に対して、世界中から根本的な疑惑を生む結果になった。「平和的台頭論」の欺瞞性が暴露されたと言ってもよい。これがきっかけになって、米国による「中国包囲網」が敷かれ始めた。中国は、自分で自分が不利になる種を蒔いて歩いているのだ。

米華字ニュースサイト『多維網』(2月20日付け)は、冒頭の2月19日に起きた。海上保安庁の測量船に中国の海洋調査船が接近した一件について、次のように報じている。

②「中国海洋発展研究センターの郁志栄(ユー・ジーロン)研究員は、日本に対して対応措置を取るべきだと述べ、『外交ルートで抗議し、聞き入れられなければ東シナ海問題における協議の継続を拒否するなどの報復措置を採り、尖閣諸島周辺海域での警備を常態化させて海洋権益維持の専門機関を設置して解決を急ぐべきであり、必要であれば韓国、ロシアなど、日本との領土問題を持つ国と共同で臨むべきだ』と語った」。

②では、事実関係を調べることもなく、一方的な日本制裁論をまくし立てている。「必要であれば韓国、ロシアなど、日本との領土問題を持つ国と共同で臨むべきだ」というのだ。ここでは中国が、EEZにおいて保証されている「海洋の科学的調査」権が何であるか、冷静に考えるべきであろう。

この②でも明らかなように、中国は国際システムに馴染まない国家という特色を持っている。それは、私がこのブログで再三言っているように、「普遍帝国」の系譜を継ぐ国家という事実に表われている。「中華帝国」モデルが「ローマ帝国」に移され、さらに「ビサンチン帝国」へと引き継がれていった。ロシアは「ビザンチン帝国」の系譜であるから、期せずして世界の「二大共産国家」は普遍帝国の変種であったと言えるのである。「普遍帝国」は自給自足型経済をモットーとしたから、不足した資源はすべて他国を侵略して自国領土に編入する。こういった領土拡張こそ「普遍帝国」の特色であった。

要するに、「普遍帝国」は自給自足が可能だったので、「帝国」そのものが「世界」であった。秦の始皇帝の意識はまさにそれである。始皇帝は世界の皇帝をも任じていたのである。この歴史が現代に至るまで、中国を支配している。中国が世界秩序に編入されるのでなく、中国が世界秩序を形成する。ないしは、世界秩序を変えて行く。それが中国の偽らざる考え方なのだ。海洋法の解釈を勝手に中国へ都合の良いように変えてしまう。それをなんら不思議に感ずることなく当然視しているのは、「中華帝国」がなせるわざと言うべきである。

だが、ここで大きな矛盾に遭遇している。現代は「普遍帝国」の時代ではないことだ。民主主義政治が世界の潮流になっており、「普遍帝国」の一角であったソ連邦は、1991年に自らの非合理的な存在の重みで自壊してしまったのである。世界の秩序に挑戦し続けたソ連邦が、その非合理的な存在ゆえに崩壊したのである。この崩壊を目の当たりにしていた中国が、あえて旧ソ連邦と同じ振る舞いによって、再び世界秩序に挑戦しようとしている。

現在の世界秩序は、米国大統領だったウッドロウ・ウイルソンの外交原則(国連精神)に従って成り立っている。
(1)平和は民主主義を広められるかどうかにかかっている。
(2)国家は個人と同じ倫理上の判断基準の下に置かれる。
(3)国益とは普遍的な法体系に従うことから成り立っている。

これら三つのウイルソン外交原則は、米国=国連の外交原則になっている。中国が意図する世界秩序への挑戦は、とりも直さず米国の外交原則へと挑戦する意味も持つのだ。後から遅れてやってきた「普遍帝国」の中国が、GDP2位になったからといって、世界を「自分色」に染め変えたいと言うのは、どう見ても横暴である。(1)世界が民主主義によって「平和」を守り、「平和」を広げようとしている現実に対して、「専制主義」の水を差すというのは許されるわけがない。また、(2)国家の倫理が個人の倫理の延長線にあるという認識も、中国が正面から異を唱えられる問題ではない。人権弾圧が日常化している中国が、それを正当化して世界に認めさせようとするいかなる試みも、撥ねつけられるはずだ。さらに、(3)国益が普遍的な法体系の上に成立するという制約条件を課せられて点も重要である。

中国の「国益優先主義」は軍事力を背景にした「リアル・ポリティーク」というきわめて危険極まりない政策である。これは、国益実現のための手段がすべて正当化されるという「魔手」でもあるのだ。中国が、国連海洋法の「海洋の科学的調査」権を拡大解釈して、自国に都合の良いようにするのは「国益優先主義」の最たるケースであろう。

中国は「普遍帝国」の出自であるゆえ、「国家主権が平等」であるという認識に欠けている。南シナ海での島嶼帰属問題では、紛争相手国のフィリピンやベトナムに対して、中国が公然と「小国」扱いしている。その上、武力に訴えるという姿勢すら政府系メディアで公言しているのだ。GDP世界2位の座が、中国をすっかり「大国意識」に戻してしまった。1971~72年ころ、米中復交交渉中に見せた周恩来首相のベトナムへの配慮には、心温まるものがあったのである。

周恩来は謙虚だった!
ヘンリー・A・キッシンジャー博士は、彼の『キッシンジャー秘録④』で次のように書いている。

③「ベトナムについて、周はこの上のなく見事な説明をした。彼は明確に(ベトナム戦争で)ハノイを支持すると言ったが、またしてもそれは、国家の利益やイデオロギーの団結に基づくものではなく、7世紀前の中華帝国の負った歴史的な負い目のためであるとした。明らかに中国としては、何らかの物質的な犠牲を払うにしても、こうした負い目をなくすため戦争の危機を犯す積もりはなかった」。

③で指摘されているように、中国革命第一世代(毛沢東や周恩来)には、共産主義革命の「理想」が高々と燃えていたことは事実だと思う。ベトナム戦争に苦しむベトナムに対しては、かつての「中華帝国」の犯した歴史的な負い目が正確に認識されていた。日本における「親中派」は、こういった純粋な新中国の姿勢に対して共鳴したはずである。それが、現在の革命第三世代(江沢民)や同第四世代(胡錦涛)になると薄れてしまい、「中華帝国」意識が芬芬(ふんぷん)として臭っているのだ。現在の中国は、かつての「中華帝国」意識そのものである。「国家主権の平等」など考え及ばないほど、「反っくり返っている」のだ。

「国家主権の平等」意識がなかった最適の例は、清末時代に英国の外交使節を北京に迎えたが、「夷狄」(いてき:野蛮国)としての位置づけでしかなかった。外部の者は「朝貢関係」(外国人が来朝して貢ぎ物を捧げる関係)であった。現在の中国が再びこの「朝貢関係」意識に立ち戻っている。日本に対してもそれが散見される。一昨年の「尖閣諸島」事件の際に見せた日本への態度はそれであった。こうした優越感の発露が、良好な国際関係を破壊しているのである。今や、その矛先は米国にも向けられている。愚かなことだと思うが、当の中国は阿片戦争(1840年)以来の「失われた170年」を回復したと感じているのであろう。

現在の国際社会で、中国が「国家主権の平等」意識に欠けることは致命的である。『北京日報』(2月10日付け)で、「世界は中国の拒否権発動に慣れるべきだ」と主張する論説を発表した。国連安全保障理事会の対シリア決議案で拒否権を発動した中国とロシアに対する批判が高まったことに対して、「中国は西側と異なる政治の伝統と文化の遺伝子を持っている」などと胸を張っている。中国が西側と異なる文化の遺伝子とは、まごう事なき「中華帝国」という普遍帝国のDNAを持っていることを高らかに宣言しているのである。胸を張って威張ることでなく、社会進化していない現実への深い焦燥があってしかるべきである。それが完全に欠落している。現代中国の悲劇はここから始まっているのだ。

(2012年4月2日)



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