今日は作業所にてある相談をしてきた。それは絵を描く方針についてだ。


今日の午前中のように努力の方針で右も左も分からず、かといって何も考えずに練習ができない日も度々あったが、これからはここで書いてきたような概念を絵して描こうと思う。


たとえば国家権力忍者部隊の論破にパンチを決めるホールデムと夢を与えられた子どもたち。これは近年における個人に対するリンチから立ち上がるための夢を与えられるであろう。左手にはサラ金業者から奪った札束を握りしめ、右ストレートで忍者をふっとばすのだ。


さて、先日にはbotアカウント、ゴウ・ムラクモのツイートに画像を追加した。


ジークンドーを決めるレントンだ。前にも書いたように、レントンはリターナーたちに故郷のベルフォレストを占拠されてしまい、彼らから奪還するに向けて武道を学んでいることを思い馳せたが、レントンという人物は交響詩篇エウレカセブンにおいて、思いのほか内向的でもあったのだ。姉へのモノローグをはじめ、ホランドやタルホたちを見て思い返す出来事やエウレカに対する想いの数々。そんな彼がジークンドーと出会って技を磨いていけば、その思いの数々を何か生き方や形にできないかと俺は思ったのだ。

その形になるものが何なのかは俺にはよく分かっていないが、AOのニルヴァーシュ・ネオやクォーツガンは勝ち得た生き様から形になったものの2つだと思いたい。