日本再生、小沢一郎氏の「法家主義」から脱却できるか | 勝又壽良の経済時評

日本再生、小沢一郎氏の「法家主義」から脱却できるか

政界のフットライトは、再び、民主党の小沢一郎氏に当たっている。参議院選挙運動中の彼の発言は、菅首相を批判するという異常なものであった。こともあろうに、政権与党の前幹事長職にあった人物が、自らの所属する内閣批判を臆面もなく繰り広げてきた。その狙いはどこにあったのか。私が、少し前まで連載してきた中国の「法家主義」から眺めると、小沢氏の意図は明快に解けるのだ。

「法家主義」は、中国に生まれた政治思想であるが、個人の「功利主義」をあからさまに利用している。権謀術策の渦巻く歴史や権力者を「解剖」する上に、欠かせない道具である。「法家主義」については関連ブログ(6月29日)を見ていただくとして、要は、人間は「損」か「得」かによって判断し、行動する「功利的存在」との前提に立つ。これでは余りにも「人間」として悲しいのではないか。「身も蓋もない」ではないか、と考えるのは「教養人」であり「常識人」の証拠である。こういう立場とは全く異質なのだ。

小沢氏のこれまでの政治的遍歴は、「法家主義」でかなり説明できる。その根拠を上げよう。

第一は、「法家主義」の本家・本元である中国への姿勢である。昨年暮れ、大訪中団を組織して、胡錦涛主席との面会を実現させた。多忙を極める主席と訪中団員一人ひとりの記念写真を撮らせるという、「意図不明」の会見を行ってきた。小沢氏が「日中米三カ国の関係は、正三角形である」と発言しているように、政治体制の相違を無視した発言を重ねている。ただ、「正三角形論」は大訪中団を組織するための「方便」であり、自らの権力基盤の大きさを誇示する「旗印」、という「法家主義」的な側面も否定できない。
第二は、政治が「政策」と「政局」(権力闘争)の二つによって動くとされているが、小沢氏はもっぱら「政局の人」であることだ。自らの「政策」実現のために「政局」を仕掛けるのが、「大政治家」といわれるゆえんである。小沢氏の場合、「政局」があってそれに合わせた「政策」が選択されるのである。前記「正三角形論」もその一つであろう。
彼が自民党を飛び出たのは、「権力争い」に敗れた結果というのが定説だ。自民党を飛び出た理由を正当化する「道具立て」になるのが、後の徹底的な「自民党批判」である。理由は後からつけられる。こうして、目前の選挙に有利だと考えれば、現実性の高くない政策でも平気で打ち上げる。選挙に勝つという「政局」が最初にあって、それにふさわしい「政策」が後から選ばれる。いかにも「法家主義」という、人間の「損得」の立場から物事を判断する「便宜主義」が全面に出ているのだ。

第三は、参院選挙で与党が過半数の議席を獲得した後、彼が目指す現実的な「政策」は何であるのか不明であった。民主党の公約は財政的に破綻している。彼は、無駄を省けば民主党の公約を100%実現できると今なお繰り返している。国民がそれを「鵜呑み」にするほど「政治音痴」と見るのは、「政局人」である小沢氏とその周囲だけであろう。彼の掲げる「法家主義」という「損得」のアドバルーンが、すでに現実から遊離している点に気づかずにいるのだ。

第四は、幹事長として民主党の党務を一手に握った小沢氏が、党内の自由な発言を一切認めなかった理由は何であるのか。「小沢ガールズ」と称せられた新人議員に対して、次回選挙に勝つという「目的」を与えて党内の言論を封殺したのは、「法家主義」を地で行くものであった。「アメ(得)とムチ(損)」こそ、「法家主義」の真髄である。現代の民主主義国で、それがまかり通ると考えるのは、「時代錯誤」以外の何物でもない。

これから9月の民主党代表選挙をめぐって、一波乱も二波乱も予想される。小沢氏側での代表ポスト獲得か、小沢氏側の脱党・新党の樹立か。そのいずれかを選択するであろう。その場合、政界再編は不可避か。日本の政治も経済もこの「荒波」を乗り越えて、より強靱なものになる。日本の政治・経済の「夜明け」が始まるのだ。

(2010年7月13日)


日本株大復活/勝又 壽良

¥1,890
Amazon.co.jp

企業文化力と経営新時代/勝又 壽良

¥2,310
Amazon.co.jp