日本再生、小沢一郎氏の復権可能性を問う | 勝又壽良の経済時評

日本再生、小沢一郎氏の復権可能性を問う

昨日に続いて、小沢一郎氏を論じたい。理由は彼が依然として、政界のキーマンであるからだ。その言動から目を逸らすわけに行かないのである。

かつて「新党さきがけ」代表を勤め、細川内閣で官房長官の武村正義氏が、週刊誌で「小沢さん、静かに消えましょう。それがこの国のためです」(『週刊現代』2010年2月16日号)という一文を掲載したことがある。主旨は、小沢氏のこれまでの仕事でもう十分ではないか、年齢も67歳になった今、引退して後輩に後を託してはどうか、という内容だ。もともと健康に問題を抱えている身である。日々の権力闘争に明け暮れていること自体、不健康この上ない話だという結論である。

小沢氏の言動を見ていると、彼の性格は希有である。「遺恨十年、一剣を磨く」という言葉どおり、長年、「雌伏」の時期を過ごしてきた。小沢氏は自民党で橋本龍太郎氏(故人・元総理)らとの権力闘争(「一龍戦争」)に破れて、自ら身を引かざるを得なかった。その古巣の自民党に、ひと太刀もふた太刀も浴びせ「絶命」させたい。これが多分、偽らざる本心ではないか。ともかく「手兵」を集めて戦を挑まねばならない。こう心中深く、思い定めてきたに違いないのだ。

彼は「政局の人」と評されてきた。「遺恨十年、一剣を磨く」という仇討ち精神を片時も忘れないできたからである。だが、現在の民主党幹部や菅政権の閣僚をみると、平均年齢は彼よりはるかに下であり、「ジェネレーション・ギャップ」は覆い隠しようがない。小沢氏の仇討ち精神が理解不能であることも事実だ。だからこそ参院選挙中、彼が「反菅」的な言動をするたびに、はるか年下の幹部から手痛い反論の「一撃」が加えられたのだ。これまでなかった現象であり、「小沢老いたり」という印象を社会へ与えずにはおかなかった。

菅首相は小沢氏に対して、「しばらく静かにしていただきたい。それが本人はもとより、民主党、日本のためになる」という、「残酷」な言葉を浴びせかけた。彼の人生において、かつて経験したこともなかった「侮辱」を味わされたのだ。多分この一言で、小沢氏の心中は「報復」の一念に燃えている。これが容易に想像できるのだ。これまで彼が侮辱を受けた場合、それが「政敵」打倒に向かわせてきた。彼の政治人生を見れば、あえて説明の必要もない。

この「政敵」打倒騒動が、日本の政治や経済の停滞の引き金を引くとしたら、小沢氏本人はもとより、民主党にとっても重大な影響を及ぼすにちがいない。政治は「公」的存在であり、「私」的な怨念の対象ではない。伝統的に「公私混同」は、日本人にとって最も忌み嫌われる。中国では「公」と「私」が混同されており、「私」の延長に「公」があるという曖昧な社会である。中国に「汚職」・「賄賂」が後を絶たない理由は、この「公私混同」にある。もし小沢氏が「公」と「私」を中国的に解釈し、「私」という延長において数の力で「公」をねじ伏せようとすれば、それは「自殺行為」に等しいのだ。

「選挙の神様」として小沢氏は、民主党内で「畏怖」されている。その選挙手法は田中角栄譲りのもので、彼が編み出したわけでない。家庭訪問する、握手する、名前と顔を覚えてもらうという、およそ「古いタイプ」の選挙運動だ。セールスマンと同じ手法で、候補者の名前と顔を売る。これに加えて最近では「補助金大盤振る舞い」という、新手法をとってきた。日本財政の大赤字にお構いなく、「政敵」、「宿敵」の自民党打倒を目指してきた。「日本に民主政治を確立する」と主張するが、民主党内では自由な言論を封殺する、全くあべこべの事態を招いてきた。

小沢氏は、「復権」を目指した行動を慎まなければならない。民主党内で「罵声」を浴びせかけられ、すでに「小沢弱し」というイメージを残してしまった。これまで「羊」のように黙々と後をついてきた「新人議員」が、今後も同じ行動をとるとは限らない。参院選では二人区、三人区において強引に複数候補者を立て、ほとんど失敗した。「選挙の神様」の看板に傷がついたのだ。ここは「謹慎の身」でもある。

(2010年7月14日)
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