禅に限らず、自己との対峙のコツは

『何も思わずにいると、自分の思いが見えてくるから
それをいつも自覚なさいよ』

という、よくあるアドバイスだったりします。

つまりは修行しなきゃ意味ないぞ、ということです。
狙えば「修行」
或いは意図せぬままの「修行状態」


そしてこのブログで謳っているメインは、坐禅よりも禅宗六祖慧能にならい
「せぬときの坐禅」です。

※※※※※

隻手の音でも無孔笛の音でも良いですが、
日がなこれだけ聞いていれば万事OKで、
余計は放っておけば勝手に消化されてゆくもの。です。

2019年3月1日 とん

※※※※※

世に、理想的な禅者としての生き方をしてきた方は数多くおられると思います。
坐禅を第一に、質素な暮らしをし、心豊かに、大らかに。
 
 私(とん)は悟れておりませんし、生活態度など彼らに及ぶべくもありませんが、
禅を軸にした考えは生活面で多少の反映もあるのではないかと。

そう考えると自分は『禅好きな人』の括りがちょうどいいのかな?と思っています。

 
 
① ブログが現在の
『おちゃらけた挿し絵入り』の形態になったのには、アメブロを始めて十年が経過して、私のオッさん化が進み、まだらぼけも始まったせいで
「全く同じ話しを、本人が気付かないまま何回も書き込んでしまう」危惧もあり。
 
「なら、禅を離れて、いっそ面白さを追求してみようか?」
というのが、今に至る理由になるかと思います。
 
『面白さの追求』とは言いましたが、人さまに楽しんでいただく、というのは非常に難しいもので、
これ自体、なかなかの修行に感じています。
 
② ちなみに冗談にならないような『愚痴』『説教』『闘病』『嘆き』『不満』、
『自分が言いたいこと』
そして『真面目な話し』には、極力触れないようにしています。
中高年ブログにとってこれは「脚をもがれた蟹状態」で、難しいのですが、ちょっとしたチャレンジのつもりで試しております。

 
③ブログ内、禅関係のことはテーマで分けてありますので、ご参照ください、
 

 
 
 
あとは喫茶去です。
 
いや『喫茶去』と並べるにはおこがましいほど軽薄です。 
 
現在の挿し絵入りのブログを
「バカだなあ」
「www」
と、ご覧になっていただければありがたいです。