中国、「警察国家」で行き場失う国民がキリスト教への帰依に救い | 勝又壽良の経済時評

中国、「警察国家」で行き場失う国民がキリスト教への帰依に救い

中国人の心は病んでいる。GDP世界2位の座とは裏腹に、国民の心は虚ろである。憲法で保障されているはずの言論の自由もなく、国民はただ、「金儲け」だけが不満の吐け口になっている。資本家や若者たちの特徴はデカダンスといわれるごとく、退廃的、虚無的な態度を取っており、カネだけが「生き甲斐」である。およそ、GDP世界1位を目指すという「熱気」とは無縁な「無気力社会」と化しているのだ。保守派と軍部だけが「熱気」を孕んで「世界覇権」を狙っているのであろう。

国民の不満を抑圧するために、中国は正直正銘の「警察国家」である。国家財政では、軍事費と公安(警察)費用が肩を並べているというだけに、国土の隅々まで警察の目は光っているのだ。国家経営という視点からみると、何と「非効率」な国家であろうか。かつて『国富論』を書いたアダム・スミスは、「犯罪を防止するのは警察力でなく、コミュニティの繁栄である」と喝破した。この事実から言えば、コミュニティは繁栄どころか、「崩壊」しているのである。

中国での15歳から34歳までの死亡原因は、痛ましくも「自殺」である(『東方早報』2009年9月19日付け)。中国における精神疾病の発症率が、疾病全体の10位にまで上がっているのだ。不安神経症、うつ病、そして不眠症が中国の青年・中年の3大精神疾患となっている。急激な価値観や社会秩序の崩壊のなかで、若者は生きる指標を失っている。もともと中国には、「宗教」に値するものが存在しなかった。「宗教もどき」は存在しても、悩める人々の「魂の救済」という宗教本来の機能を果たすべき、真の宗教がなかったのである。まさに中国における、「二重の悲劇」というべきであろう。

中国の三大宗教を見ると、「現世御利益」という物的利益のみを求める「ご都合主義」の宗教である。たとえば、①、儒教は、子孫の祭祀によって現世への「再生」を祈るという「招魂再生」が目的である。②、道教は、自己の努力による不老(長生き)を祈るという「不老長生」が目的である。③、仏教は本来の「輪廻転生」(因果応報によって、苦しみの生死が続くこと)のうち、「輪廻」(苦しみ)が抜け落ち「転生」のみが受け入れられてきた。こうした「現世御利益」宗教の中で、人々の心の苦しみを誰が救ってくれるのか。誰もいなかったのだ。

キリスト教は「魂の救済」という宗教本来の役割を担っている。苦悩する中国の人々を「生死の淵」から救い出してくれているはずだ。1949~53年にかけて中国共産党が外国人宣教団を追放して「宗教の現地(中国)化」を図って以来、プロテスタントの信徒数は急速に拡大した。世界キリスト教研究所の予測では、2050年までに中国のキリスト教徒は全人口の16%、すなわち2億1800万人に達する見込みだという。中国政府は伝統的宗教であるキリスト教については比較的自由な活動を認めている。この結果、中国社会にキリスト教が浸透すれば、「韓国でキリスト教徒が人口の4分の1に達したときと同様に、中国でも政治構造を根本的に変える流れをつくり出すかもしれない」(スコット・M・トーマス「非国家アクターとしての宗教の台頭」『フォーリン・アフェアーズ・レポート』2011年1月号)というのである。

ここで取り上げたいのは、16世紀、宗教改革が始まった時のヨーロッパの経済社会情勢がどういうものであったかである。それが、現代の中国と瓜二つなのである。14世紀にイタリアで始まり、15世紀以降、西ヨーロッパ各地に見られた文化現象のルネサンスが社会混乱の種を蒔くことになった。ルネサンスは少数の富裕な支配階級を生み出したが、これによって都市や農村の中産・下層階級が没落して苦境に立たされた。現代中国と酷似しているというのはこれだ。この苦境に立たされている階層を基盤にルッターやカルバンの宗教改革運動始まった。現代中国で「魂の救済」を求めて、特にプロテスタントの信者が急増している点は、宗教改革時代の社会経済環境と比較して、極めて興味深い点である。

中国社会の「近代化」は、こうしたキリスト教信者の拡大が足場になって行くであろう。かつて韓国は「軍事政権」によって国民が窒息させられていた。それが、1987年の民主化宣言によって、軍事政権から脱することができた。このとき大きな役割を果たしたのが、キリスト教信者の拡大であった。中国もこれと同じ道を歩むか否かは予断を許さないが、じわりと下からの「近代化」へ向けた胎動が中国を変えて行くのであろう。

前述のように世界キリスト教研究所の予測では、2050年にキリスト教徒が全人口の16%になるという。これまで「無宗教」も同然であった中国において、ようやく「魂の救済」が本格化すれば、中国社会もかなりの変化を見せるに違いない。だが、その時期が2050年とは、いささか「遅すぎる」という感じもしないではない。ただ過去4000年、岩のごとく動かなかった中国社会が、「普遍的価値」を受け入れる「社会」になるとすれば、それは、全世界にとっても「福音」に違いない。

そう考えれば、現在の中国「軍拡」路線は、歴史上最後の「帝国復興」運動と見られる。客観的にいえば、中国の内部矛盾も16世紀に起こった「宗教改革」と同様な方法で、解決に向かうのであろうか。「マルクス・レーニン主義」では解決できなかった「中国専制主義」を、「宗教改革」というヨーロッパと同じ手法に頼るとすれば、それはそれで、「社会科学」における一つの貴重な「実績」が出来上がるわけである。

「中国が民主主義諸国と軍事上、同じ戦闘能力を持つにはあと数十年を必要とする」。レスリー・ゲルブ氏(米外交問題評議会名誉会長)は、こういう見通しを述べている(『フォーリン・アフェアーズ・レポート』誌 2011年1月号)。この想定通りになるとすれば、あと数十年の間に中国「近代化」が進んで、「普遍的価値」所有の国家に変身できれば、世界は「第三次世界大戦」の不幸に見舞われずに済むことになる。中国近代化を切に祈る根拠はここにあるのだ。

(2011年1月27日)


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