初出2018年3月21日
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ずいぶん前、旭川に住んでいた頃。

今や全国区の旭山動物園が、まだテコ入れされる前。
日曜日でもお客さんはまばらで、
開園している理由もイマイチわからないような施設だった頃の話しです。



アパートから徒歩十五分位の距離にアイヌの記念館がありました。

通り沿いの電柱には何枚もホウロウの看板が出ていて、そこには

『川村カ子ト記念館』

と、ありました。




『かこと』って何じゃろ?



と思っていましたが、毎日目にするうち『子』が十二支の『ね』だと気付いて、
そのうち中を覗きに行ったりしました。
(入館してきた、ということです)

そしてその人が旭川アイヌのビッグネームであったと知りました。

※※※※ 

当時私は、まだ内地型の生活をしていて、足のほとんどはバスなど公共の交通機関。

普通免許は持っておらず、市内に用事があるときにはスズキのオフロードの原チャリに乗っていました。



そんな初夏のある日、

原チャリに、小さく折りたためるルアー釣り竿を積んで
旭川郊外の釣れそうな小川を探して走っていました。

走るうち、広い砂利道の、大きな登り坂にさしかかり、そこを越えて川が無ければ引き返そうと決めました。


と、



坂の左側、それなりの林だった山の中に、突然開けた一角がありました。

雑草ボーボーで、人の気配もなく、人家もなく。



道路ぎわにバイクを停めて吸い込まれるように歩いて行くと、伸びた雑草の中に幾つものアイヌの墓標がありました。

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そのとき私は北海道に渡ってまだ二年、
ハタチそこそこのあんちゃんで。


「あ〜、アイヌのひとのお墓なんだ」


という物語一つ生まない感想が出ただけで。

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ながめてみると、中には
『川村カ子トアイヌの墓』
と、刻まれた墓標もあり、



「あ〜、あの人のお墓」

と、またもや、これ以上無いツンツルテンの感想で、
当時釣行の際に持ち歩いていたインスタントカメラで何枚か写して帰りました。

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アイヌの御霊(?)が、もっとちゃんとした人と間違えて、私を呼んでしまったのでしょうか。

そんな私でしたが、埋葬の目印だけがあるようなこの墓の形式が
『人も自然の一部である』ということに根付いているのにはピンときました。

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注 )三十年前の一度きりの記憶のままに書き込んでおりますので、
現在のアイヌ墓地の場所、かもしれませんし、違う場所かもしれない。

全てはアバウトな物語としてご了承ください。


後記・
本来、アイヌには埋葬後に墓地を訪れる「墓参り」の風習は無いという話しを聴きました。
埋葬や供養に関しては日本人と大きな違いがあり、また日本の法律が関わっているせいか、
『うやむや』と感じる部分が各所に見受けられました。


※※※※※

追加画像

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川村カ子ト氏

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葬列を行く同氏。古い雑誌(『太陽』1964年6月号)に偶然あった写真です。

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古い墓標。『太陽』より